喜びの檻
その日の夜、すばるは布団に横になっていたが、目を閉じるたびに先ほどの光景が頭をよぎる。
(子どもができた…僕の子ども…)
沙月が真剣な表情で放った言葉、その声の震え、不安げな瞳が何度も浮かんでは消える。リビングでは、すばるは本能的に「ここで取り乱してはいけない」と感じ、どうにか冷静を装った。しかし、今になってその抑え込んだ感情が押し寄せてくる。
(なんで気づけなかったんだ。こんなに週数が経っているなんて…僕は何をしていた?)
心の中で問いかけるが答えはない。ただ、焦りと責任感、隠していた沙月を責めたい思いが渦巻き、胸が締め付けられるような感覚が続いていた。
(僕の軽はずみな行動が、沙月をこんな状況に追い込んだんじゃないのか。彼女に言い出せない理由を与えたのは…僕なんじゃないのか。)
布団の中で身じろぎするすばるを感じ取った沙月が、小さな声で話しかけてきた。
「すばる、眠れないの?」
すばるは返事をしようとしたが、言葉にならなかった。代わりに、かすかに頷くだけだった。そんなすばるを見て、沙月は少し身を寄せる。
「ごめんね。隠していて…怖くて言えなかったの。」
沙月の声には、どこか涙が混じっているようだった。それでも、彼女は続ける。
「でも、受け入れてくれて本当にありがとう。これから一緒にがんばろうね。」
沙月はそう言いながら、すばるの手にそっと触れた。その温もりを感じても、すばるは何も言えなかった。ただ、彼女の言葉を否定することも、責めることもできない自分がいた。
(これは僕の責任だ。沙月一人に押し付けるわけにはいかない。)
義務感と重責、そして自分の軽率さへの罪悪感がのしかかり、すばるの心を休ませてくれなかった。
翌朝、職員室にいたすばるは、机の上に開いた資料を見つめていた。しかし、視線はそこにあっても内容が頭に入らない。
(これからどうすればいいんだ。親にどう説明すればいい?仕事と家庭、両方をちゃんとやれるのか?)
机の上に置かれたペンを無意識に回していた手が止まり、ふと天井を見上げた。目を閉じるとまた昨夜の沙月の言葉が蘇る。
「…受け入れてくれて本当にありがとう。」
その言葉が、すばるにとって重く、そしてどこか遠いものに感じられた。
「星宮先生、大丈夫ですか?」
隣の同僚に声をかけられ、すばるはハッとして顔を上げた。
「あ、はい。すみません、ちょっと考え事をしていて。」
笑顔を作るが、その表情は引きつっているようだった。同僚はそれ以上何も言わず、仕事に戻ったが、すばるの心は乱れたままだった。
一方その頃、沙月は職場で明るい表情を浮かべていた。休憩時間、彼女は同僚たちと談笑しながら、軽やかに言葉を放つ。
「実はね、私、赤ちゃんができたの。」
驚きの声が上がり、次々と祝福の言葉が沙月に向けられる。
「おめでとうございます!それで体調悪かったんですね。」
「よかったですね!旦那さんも喜んでるでしょ?」
沙月は微笑みながら頷き、話題の中心になる喜びを感じていた。その姿は、昨夜すばるに見せた不安げな表情とはまるで別人のようだった。
(大丈夫。これで、ちゃんと未来が見えてきた。)
沙月は自分にそう言い聞かせ、これからの生活に希望を抱くようにしていた。
しかし、その裏で、すばるが抱える重圧のことを深く考える余裕は、彼女にはなかった。




