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 すばるが語り終えると、リビングは静寂に包まれた。時計の針の音だけが響く中、あゆみは深く息をついた。


「すばるさん……そんなに辛いことがあったなんて。」


 震える声でそう呟いた彼女の目には、驚きと涙が浮かんでいた。すばるがこれまでどれだけの試練を乗り越えてきたのか、その話はあまりにも壮絶で、ただ言葉を失うしかなかった。


「あゆみちゃん……驚かせたかな。」


 すばるは少し苦笑しながら言った。


「でも、いつかちゃんと話したいと思ってたんだ。僕が今ここにいられる理由を。」


 あゆみは目を伏せ、胸に広がる感情を押さえるように深呼吸をした。


「すばるさんが、今こうしてここにいてくれて本当に良かったです。」


 その言葉は、心の底からの感謝だった。もし彼が命を絶ってしまっていたら――その考えが頭をよぎるたび、涙が込み上げてきた。


「こんなに辛い過去があったのに、今も私たちの前で笑ってくれてるなんて、本当に奇跡みたいです。」


 あゆみは言葉を詰まらせながら、目尻を押さえた。その様子を見たすばるは、そっと手を伸ばして肩に触れた。


「ありがとう。そう言ってもらえると、少しだけ救われた気がするよ。」



 そのとき、あゆみはふと思い出したかのように顔を上げた。その目には涙が浮かんでいるものの、どこか真剣な光が宿っていた。


「すばるさん……今は、もう怖くないんですか?」


 その問いは、彼女の純粋な気持ちから出たものだった。すばるの話を聞きながら、彼がどれだけの恐怖を抱えて生きてきたのかを知ったからこそ、今の彼の心境をどうしても知りたくなった。


 すばるは少し驚いたようにあゆみを見つめたが、すぐに優しい微笑みを浮かべた。


「怖くないって言ったら嘘になるよ。でも……少しずつ慣れてきたんだ。過去のことは、もう変えられないからね。」


 あゆみは安堵した。彼の苦しみが、恐怖が続いていないことが何より嬉しく感じられた。


「安心したら喉が渇きましたね。ココアでも入れるからちょっと待っててください。」


 そう言うとあゆみは立ち上がった。


 その時1枚の写真が目にとまった。


 結婚式の写真だ。あゆみはその写真を手に取りながら結婚式の日のことを思い出した。


「あの……麻子先生と圭吾くんって、結婚式に来てくれた方ですよね?」


 その問いに、すばるは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頷いた。


「ああ、そうだよ。二人とも忙しい中、わざわざ時間を作って来てくれたんだ。」


「それから、ゆうきさんのことも……大学時代からの親友って紹介されましたよね?」


 すばるは少し困ったように眉を下げたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「そうだったね。」


「あのときは、そんな話全然しませんでしたよね。ただの“すばるさんの友人”って感じで。」


 あゆみが首をかしげながら言うと、すばるは少し照れくさそうに肩をすくめた。


「まあ、そうだね。あの場では過去の話なんてする気になれなかったよ。ただ、みんなに楽しんでもらえればそれで良かったから。」


「いつも思うけどそういうところ、すばるさんの素敵なところですよね。」


 あゆみは少しおどけたような口調でそう言ったあと、真剣な表情に戻りながら続けた。


「でも……小学校からの親友って紹介していたら、きっと私、二人のことをもっと聞きたくなってたと思うんです。ミニバスのこととか、大会のこととか、楽しい思い出がたくさんあるはずですもんね。」


 そこで一息つき、少し目を伏せて言葉を紡ぐ。


「でも……二人の友情って、そんな楽しい話だけじゃないですよね。すばるさんにとって、きっと特別で、深いものなんだろうなって。」


「麻子先生、圭吾、そしてゆうき。彼らはぼくの恩人なんだ。」


 少し自慢げに話すすばるを見て、宝物を自慢する子どもを見ているような気分になった。



 そんなすばるの話を聞いている間に、あゆみの胸には一つの疑問が湧いてきた。


 きっと麻子先生への憧れから教師を目指したのだろうと想像できる。


 だが、蓮と莉桜、そして元妻の存在については、まだ何も聞いていない。


 どんな経緯で元妻と出会い、子どもたちを授かり、そしてどのようにして今の家族が形成されたのか――。その答えを知るべきではない、そう思いながらも、あゆみの胸にはどうしても押さえきれない感情が渦巻いていた。


「ごめんなさい……こんなことを聞くのは良くないって分かってます。でも、どうしても知りたいんです。」


 あゆみは、膝の上でぎゅっと手を握りしめながら続けた。


「あの子たちのこと、そして……元奥さんのことを。」


 その言葉を聞いた瞬間、リビングに再び静寂が訪れた。すばるは短く息をつき、少し困ったように視線を落とした。



 その表情を見て、あゆみは言葉を急いだ。


「本当にごめんなさい。こんなことを聞くのは無神経だって分かってます。でも……」


 声が震え、次第に大きくなる。


「でも、どうしても許せないんです。すばるさんがこんなに辛い思いをしてきたのに……どうして、元奥さんはすばるさんを支えなかったんですか?」


 その言葉を吐き出すと、あゆみは自分でも驚いたように息を飲んだ。


「……私は、すばるさんがどれだけ大変な思いをしてきたか、少しだけでも分かったつもりです。でも、元奥さんがそのすばるさんを裏切ったことがどうしても許せないんです。」


 自分の言葉に涙が込み上げ、あゆみは顔を伏せた。


「こんなふうに感情的になってごめんなさい。でも……それがどうしても抑えられなくて……。」



 重苦しい空気を感じ取ったのか、あゆみは不意に顔を上げた。そして、少しぎこちない笑みを浮かべると、突然立ち上がり、拳を軽く振り上げてみせた。


「それに、元奥さんはわたしの恋敵でもありますしね!!」


 唐突なその言葉に、すばるは目を丸くした。


「あゆみちゃん?」


「だって、私、高校生の時からずっと見てたんですよ!私の方が絶対愛情深いんです!なのに……なのに、あんなにかっこいい先生を私の断りもなくさらっていくなんて――許せない!!」


 そう言いながら、あゆみはパンチを繰り出すような仕草をしてみせた。


「こうやって一発、言ってやらなきゃですね!」


 その動作があまりにもコミカルだったため、すばるは思わず吹き出してしまった。


「ちょ、あゆみちゃん、それはさすがに言い過ぎだろ。」


「でも、私にだって言いたいことあるんです!すばるさん、もっと私に感謝してくださいね!こんなに真面目に、愛情深く、全力で支えてるんですから!」


 あゆみは勢いよく言い切ると、腕を組んでふんっと顔をそらした。その姿があまりにも子どもっぽく見えて、すばるは笑いをこらえきれなかった。


「わかった、わかった。感謝してるよ、本当に。」


 その言葉に、あゆみは照れたように頬を赤らめ、少しだけ視線をそらした。



 少し空気が軽くなったところで、すばるは深呼吸を一つし、静かに話し始めた。


「あれは……大学生のころだった。」


 その言葉を皮切りに、すばるの記憶はさらに過去へと遡っていく――。







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