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孤独と執着の果てに

 

「お母さん?」


 すばるが声をかけると、母は驚いたように振り返り、すばるの顔を見た途端、駆け寄ってきた。その表情には安堵と怒り、そして深い悲しみが交錯していた。


「すばる!どうして連絡を無視するの!何度も電話したのに返事がないなんて……気が気じゃなかったのよ!また自殺したんじゃないかって!!」


 連絡は受け取っていたが、教育実習や沙月との時間を優先するあまり後回しにしていたことをすばるは思い出す。


 母の腕がすばるを掴む。その手は震えており、目には涙が溜まっている。母の声には怒りの色が混じっていたが、その奥に潜むのは言葉にできない恐怖だった。


「ごめん……実習が忙しくて、あまり時間が取れなくて……」

 すばるは母の手をそっと外しながら、申し訳なさそうに答えた。


 だが、母の表情はますます険しくなった。彼女の視線はすばるの隣に立つ沙月に向けられる。その瞬間、彼女の顔が驚きと困惑に染まる。


「この人……誰?」


 沙月は緊張しながら軽く頭を下げた。

「はじめまして、すばるさんとお付き合いをさせていただいている白石沙月です。」


 母はその言葉を聞いた途端、目を見開き、再びすばるを見た。そして、次の瞬間、その表情は怒りに変わる。


「あんた……この女が、あんたを私から奪ったのね!」


 その叫びに、沙月の顔は強ばり、すばるは動揺を隠せなかった。母の言葉は激しさを増し、止まることなく続いた。


「連絡がつかないのも、成績が落ちたのも、全部この女のせいでしょ!なんでこんな人と……!こんな人がいるせいで、あんたは……!」


「お母さん、やめて!」

 すばるは母の言葉を遮ろうと声を上げたが、母は一切耳を貸さない。



「わかってるの、あんたがこの女に夢中になって、私を捨てようとしてるんでしょ!」

 愛と執着の間で、母の言葉は混乱と怒りに満ちていた。


「捨てるって……そんなこと思ってないよ。沙月は関係ない。」

 すばるは必死に説明しようとしたが、母は聞く耳を持たなかった。


「関係ない?何が関係ないのよ!私はどれだけあんたを守るために頑張ってきたと思ってるの?お父さんの暴力から逃げるために離婚して、それでも二人で生きていけるように……私がどれだけ……!」


 母の声は震え、次第に涙に詰まった。だが、その視線が再び沙月に向けられると、怒りが再燃した。


「私のすばるをこんな風にしたのは、あんたでしょ!今すぐ別れて、離れなさい!」


 沙月は一歩引きそうになりながらも、勇気を振り絞り、静かに答えた。

「すばるくんのことを、大事に思っています。それだけです。」


 その言葉に、母は顔を歪め、さらに取り乱した。

「大事に思う?そんなの、私には何の意味もないわよ!」


 すばるはそんな母の姿に胸を締め付けられる思いだった。大学のために一人暮らしを始めた頃から、母が精神的に不安定になっていることは知っていた。それでも、母の愛情が重いほどの執着に変わり、彼女自身を苦しめていることに気づくのが怖かった。


(ぼくのせいで、こんなに追い詰められている……?)



 母の声がさらに大きくなり、ついには通行人の足を止めさせるほどだった。


「みんな私を見捨てるんだ……!あんたまで私を裏切るなんて!私には誰もいない……誰も!」



「……ぼくが連絡しなかったから、心配したんだよね」

 すばるは自分に言い聞かせるように呟いた。


 しかし、母の言葉は止まらない。

「あの時も、あんたを救えたのは私だけだった!あんたがいなくなったら、私がどうなるかわかるの?またあんなことになったら、私はもう……」


 母は自分の頭を抱え、崩れ落ちそうになる。周囲の人々はますます困惑した表情で彼女を見ている。



 その時、騒ぎを聞きつけた警察が現れた。若い警官が優しい声で母に話しかける。


「どうされましたか?何かお困りですか?」


 しかし、母は警官の姿を見た途端、さらに錯乱し始めた。

「あなたたちも敵なんでしょ!私を追い詰めるために来たんでしょ!」


 警官は困惑しながらも冷静に対応しようとしたが、母は収まらない。

「すべて私を奪おうとするんだわ……誰も信じられない!」


 母の激しい言葉に、すばるは何もできず、ただ立ち尽くしていた。結局、警官に宥められた母は、連れて行かれる形でその場を後にした。



 すばると沙月はアパートに戻り、部屋の中に入るなり二人ともその場に座り込んだ。部屋の静けさが、さっきの騒動の余韻を際立たせている。


「……ごめん、沙月。巻き込んでしまって。」

 すばるは自分を責めるような声で呟いた。


 沙月はすばるの隣に座り、言葉を選ぶようにして答えた。

「ううん……でも、あんなに心配してくれるお母さんなんだね。」


「……そうだね。けど、あの人にとって、ぼくはただの息子以上の何かなんだと思う。」

 すばるの声には、どこか諦めが混じっていた。


 沙月は静かにすばるの手を取った。その手の温かさに、すばるは少しだけ肩の力を抜いた。


「沙月……ぼくは、どうしたらいいのかな。」


 沙月は何も言わず、そっと寄り添うだけだった。母との対峙によって再び浮き彫りになった自分の過去と、彼女の執着。それをどう向き合うべきか――すばるの胸には新たな課題が重くのしかかっていた。


 夜は、ただ静かに更けていく。

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