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懐かしさと過去との対峙

 初秋の冷たい風が、まだ夏の名残を残す校門の隙間から吹き抜けた。星宮すばるは背筋を伸ばしながら、ゆっくりと母校の門をくぐった。


「ただいま……」


 小さく呟いた言葉は誰にも届かない。それでも、この場所に再び立っているという事実が、すばるの胸に微かな震えを与えていた。制服姿の生徒たちが笑いながら登校してくる。その姿を横目に、かつての自分を重ね合わせる。


「まさか、戻ってくるなんてね……」


 すばるは、ふと立ち止まり校舎を見上げた。白い壁に大きな窓。すべてが懐かしく、そして少しだけ遠く感じる。実習生として戻ってきた母校――そこには、高校時代に抱えていた悩みや焦り、そして未来への期待が確かに刻まれていた。


「星宮!」


 指導担当の先生の声が背後から響いた。すばるは慌てて振り向き、鞄を肩に掛け直す。担当は、すばるが在学していた頃の進路指導の教師――松尾先生だった。すばるが卒業後も変わらぬ姿で、その厳しさの中にある温かさは健在だった。


「今日から実習だな。緊張してるか?でも、心配するな。お前ならきっと大丈夫だ」


「はい……よろしくお願いします」


 松尾先生の背中について校舎内を進みながら、すばるは無意識に胸の鼓動を抑えようとしていた。教師の目線で見る教室や廊下、黒板、机――その一つひとつが、当時の自分を鮮明に思い出させる。


(あの頃のぼくは……どうだった?)


 進路に悩み、友人たちと笑い、そして初めて未来を真剣に考えた場所。それがこの高校だった。だが今、教師として立つ自分に対して、どこか不安が消えない。自分が生徒たちを導く立場になれるのか――そんな疑問が、胸の中を小さく渦巻いていた。


 午前中の授業見学を終え、すばるは職員室へ向かっていた。初日ということもあり、まだ生徒たちとの接触は少ない。だがその分、教師たちの目線に触れる機会が多く、すばるは気を張り詰めていた。


「おお、星宮か!立派になったなぁ!」


 職員室に入ると、かつての先生たちが笑顔で声をかけてくれた。その言葉は嬉しくもあり、どこか気恥ずかしい。すばるは頭を下げながら、ぎこちなく笑ってみせた。


「教師志望なんだって?頑張れよ!」


「ありがとうございます……」


 その時、松尾先生がすばるの隣で静かに椅子に座り、彼をじっと見つめた。


「星宮、お前は大学生活はどうなんだ?きちんとやっているのか?」


「え……あ、はい。まあ、なんとか……」


 その問いに、すばるは咄嗟に答えたものの、声はどこか歯切れが悪かった。視線は自然と手元に落ち、松尾先生の目を正面から見ることができない。


「なんとか、か……」


 松尾先生は少しだけ眉をひそめ、鋭い視線をすばるに向けた。


「なあ、星宮。教師というのは、子どもたちの前に立つ立派な大人でなければならん。今のお前はどうだ?胸を張って生徒たちの前に立てるか?」


「……それは」


 すばるの言葉が詰まる。後期に成績を大きく落とし、目標すら見失いかけていたあの頃の自分が脳裏に浮かぶ。沙月と過ごす甘い日々に溺れ、現実から目を背け続けた――その事実が、今になって彼の心を重くした。


「まあ、今すぐ答えが出なくてもいい。ただし、教師になりたいと思うなら、自分自身がまず努力し続ける姿を見せなければならん。それだけは忘れるな」


 松尾先生の言葉は厳しいながらも、どこか温かかった。その言葉が、すばるの心に深く突き刺さる。


「……分かりました」


 すばるはそう答えながら、内心では焦りが募っていた。沙月との関係、落ちた成績、目標に対する曖昧な姿勢――それらすべてが、自分を縛り付けているように感じた。




 放課後、すばるはカフェテリアの隅で一人、窓の外を眺めていた。初日の実習の疲れと、松尾先生の言葉が重くのしかかり、ため息が漏れる。


「すばる?」


 ふと聞き慣れた声に顔を上げると、そこにはゆうきと遥香が立っていた。二人ともいつものように明るい表情だが、どこか心配そうにこちらを見ている。


「なんだよ……ゆうき、遥香。二人でどうしたの?」


「たまたまカフェに寄ったら、お前が黄昏れてんだもん。放っておけないだろ」

 ゆうきは軽い調子で言いながら、向かいの席に座る。


「初日、お疲れ様!」

 遥香も笑顔で言いながら、すばるの隣に座った。


「実習、どうだった?」


「……まあ、なんとか無事に終わったよ」


「私もね、初日はすごく緊張したけど、子どもたちが笑ってくれた瞬間、ああ、頑張ろうって思えたんだよね」

 遥香が笑顔で話す。


「お前はどうだ?俺のほうは福祉施設の見学続きで頭がパンパンだよ」

 ゆうきが大げさにため息をつき、すばると遥香は小さく笑う。


「……でも、こうやってみんなそれぞれ頑張ってるんだよな」

 すばるは静かに呟いた。


「すばるなら大丈夫だよ!教師ってね、ちゃんと生徒に向き合って、一緒に成長していくのが一番だと思う」

 遥香が励ますように言葉をかける。


 その時だった。


 カフェの扉が軽やかな音を立てて開き、すばるが無意識に顔を向けると、そこに沙月が立っていた。周囲を一度見渡し、すばるを見つけた沙月の顔がぱっと明るくなる。


「すばるくん、いた!」


 沙月は笑顔で足早に駆け寄り、当然のようにすばるの隣に腰を下ろす。その仕草は自然で、すばるも驚きつつ、なんだかんだで安心する自分に気づいていた。


「沙月……どうしたの?」


「んー、早く終わったから会いたくなって。帰ろ?」


 沙月はすばるの手を握り、甘えるように微笑んだ。その姿に、すばるはほんの一瞬戸惑ったが、沙月の柔らかな表情に引き寄せられるように、何も言えなくなる。


 ゆうきがそんな二人の様子をじっと見つめ、口を開く。


「お前……ちゃんと考えろよ?」


 その言葉に、すばるは一瞬だけ視線をゆうきに向けたが、すぐに逸らし、ぎこちなく微笑んだ。


「……分かってるよ。」


 ゆうきは小さくため息をつき、遥香もどこか複雑そうな表情で黙っていた。沙月は何も気にする様子もなく、すばるの手を引っ張るようにして立ち上がる。


「ね、行こう?」


「……うん」


 すばるはゆっくりと立ち上がり、沙月の手を握り返した。その背中を見送りながら、ゆうきはぽつりと呟く。


「……変わんねぇな。昔からそうやって人を引き寄せるけど、肝心なとこで立ち止まるんだよ」


「でも……すばるくん、少しずつ前に進んでるよ」


 遥香の言葉は静かに、けれど確かな思いを込めて呟かれた。


 すばるは気づかない。自分を取り巻く環境が、少しずつ変わり始めていることに――。



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