第11話 キリマンジャロ登山3日目夜~
明日の登頂に備えて早く寝なければ。18時に床に就く。眠りにくい。当然だ。この環境ですぐに眠れるほど胆は太くない。眠れぬまま、20時15分にトイレにたった。戻りの距離わずか5~6mのちょっとした上りで、激しい動悸と頭痛を感じた。うぁ~、ダメだ。これではとても登頂できない。
これが恐れていた高山病だった。ここ迄の道中、何人かのゾンビー病者を見てきた。自分も軽い頭痛と脚の動きの悪さ、意識の不安定さは感じていた。でもまさか、この俺に限って。ふらつきながらでも登れる。絶対登れる。そう信じていた。だが、根本から自信は崩れ去った。
白人女性の、タンカーで降ろされる姿や両脇を支えられて歩く姿を思いだす。頂きへの出発前に早々と諦めざるを得なかった。
登山4日目(下山初日)。
翌早朝、私が起きて来ないので、ドイツ人男性が心配して来てくれた。盛んに声を掛けて励ましてくれた。でも、どうにもならなかった。
会話の内容はだいたい憶えているが、どんな英語のやりとりだったかは曖昧でよく思い出せない。たぶんこんな感じだったのだろうと思う。
”Hey, Rai, get up."
"Oh, I can't."
"Rai, Everyone is tired. get up ."
"Uh, I can't."
" All of us is tired. You're not the only one.."
"I have a Headache. I can't."
私を残して3人は出発した。
悔しくないわけがない。でもその時の頭痛と吐き気、動悸からするとどうにもならなかった。疲れだけだったら行ける所までは絶対行く。
ウトウトしているうち、8時間が経過した。9時頃、3人が下山してきた。看護婦をしている日本人の説子さんはかなり憤慨していた。ゆっくり話を聴いてあげたかったが、まだ吐き気が治まらず聞き流すしかできなかった。5300mまで登ったがそこで下山するように言われたそうでだが、
「『自分は疲れてはいない。ただ足が遅いだけだ』と言っても聞き入れられず、突き飛ばされた」
とかなり悔しそうだった。
英語ができないのも災いしたのかもしれない。
夫婦は共にご来光観測のギルマンズピーク (5700m) まで登り、ご来光にもギリギリ間に合ったが、そこまでが限界だったそうである。
キリマンジャロの5700mからご来光を拝めたので最低限の目標は達成できたということか。
この日は天気もあまり良くなかったそうで、100 名以上が頂上を目指したが5~6名が成功しただけだったそうである。
半分満足の夫婦と怒りを抱えたままの日本人女性に、ショックの上に未だ吐き気が治まらない自分の、三組三様で下山開始する事になった。同時にスタートしても、だんだんバラバラになっていく。
上っている時と違って気が重い。標高3700mのホロンボハットに戻ってきても、吐き気は治まらなかった。この日は昼食も夕食も全く受付けなかった。食事を受付けないほどの吐き気は、酒を呑まされ過ぎた時と船酔い以来だが、これだけ長時間に亘るのは、生まれて初めての事だった。
夕方、ドイツ人男性が声を掛けてきた。
「ティップについてガイドと話をしようと思うが、一緒に来てくれないか?」
ところが自分はまだ吐き気が治まらず、彼に一任する事にした。彼は自分の信念でガイドには4人が5ドルずつ、4人のポーターには夫々が自分の荷物を運んでくれた相手に5ドルずつ払う事で話をつけてくれた。
彼は身体もでかいし非常に大人っぽく見える。自分より10年ぐらい年長にみえる。しかし自分の海外経験からすると、日本人からは、白人は実年齢より大人っぽく見える。意外と自分と変わらないのかもしれない。
中国人の奥様も初対面では奥様か娘さんか分からなかった。




