刻まれた傷
すばるはスマートフォンを見つめていた。画面には「沙月」と表示された名前。その文字を見て、胸の中にわずかな痛みが広がる。
(久しぶりに、沙月に会おう。)
そう決意したすばるは、メッセージを打ち始めた。
「久しぶりに二人でごはんでも行かないか?」
メッセージを送信してしばらくすると、沙月から返信が届いた。
「いま、外に出る気が起きなくて。なんか億劫になっちゃって。笑」
その言葉に、すばるは眉をひそめた。沙月らしくない返事が気にかかった彼は、すぐに返信を打つ。
「じゃあ、家に行っても良い?」
少し間を置いてから、沙月から返事が来た。
「まぁ、すばるなら安心だし、いいよ!」
沙月のアパートのドアが開き、彼女が顔を覗かせた。久しぶりに見る彼女の笑顔は、どこか疲れたようだった。
「久しぶりだね、すばるくん。上がって。」
部屋に入ると、散らかった室内が目に入る。床には衣服や紙類が散乱し、テーブルには使いかけのコーヒーカップが並んでいた。
「ごめんね、最近片付ける気力がなくて。」
沙月は苦笑しながら言うと、手元のカップを手に取った。すばるはその様子を見て、軽く肩をすくめた。
「しんどい時って片付けもできないよね。僕もずっと夜遅いからおんなじ。」
そう言いながら、すばるは散らかった床を片付け始めた。沙月は「いいよ、座ってて」と言ったが、すばるは笑顔で首を振った。
「大丈夫。片付け自体は嫌いじゃないしさ。沙月こそゆっくりしておいて。」
そうして片付けを続ける中、すばるの手が血の付いたティッシュやカミソリに触れた。彼は少し驚いた表情を浮かべながら、それらを持ち上げた。
「こんなところに置いたらケガするよ。それに、ちゃんと綺麗にしないとばい菌が増えちゃうよ?」
カミソリをそっと片付けるすばるの姿を見て、沙月は笑った。
「なにそれ、休みの日なのに先生みたい。」
沙月の軽口に、すばるは少しだけ苦笑いを浮かべた。そして、片付けを終えると、真剣な表情で彼女に向き直った。
「遥香から聞いたんだ。沙月、今大変なんだって?大丈夫?」
その言葉に、沙月は一瞬目を見開き、そして小さく笑った。
「あー、遥香には言わないでって言ったのに。あの子、優しいからなぁ。」
沙月はそう呟きながら、目を伏せた。その仕草には、どこか諦めの色が混じっていた。
「遥香からどこまで聞いているの?」
沙月が微笑みながら問いかける。すばるは躊躇いがちに答えた。
「君が……大変だって。男の人が良くなかったり、自分をすごく責めているんじゃないかって心配してた。」
沙月は一瞬だけ視線を泳がせ、それから肩をすくめるようにして話し始めた。
「あー、そのことね。その彼って、ただの同僚でお付き合いをしているわけじゃないんだけどさ……。」
そう前置きしてから、沙月は少しずつ言葉を紡いだ。
「ある残業の日、突然後ろから襲われちゃって。男の人って力強いんだね。何もできないまま、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかったよ。」
その言葉にすばるは息を飲む。沙月は続ける。
「でも、すばると別れた後だったし……別にいいかなって。そのまま受け入れちゃったんだよね。それ以来、ことあるごとに呼び出されて……まぁ、私で誰かの慰めになっているなら、それでいいかなって思ったの。」
沙月の言葉は淡々としているようでいて、どこか遠い目をしている。
「でも、ある日気づいちゃったんだ。あれ?何も感じないなって。」
すばるは沈黙したまま、沙月の顔を見つめる。その間も彼女の話は続いた。
「そんな日が続いていて……でね、ある日腕をぶつけちゃったの。すごく痛くて、びっくりしちゃった。最近、何も感じないのに……痛みってあるんだなって。」
沙月は自嘲気味に笑いながら、腕をすばるの前に差し出した。そこにはいくつもの新旧の傷跡が見える。
「そしたら、いつのまにかこうなっちゃってた。まぁ、誰にも迷惑はかけてないし、むしろ役に立っているんだから、別にいいかなって思ってる。」
その言葉を聞いたすばるは、何も言えなかった。自分の前にいる沙月が、これほどまでに壊れてしまったことに、胸が締め付けられる思いだった。
「沙月……それは……。」
すばるの声が震える。それでも沙月は平然とした表情を崩さず、微笑みながら話し続けた。
「ねぇ、すばる。私ってダメな女かな?」
沙月のその問いに、すばるは一瞬だけ目を伏せたが、彼女の視線をしっかりと受け止めながら答えた。
「そんなことはない。沙月は……大事な人だよ。」
その一言に、沙月の目が少しだけ潤んだように見えた。




