小さな一歩
文化祭から数日後の夕方、すばるは職員室で授業の準備を終え、スマートフォンの画面に目を落とした。あゆみからのメッセージが届いている。
「週末、時間ありますか?少しお話ししたいことがあって……」
その簡潔な文に、すばるは一瞬考える。文化祭での再会以来、彼女の笑顔や懐かしい声が頭に残っていた。あの頃の生徒だった彼女が、今こうやって連絡をくれることが、どこか不思議で嬉しい気持ちにさせる。
「いいよ。土曜の昼なら空いてる。どこかで会おうか?」
返信を打ち終えると、すばるは職員室を出て保育園へ向かった。
蓮と莉桜を迎えに行くと、二人はいつものように元気に飛びついてくる。
「パパー!今日ね、粘土でカエル作ったよ!」
蓮が得意げに話し、莉桜が「ケロケロ!」と小さな声で真似する。すばるは微笑みながら二人の手を握り、帰路につく。夕陽が柔らかく道を染め、風が秋の終わりを感じさせた。
土曜日、すばるは約束の時間にカフェに到着した。木の温もりが感じられる店内で、すでに座っていたあゆみが手を振る。
「如月さん、こっちだよ。」
「あ、先生……お待たせしました。呼び出したのに遅れちゃって、すみません。」
あゆみが少し緊張した様子で席に着く。すばるはコーヒーを手に、穏やかに尋ねた。
「急にどうしたの?何かあった?」
あゆみは一瞬目を伏せ、言葉を選ぶようにしてから口を開く。
「先生……ずっと考えてたんです。蓮くんと莉桜ちゃんに、会ってみたいです。」
その言葉に、すばるは驚いて目を見開いた。
「え、どうして急に?」
「あの、先生の話を聞いて、どんなお子さんなんだろうって気になって……それに、先生のことをもっと知りたいと思ったんです。」
あゆみの声には、どこかぎこちなさが混じっていた。すばるは一瞬言葉に詰まり、彼女の表情を見つめる。
「蓮は年長さんで、来年小学生だよ。最近は『お兄ちゃんだから』って張り切ってるけど、無理してる時もある。莉桜は少しお転婆で、人懐っこい。誰にでも遊ぼうって言うんだ。」
すばるがそう話すと、あゆみは目を輝かせて頷く。
「二人とも本当に元気でさ、僕にはもったいないくらい良い子だよ。あいつらがいなかったら、僕、もっとダメになってたかもしれない。」
その言葉に深い愛情と影が混じるのを、すばる自身気づいていた。あゆみは少し黙ってから、小さく微笑んだ。
「先生らしいですね、そういう言い方。」
すばるはコーヒーを一口飲んで、少し考え込む。
「そっか……如月さんがそう思ってくれるのは嬉しいよ。じゃあ、良かったら会ってくれないか?次の週末にうちに来てもらえるかな?」
突然の提案に、あゆみは一瞬戸惑った後、笑顔で頷く。
「はい、ぜひ伺います。」
カフェを出た後、すばるは子どもたちを迎えに保育園へ向かう道すがら、あゆみの自然な態度を思い返していた。彼女は昔から真っ直ぐで、飾らない人だった。あの頃、教室で落ち込んでいた彼女に声をかけた記憶が蘇る。
(あの時も、彼女は笑ってくれたな……)
自分が「親らしく」あろうとしすぎて子どもたちを傷つけたあの朝とは違う。あゆみの素直さが、すばるの心に小さな安心感を植え付けていた。
家に着くと、すばるは蓮と莉桜に言った。
「お客さんが来るよ。あゆみちゃんって言う人で、パパの昔の生徒さんだ。」
蓮が「お兄ちゃん、ちゃんと片付ける!」と張り切り、莉桜が「遊ぼう!」と目を輝かせる。すばるはその様子に小さく笑い、思う。
(この子たちと向き合うだけで、いいのかもな……)
あゆみとの再会が、自分に何かを変えてくれる予感がした。




