見知らぬ天井
「すばる!」
遠くから聞こえる声。圭吾だ。なぜ圭吾がここにいるんだろう。
「この引きこもりはまだ寝ていたいらしいよ。」
からかうような声に、すばるの眉が少し動く。ゆうきだ。どうしてゆうきまで――?
「ゆうき、そんな言い方しなくても良いじゃないか。」
圭吾がたしなめる声が聞こえる。
「すばる!」
今度は母親の声だ。最近、何かにつけてうるさいんだよな。無視しよう。そう思ったのに、なぜか心にわずかな引っかかりが生まれる。
「星宮君。」
優しい声がした。その声にすばるの胸が少しだけ締め付けられる。麻子先生――なぜここに?
目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。蛍光灯の白い光がぼんやりと揺れ、消毒液のような匂いが鼻を突く。周囲には機械の音が静かに響いていた。
「……ここ、どこだ?」
呟いた自分の声が思ったよりも小さく、喉の奥に詰まったように感じた。視線を巡らせると、周囲には見慣れた顔が並んでいた。
ベッドの脇に座っていたのは母親だ。その隣にはゆうきと圭吾。そして、少し離れた椅子には、かつての担任である麻子先生がいた。
「すばる!」
母親が安堵した表情で声を上げた。
母親がすばるの手を握りしめながら、涙ながらに語る。
「図書館の管理人さんが、あなたを見つけてくれたの。湖で倒れていたところを。」
その言葉に、すばるは目を丸くした。
「……湖で?」
「そうよ。管理人さんが湖に面した窓から外を見て、倒れている人影を見つけたの。急いで駆けつけて、すぐに通報してくれたおかげで、助かったのよ。」
その説明を聞きながら、すばるの頭の中は混乱していた。湖に行った記憶はある。けれど、倒れていたなんて――それは自分の中で全く繋がらなかった。
その時、断片的な記憶がすばるの頭に蘇る。冷たい水の感触、胸を締め付ける苦しさ、そして静かに昇る泡――。
「……僕は、本当に溺れていたんだろうか?」
思い返しても、そのときの自分には溺れているという実感はなかった。ただ、目の前に広がる湖の静けさに飲み込まれるような感覚だった。
「冷たくて、苦しくて、でも……不思議と心地よかった。」
声に出して言うつもりはなかったが、その思いが胸の中でくすぶる。目を伏せると、母親がさらに語りかけた。
「溺れているという自覚がないまま、命を落としてしまう人もいるって、先生が教えてくれたわ。でも、あなたは助かったのよ。本当に良かった。」
その言葉に、すばるは複雑な気持ちを抱えながら、手元を見つめた。
「お前、心配かけすぎだろ。」
ゆうきが腕を組んで軽く睨むように言う。しかし、その声にはどこか安心したような響きがあった。
「すばる、何も言わなくてもいい。でも、無理に一人で抱え込むなよ。」
圭吾がそう言いながら、肩に手を置いた。その温かさが、すばるの体にじわりと染み渡る。
「どうして……」
すばるは呟いた。
「どうしてみんな、そんなふうに……僕なんかのために……」
母親は涙を浮かべながら、すばるの手を握った。
「すばる、私が何も気づいてあげられなくてごめんね。でも、これからは一緒に考えたいの。一人で抱え込まないで。」
その言葉に、すばるは胸が締め付けられるようだった。自分がどれほどの迷惑をかけたか、どれほどの心配を与えたか――すべてが押し寄せてきた。
「僕、どうすればいいのかわからない……」
涙が自然と頬を伝う。こんな自分が、みんなの優しさに甘えていいのだろうか。
麻子先生が静かに言った。
「まずは少しずつ、話すところから始めよう。何が怖いのか、何が辛いのか。誰かに伝えることが一歩になるよ。」
すばるはその言葉を聞いて、ゆっくりと頷いた。言葉にはできなくても、今の自分を変えたいと思う気持ちがどこかに芽生えた気がした。
「ありがとう……」
その言葉は、すばる自身にも届いているようだった。




