心の休息を願って
翌朝、星宮すばるのスマートフォンが振動した。まだ目覚めたばかりの頭を軽く振りながら画面を見ると、知らない番号からの着信が表示されていた。電話を受け取ると、落ち着いた声が耳に飛び込んできた。
「星宮詩織さんのご家族の方でいらっしゃいますか?こちら、辰星総合医療センターの精神科病棟のケースワーカーの田中と申します。」
母が昨夜警察に保護され、入院が必要な状態にあることを告げられた。電話の内容は冷静に進むが、その一言一言がすばるの胸に重くのしかかる。
「現在、お母さまは安全な環境で休まれています。医師の判断で、一定期間の治療と休養が必要とされています。状況についてご説明をしたいのですが、可能であれば直接お越しいただけますか?」
すばるは電話を握りしめながら短く頷いた。
「はい…分かりました。学校の都合もあるので、できるだけ早く伺います。」
電話を切った後、しばらくその場に立ち尽くしていた。昨夜の母の取り乱した姿が脳裏をよぎる。
(母さん…本当に辛かったんだな。)
深い溜息をついた後、意を決して朝の支度を始めた。すばるの胸には、一つの決意が芽生えていた。
大学のキャンパスに到着し、昼食の時間になると、遥香、ゆうき、そして沙月と4人でいつもの食堂のテーブルに集まった。しかし、すばるの表情はどこか冴えず、沙月もまた沈んだ顔をしている。そんな二人を見て、遥香が心配そうに声をかけた。
「ねえ、二人とも何かあったの?最近元気ないけど。」
ゆうきもすばるに目を向け、軽く頷いて促す。
「ああ、そうだな。お前、いつもの調子じゃないよな。」
すばるは少し間を置いてから、静かに昨夜の出来事と、今朝病院から連絡があったことを話し始めた。母が警察に保護され、措置入院となった経緯を簡潔に説明する。
「そっか…お母さん、そんなに辛かったんだね。」
遥香が口元に手を当て、目を伏せながら呟いた。その隣で沙月は何も言わず、ただ手元のスプーンを見つめている。そんな彼女を気遣いながら、ゆうきが静かに話し始めた。
「たしかに入院って聞くと、個室に閉じ込められたりするイメージがあるかもしれないけど…あれは休憩するための場所なんだよ。頑張りすぎたりして辛い思いをしてる人が、少し立ち止まる場所。病棟内で友達ができたり、読書やゲームで時間を過ごすこともあるから、全く自由がないわけじゃない。」
ゆうきの言葉に、沈んでいた場の空気が少しだけ緩む。遥香が彼の方を向いて微笑んだ。
「やっぱり未来の福祉士さんは言うことが違うわ。良い彼氏を持ったよ。」
茶化すような言葉に、ゆうきが照れ臭そうに頭を掻きながら返す。
「まあ…福祉の勉強してるからな。そういうことは知っとかないと。」
すばるはその会話を聞きながら、ふっと微笑んだ。
「ありがとう、ゆうき。少し気が楽になったよ。」
しかし、沙月はまだ俯いたままだった。その様子に気づいた遥香が、少し声を柔らかくして問いかける。
「沙月も、さっきから元気ないね。どうしたの?」
沙月はしばらく考え込んでから、小さな声で答えた。
「うん…私、どうしてあんなに取り乱してたのか、よく分からなかったの。すばるが心配で来たことは分かるんだけど、それにしても…」
すばるはその言葉に、小さく頷いた。
「母さんには、ぼくしかいないんだ。父さんと離婚してからずっとぼくに全てを注いでくれてて…。でも、それがあの人にとっての重荷になってたのかもしれない。」
少し言葉を切ったすばるは、沙月の目を一瞬だけ見て、再び俯きながら続けた。
「それに、大学生になってぼくが一人暮らしを始めてから、母さんは少し精神的にしんどくなっていたみたいなんだ。そんな時に実習とかで忙しくて、結果的にぼくが母さんからの連絡を無視してしまっていて…。」
沙月は黙ってすばるの言葉に耳を傾けていた。その表情には、すばるを気遣う気持ちが浮かんでいる。
「ゆうきは知っているけど、ぼく1回、自殺未遂しているでしょ?母さん、それをずっと忘れられないでいるんだよ。連絡がつかないことで、きっとあの時のことを思い出して、すごく怖かったんだと思う。」
すばるの声は徐々に小さくなり、最後の言葉はほとんど囁きのようだった。沙月はしばらく何も言わなかったが、やがてそっとすばるの手に触れた。
「……そうだったんだ。すばるくんのお母さんも、すごく辛かったんだね。」
その声には、すばるを気遣う優しさと、彼の母の気持ちを理解しようとする思いが込められていた。
その言葉を聞いて、遥香も何かを考えるように視線を落とした。
「それで、すばるはどうするんだ?」
ゆうきが静かに問いかけると、すばるはまっすぐ前を見据えた。
「ぼくは母さんと少し距離を置こうと思う。今は母さんにとって休むことが一番大事だし、ぼくも自分の夢に集中したいから。」
その言葉に、沙月が小さく口を開いた。
「…それでいいと思う。お母さんが元気になれば、また前みたいに話せるようになるよ。」
すばるは沙月の言葉に感謝するように頷き、そして静かに昼食を再開した。4人の会話は再び穏やかに流れ始めたが、それぞれの胸の中には、まだ拭えない思いが残っていた。




