第14話 奴隷船
今日は9月末日、明日から10月である。
朝食時、日本人カップルの大淵さん、美智子さんと一緒になったので、一緒にザンジバル島滞在日数を検討してみた。6泊辺りが妥当のようだ。10月1日~8日で往路は船中泊、8日にダルエスサラームに戻り、再びYMCA泊で決まりそうだ。翌9日には列車でモシに戻り、自分はキリマンジャロに再挑戦だ。
昼前に列車の様子見にダルエスサラーム駅に行ってみる。2等予約窓口でティケットは予約できるか尋ねてみるが、相手の英語が上手くキャッチできない。『ボウヒェン』と聞こえるのは、まさかドイツ語の "Wohin”?
まだ日程は確定していないので、急ぐ事はない。"when" の聴き間違いだったかも。
その足で昨日も行ったアイスクリーム屋さんに行ってみる。そこで大淵さん、美智子さんに会った。彼等は2等の指定席を買いに行く事にした。自分は途中で、部屋のカギを持って来てしまった事に気づき、急ぎYMCAに戻ったが、哀れルームメイトは階段の上で待っていた。
さてザンジバル島について。今はタンザニア(正式名はタンザニア連合共和国)の一部になっているが、26年前まではザンジバルという一つの島国だった。大陸部のタンガニーカと合併してタンザニアが誕生したのである。
ところがどういう訳か中央政府とは独立した ”ザンジバル独自の自治権” が承認されている。よって面倒な事にザンジバル島に上陸するには出入国手続きが必要との事である。
元々ザンジバル島は奴隷貿易の拠点の島である。島への往来には奴隷船が利用されていた。現在入出港しているのも同じ類のモノなのか?
翌朝、奴隷船のティケットを買うのが大変だった。8時に来いと言われてたので少し前から待っていたが、10時近くになってやっと窓口がオープンした。客が大勢並んでいるというのに。さてそれからがまた大変。初めは数列で並んでいたが途中から完全に列が壊れてしまって、我さきにと押し合いへし合い。日本なら係員がいて、一列に並ばせるであろうに。流石に途上国だ。
12時近くになった時近くにいた現地の男性が、”女性は優先される” と教えてくれた。そこで私から大淵さんにアドヴァイス。
「大淵さん、荷物は俺に任せて、美智子さんに買ってもらおう。背中を押してやって!」
驚いた事に、彼女を前に出そうとすると前にいた群衆が道を開けてくれた。それからはすぐ買えた。アメリカ、カナダ、欧州でもそうであったが、ここタンザニアでも、”レディー・ファースト” は生きているようだ。我々日本人も見習わねば。
22時出港と聞いていたが13時となった。ここまで酷いタイムスケジュール崩しも珍しいのではないだろうか。それとも臨時便か。少し焦ったが、結局14時20分に出港した。
我々4人は荷物と共に屋根の上に乗せて貰った。その為大混雑は避けられたが直射日光をまともに受ける事になる。暑さと疲労の所為か、大学生の戸田さんが2度吐いた。
乗船中気になる事があった。美智子さんが泣きそうな表情で不満を漏らす。
「何これ? 水が顔にかかる。あの人、オシッコをしたんじゃないの? 何でお尻が濡れてるの?」
事実ははっきりしないが、衛生上はテキトーな国だからなあ。美智子さんの疑問と怒りが当たっているかも。
海は飽くまでも青く美しい。サンセットも実にロマンティックであった。
奴隷船は日本では経験した事のない超スローで進み、5時間ほどかけてザンジバル島に到着した。イミグレーション(出入国管理事務所)では、明朝8時に来てくださいとの事になった。
我々4人は予定通り、『地球の歩き方』で見つけておいた『フラミンゴゲストハウス』に向かう。途中の客引きの煩い事。
"We are going to Flamingo Guest House."
と断ると、そこまで近道で案内すると言うので疑いながらついて行くと、名前の違う宿泊施設に到着した。他の人に確認したら逆方向との事だった。その後、自分たちで探しあてた。
部屋は4人部屋1室しか空いてなく、奴隷の島第一夜は4人仲良く宿泊する事になった。




