胸の内
沙月が勤務する予備校の昼休み、職員室には穏やかな空気が流れていた。教室から聞こえる生徒たちの笑い声を耳にしながら、沙月はデスクに座って仕事の書類を整理していた。
「白石先生、最近ちょっと元気ないように見えますけど、大丈夫ですか?」
同僚の中谷が、コーヒーを片手に話しかけてきた。彼女は沙月より少し年上で、面倒見の良い性格だ。沙月はその言葉に顔を上げ、笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ。ちょっと寝不足なだけです。」
「そう? でも、なんか顔色が良くない気がするけど。」
中谷の目は優しいが、どこか心配そうだ。沙月は書類をまとめる手を止め、軽く笑いながら首を横に振った。
「本当に平気です。ただ、最近講義が立て込んでたから、少し疲れちゃっただけ。」
「そうなんだ。でも、無理しちゃダメですよ。この時期、体調崩す人多いから。」
「ありがとうございます。気をつけますね。」
そう答えながらも、沙月の心には小さな波紋が広がる。自分の隠し事が、いつの間にか外に漏れ出しているような気がした。
「でも、沙月先生、病院とか行きました?もしかして何か重い病気とかじゃないですよね?」
中谷の冗談交じりの問いに、沙月は一瞬動揺したが、すぐに笑顔で応じる。
「そんなわけないですよ。健康診断だって問題ありませんでしたし。」
「なら良かった。何かあったらすぐ言ってくださいね。」
「はい、ありがとうございます。」
中谷が満足したように笑顔を返し、自分の席に戻るのを見届けた沙月は、ふっと息を吐いた。周囲の心配が嬉しくもあり、同時に胸を締め付けるような感覚を覚える。
机の上の書類に目を落とすが、集中できない。ふと、自分のお腹にそっと手を置いた。
(早く伝えなきゃいけないのに……でも、どうやって言えばいいんだろう。)
頭の中で繰り返される悩み。言葉にしなければならないことがあるのに、それを口にする勇気が出ない。
「白石先生、午後の講義、あと10分で始まりますよ。」
別の同僚の声にハッとし、沙月は慌てて立ち上がった。
「あ、ありがとうございます。すぐ行きます。」
いつもの笑顔を作り、教室に向かう準備をする。しかし、その足取りにはどこか迷いが残っていた。




