崩壊寸前の心
その日の夕方、部屋に閉じこもったままのすばるに向かって、母親がいつもより強い口調で声をかけてきた。
「すばる、もういい加減にして!学校に行けとは言わないけど、何か前に進むことを考えなさい!」
ドア越しに聞こえる母親の声には、これまで抑えていた焦りや疲労が滲んでいた。その一言は、すばるの胸を針のように刺した。
部屋の中、布団の中で体を丸めていたすばるは、母親の言葉に背を向けたまま、力なく呟いた。
「何を前に進むって言うのさ……僕には何もできないし、何もする気になれないよ。」
冷えた声が空気を切り裂くように響く。ドアを開けた母親が、部屋に足を踏み入れてきた。
「すばる、あなたはそんな人じゃない。何もしないで諦めるなんて、あなたらしくないわ。」
その言葉に、すばるは布団を蹴り飛ばして勢いよく立ち上がった。乱れた髪のまま母親を睨みつけ、声を荒げる。
「らしくない?じゃあ、何が僕らしいって言うのさ!」
母親の驚いた表情を見ても、すばるの言葉は止まらなかった。むしろ、これまで自分の中に溜まっていた感情が爆発するように溢れ出していった。
「ぼくはずっと怯えてきた!怒られないように!殴られないように!らしさを言うのなら、この臆病な僕がらしさだよ!」
一度走り出した言葉は止まることはなかった。
「どうせ僕が弱いから、何もできないんだよ!だから、学校にも行けない。部活だって続けられない。」
母親は一瞬、息を呑むようにして立ち尽くした。その静かな反応が、すばるには苛立たしく思えた。
「お父さんもそうだったよね!」
すばるの声がさらに大きくなる。
「こんな僕だから、毎日殴ったんだ!僕が弱いから、ダメな人間だからだよ!」
母親の目に涙が浮かぶのが見えた。しかし、すばるの言葉はまだ止まらなかった。むしろ、母親の表情が、すばるの心の傷をさらにえぐる。
「僕だってわかってるよ!こんなやつが目の前にいたら、そりゃ殴りたくもなるさ!」
自嘲するように笑いながら、すばるは続ける。
「自分でも思うもよ!僕みたいなやつ、殴られて当然なんだ!」
母親は震える声で言った。
「すばる……そんなこと、言わないで……」
その声には悲しみと懇願が混ざっていた。母親は一歩、すばるに近づこうとした。だが、すばるはそれを拒絶するように手を振り払った。
「近寄らないで!僕は何も変われないし、変わりたくもない!」
母親の肩が小刻みに震える。彼女の目から溢れる涙が頬を伝い、床に落ちていく。その様子を見ても、すばるの胸には何も響かなかった。ただ、自分の言葉が母親を傷つけているという事実に苛立ちと苦しみを感じていた。
「僕なんか、もういなくてもいいんだよ!」
そう叫ぶと、すばるは母親から目を背けてベッドに倒れ込んだ。
母親は、しばらく何も言えずに立ち尽くしていた。肩を震わせながら、絞り出すような声で呟く。
「すばる……どうして……どうしてそんなふうに思うの……」
しかし、その声はすばるには届かなかった。背中を向けたままのすばるは、母親の言葉に何の反応も示さない。
やがて母親は、震える手で自分の頬を拭いながら、部屋を出ていった。ドアが静かに閉まる音が響き、すばるはその音に一瞬だけ体を震わせた。
部屋に残されたすばるは、乱れた布団の中で膝を抱えていた。自分の言葉が母親をどれだけ傷つけたのかは、痛いほどわかっていた。けれど、それを謝る気持ちにはなれなかった。謝れば、自分がこれまで抱えてきた感情を否定することになるように思えたのだ。
「僕が弱いからだ……僕がこんなだから……」
すばるは何度も呟く。言葉にすればするほど、胸の中に渦巻く絶望が深くなっていく。
ふと、目の端に転がったバスケットボールが映った。埃をかぶり、使われなくなったそれは、かつてのすばるの全てだった。ボールに触れることすら怖くなった今の自分を見つめ直すと、さらに胸が締め付けられるようだった。
「どうしてこうなっちゃったんだろう……」
静かに呟く声が、部屋の空気に吸い込まれる。外から聞こえる母親のすすり泣きの音も、すばるには遠く感じられた。




