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春風が連れてきた出会い

 大学に入学して数週間、星宮すばるは広いキャンパスを歩きながら、小さくため息をついた。

 広々とした学部棟や人で賑わうカフェテリア、講義の合間に行き交う学生たちの活気に圧倒されながらも、どこか自分だけが取り残されているような感覚に囚われる。


「これで本当に教師になれるのかな……」


 幼い頃、自分を救ってくれた麻子先生のような教師になりたい。その思いから教育学部を選んだ。

 しかし、ふとした瞬間に自分の無力さや頼りなさを痛感し、胸の中に渦巻く不安が拭いきれない。


 もし、教え子の中に、幼少期の自分と同じような境遇の子どもがいたら――その時、自分は耐えられるだろうか。そんな不安が、すばるを悩ませていた。

 結果、すばるは「高校教師なら、少し距離を取れるかもしれない」と思い、挑戦の舞台を高校に定めたのだった。


 唯一、同じ大学に通う幼馴染のゆうきの存在が、すばるにとっての救いだった。

 気さくで明るいゆうきは、すばるを何かと誘い出してくれる存在だ。


「すばる、昼飯行こうぜ! 今日は俺が奢るから!」

「珍しいね、奢ってくれるなんて。」

「たまにはな。お前、なんかずっと悩んでる顔してるし、ちょっと元気出せよ!」


 そんな会話が、すばるの日常にささやかな明るさをもたらしていた。



 ある日の午後、すばるは講義を終え、学部棟前のベンチに腰掛けていた。

 手元の教科書をぼんやりと眺めながら、今日の講義内容を思い返していると、視界の端で誰かが小さな冊子を落としたのが見えた。


「あの、これ……落としましたよ。」


 すばるが冊子を拾い上げ声をかけると、相手の女性は振り返り、明るい表情を浮かべた。

 長い髪をポニーテールにまとめたその女性は、どこか堂々とした雰囲気を漂わせていた。


「ありがとう!助かったよ!」


 その明るい声に、すばるは一瞬言葉を失った。


「星宮くん、だよね?同じ教育学部だよね。」


「え、あ、はい……そうですけど、なんで僕の名前を?」


「今日の講義で先生が出席取ったじゃない。それで覚えたんだよ。『星宮昴』って名前、すごく覚えやすいよね。」


 彼女は屈託のない笑顔を浮かべた。それがどこか眩しくて、すばるは自然と惹かれる自分を感じていた。


「それにしても、教育学部って人多いから、こうやって顔を覚えるのも一苦労だよね。でも、星宮くんは目立つ方だと思うよ!」


「そ、そうですか……?」


 どこか意外そうな表情を浮かべながら答えるすばるに、彼女は軽く笑って言った。


「そうそう、今日の放課後、学部の交流会があるの知ってる?星宮くんも参加する?」


 突然の誘いに、すばるは戸惑ったが、特に断る理由もなく頷いた。


「特に用事もないので、参加します。」


「良かった。じゃあ、あとで一緒に行こう!私は沙月、白石沙月(しらいし さつき)。よろしくね!」




 交流会が行われるホールには、同じ教育学部の学生がたくさん集まっていた。

 最初はどうしても気後れしてしまい、すばるは壁際でおとなしくしていたが、沙月が積極的に彼を連れて他の学生たちと引き合わせてくれた。


「みんな、星宮くんって言うんだよ!めっちゃいい声してるんだから、ちゃんと話してみて!」


 沙月の明るい呼びかけに、周りの学生たちは興味津々の様子で話しかけてきた。


「すごいね、星宮くん。声、癒し効果ありすぎじゃない?」

「なんか、聞いてるとホッとするっていうか……アイドルとかやったら人気出そう!」


 予想外の評価に、すばるは困惑しながらも「そんなことないです」と控えめに答えるばかりだった。

 それでも、沙月が近くでにこやかにフォローしてくれたおかげで、次第に緊張もほぐれていった。


 自己紹介タイムでは、すばるは立ち上がり、小さな声で言った。


「星宮すばるです。将来、高校の教師になりたいと思っています……よろしくお願いします。」


 その控えめな態度と高い声に、再び会場からは温かな笑いと拍手が起きた。

 すばるは少し照れながらも、その場の雰囲気に居心地の良さを感じ始めていた。



 交流会がひと段落した後、沙月と二人で話す時間ができた。

 お茶を片手に、沙月は軽い調子で尋ねてきた。


「星宮くん、将来高校の先生になりたいって言ってたよね?どうして?」


「……昔、麻子先生っていう小学校の先生に出会って、すごく助けられたんだ。その時、初めて『大人って信用できるんだ』って思えて。それで、僕もそんな先生になりたいって思ったんだ。」


「そっか……でも、高校の先生っていうのがちょっと意外だな。小学校じゃダメだったの?」


 すばるは少し躊躇いながら、静かに答えた。


「小学校だと……たぶん、自分と同じような境遇の子がいた時、正直耐えられないと思うから。それに、高校生なら少し距離を置いて接することができるんじゃないかって……。」


 沙月はその言葉を聞いて、一瞬真剣な表情を浮かべた後、穏やかに微笑んだ。


「なるほどね。でも、それってすごいことだと思うよ。ちゃんと自分の気持ちを整理して、それでも教師を目指そうとしてるなんて。」


 その言葉に、すばるの胸には小さな勇気が芽生えていた。




 翌日、学食での昼食時。すばるは昨日の交流会のことをゆうきに話していた。

 沙月との出会いのことや、周囲の学生たちとの和やかな会話が楽しかったことを語るすばるの様子を見て、ゆうきはニヤリと笑みを浮かべた。


「へぇ、昨日はモテモテだったらしいな。俺の友人まで、みんな“星宮くんってかわいい”って噂してたぞ?教育学部の交流会なのに、どこまで名を轟かせるんだよ。」


「そ、そんなわけないだろ……」すばるは思わずスプーンを落としそうになりながら、否定する。


「いやいや、本当に。“癒される声”とか“あの小柄な感じがたまらない”とか、評判だぞ。すばる、大学デビューだな!」


 からかうように話すゆうきの言葉に、すばるは頬を赤らめながら苦笑するしかなかった。


 すると、ちょうどその時、背後から聞き慣れた声がした。


「星宮くん!」


 振り向くと、そこには沙月が立っていた。小さなトレイを片手に持ちながら、柔らかい笑顔を浮かべている。


「昨日はお疲れさま!あの後、みんなで“次はピクニックとかやりたいね”って話してたんだけど、星宮くんも参加するよね?」


 突然の沙月の登場に、すばるは驚きながらも、軽く頷いた。「あ、うん。楽しそうだね。」


 そのやりとりを横で聞いていたゆうきが、さっと立ち上がり、沙月に向けて手を差し出した。「お、君が沙月さん?話には聞いてたよ。俺、空野裕樹(そらの ゆうき)って言うんだ。ゆうきって呼んでくれ。こいつの幼馴染だ、よろしく!」


「はじめまして!白石沙月です。昨日は星宮くん、すごく人気者でしたよね!」


 沙月が楽しそうに笑うと、ゆうきはさらに興味を引かれたように、彼女と話し始めた。「へぇ、すばるが人気者か……これは意外だな!」




 そんなやりとりをしながらも、すばるの大学生活は少しずつ楽しく、充実したものになりつつあった。



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