第19話 再び、モシへ
ケニアへの再入国に備えて、VISAの取得が必要である。日本大使館で場所を訊いて、早速ケニア大使館を訪ねてみた。即日入手できるそうで一安心、良かった。
もう一度日本大使館に戻って、TCを現金に換金できる場所を訊いてみた。ところが意外な事に、タンザニアでは一切換金不可との事である。ザンジバルの People's Bank は勝手にやっているとの事であり、更にUSドル→タンザニアシリングの路上での両替は違法であり、してはいけないとの事。そんな事はこちらは百も承知である。確信犯でなく、違法と知っていてするのである。
このブラックマーケットの仕組みはどうなってるんだろう? だが、それよりも今は、その後の言葉が頭に残った。
「路上での両替はポリスのおとり捜査であったり、ポリス自身が悪だったりするので危険。日本の警察と同じと思ってはいけない」
これにはいささか驚いた。日本の警察にも似たようなんは居るが。こういう情報は現地に住む日本人からでないとなかなか得られない。貴重な助言であった。
彼の説明に一つ間違いがある。ザンジバルの People's Bank ではTC→現金の両替はやっていない。やっているのは、Head Quarter (本店)のみである。
TC→現金の換金がタンザニアでは一切できないなんて事があるんだろうか?
海外からの旅行者 にとって、不便過ぎる。”Head Quarter を除いて” ではないのだろうか?
モシ行きの列車は16時発だが、いつものように散々待たされ、20時半過ぎにやっと出発した。座席は2人掛けで楽だった。往路のボロバスとは全然違う。バスに落ち着いた頃、黒人のおじさんが仲間らしい人に、「アサンテ・サーナ」と言ったのが明確に耳に残った。これは ”ありがとう” であるが、発音はほぼ日本語だった。
列車は遅れを大幅に取り戻し、翌朝11時20分にモシに到着した。9月21日にモシのYMCAで再会して以来、ほぼ3週間ずっと行動を共にしてきた若いカップル大淵さん、美智子さんと別れる事に一抹の寂しさを感じる。2人はもう少し先まで行くという。私だけモシで下車した。
2人には随分助けられた。部屋も何度となくシェアーさせてもらったが、迷惑ではなかったろうか。これからは2人で存分に羽を伸ばせるであろう。
もしかすれば、ケニヤ(ナイロビ、モンバサ)で又、逢えるかもしれない。2人にはヴィデオを2巻とも贈る事にしよう。
キリマンジャロに再挑戦する旨をはっきり告げたら、大淵さんがヘッドライトを貸してくれた。前回の登山の時に使ったが必要だとの事。私はガイド任せで用意してなかった。
再び、モシのYMCAにやって来た。
ここでの目的はただ一つ。キリマンジャロ登頂である。気になるのは何と言っても天気である。前回は天気には恵まれた。曇りだとつまらないし、雨だと登頂自体が無理だ。
今度は運営者も慎重に選ぼう。YMCAの他に旅行会社、路上で声をかけてきたホテルのを比較検討してみなければ。YMCAのが一番高い。信頼はできるが。今夜は好天を祈りながら寝よう。
翌朝一番で空を見上げた時には小雨が降っていた。直感的に再挑戦は難しいと思った。
山の天気は一度雨になると数日間は降り止まない。YMCAの宿泊費はそんなに高くはない。とはいうものの何もする事ができずに3日も4日も滞在するのも…。
帰国迄の滞在日数は3週間を切っている。
ここで登頂を諦める事はマラソンで言えば途中リタイア。でも8合目迄は登り高山病も経験して、キリマンジャロの雰囲気は十分味わってはいる。
再挑戦して又同じように高山病に苦しむかもしれない。
再挑戦は諦める方向に大きく傾いてきた。
キリマンジャロは忘れて、明日はモンバサに発とう。ガッカリするとともに、何だかホッとするような気分だった。再挑戦を目前にして2週間前の高山病の苦しみが蘇ったか!




