いじめの影
すばるが中学校で最初に感じた違和感は、教室の中で笑い声が響きすぎていることだった。それは単なる楽しい雰囲気の笑い声ではなく、どこか冷たく、他人を傷つけることを目的としたような響きを持っていた。
教室の隅で机を蹴る大きな音が聞こえるたび、その笑い声は一段と大きくなった。
「おい、また星宮が固まってるぞ!」
ある日、男子生徒の一人がそう言いながら机を蹴る音をわざと響かせた。すばるはその音に再び過去の記憶を引きずり出され、体が硬直し、呼吸が浅くなる。耳鳴りが消えず、目の前がぐるぐると揺れる。
周りのクラスメイトは一瞬戸惑った表情を見せたが、男子生徒はさらに追い打ちをかけるように机を蹴った。
「星宮、また過呼吸か?おもしれー!」
その笑い声に、他の数人もつられるように笑い始めた。
それ以降、すばるに対する嫌がらせは徐々にエスカレートしていった。授業中に小さな音を立てたり、すばるの近くでわざと机を叩いたりして、その反応を楽しむ者が増えた。
すばるは、誰にも相談できないまま耐え続けた。教室の中で逃げ場がないことが、彼をさらに追い詰めていった。ゆうきやミニバスの仲間たちは心配して声をかけてくれたが、すばるは「大丈夫」と繰り返すだけで、深く話そうとはしなかった。
昼休みには、誰もいない図書室や廊下の隅で過ごすことが増えた。しかし、それでもいじめっ子たちはすばるを見つけて追いかけてくる。
ある日、教室の片隅で小さく身を縮めていたすばるの机に、またしても大きな音が響いた。
「ガタンッ!」
机を蹴られたすばるは、その場にしゃがみ込んで震えた。
「こいつ、ホントに面白いよな!」
男子生徒たちの笑い声が、すばるの耳に鋭く突き刺さった。
放課後、すばるが一人で帰ろうとすると、廊下で数人の男子生徒に囲まれた。
「なあ、星宮。今日はどんな反応してくれるんだ?」
その言葉に、すばるは咄嗟に後ろへ下がった。だが、その一歩がいじめっ子たちをさらに楽しませる結果となった。
「ほら、ビビってる!星宮、やっぱお前は面白いな!」
男子生徒の一人が手を叩いて笑いながら、すばるの背中を軽く叩いた。その瞬間、すばるの心に押し寄せたのは、恐怖と恥ずかしさ、そして逃げられないという絶望感だった。
「僕は、どうしたらいいんだ……」
次第に、すばるは人の目を避けるようになった。教室にいる間も、視線を上げることができず、誰かと目が合いそうになるたびに下を向いた。
仲間たちが声をかけてきても、「平気だから」と短く答えるだけで、すぐにその場を離れた。放課後の部活も休むことが増え、バスケコートに立つこと自体が怖くなっていった。
ゆうきがある日、すばるを捕まえた。
「お前、最近おかしいぞ。何があったんだ?」
ゆうきの目は真剣だったが、すばるはただ小さく首を振るだけだった。
「何もないよ。ただ……少し疲れてるだけ。」
それ以上話せない自分が情けなく、ゆうきの目を見ることができなかった。
ある日の昼休み、すばるは意を決して教室の隅に座り、何とか平静を保とうとしていた。そのとき、机を蹴る音が再び教室に響いた。
「ガタンッ!」
すばるの体は反射的に硬直し、呼吸が浅くなった。すぐに過呼吸の症状が現れる。
「まただ!星宮、やっぱ面白いな!」
男子生徒たちはその反応を見て爆笑し、すばるの机をさらに蹴り飛ばした。
「おい、次は誰が蹴る?順番にやろうぜ!」
その声に、周りのクラスメイトは誰も止めることができなかった。教室中に広がる笑い声の中で、すばるは頭を抱え、うずくまるしかなかった。
その日の放課後、すばるは泣きながら帰宅した。家の中に入り、母親が「おかえり」と声をかけるが、すばるは無言のまま自分の部屋に閉じこもった。
机の上には、ずっと触れていなかったバスケットボールが置かれている。それを見つめながら、すばるはそっと手を伸ばした。
かつては、このボールを通じて自分の存在意義を見つけ、仲間と笑い合えた日々があった。だが今、そのボールはただの物体にしか見えなかった。
「どうして、こうなっちゃったんだろう……」
すばるは、静かに涙を流し続けた。