響く音、蘇る記憶
中学校への進学は、すばるにとって新しい希望でもあり、不安でもあった。新しい制服を着て校門をくぐると、慌ただしい生徒たちの動きに少し圧倒される。しかし、すぐに見慣れた顔が目に入った。ゆうきだ。
「お、すばる!同じクラスだってさ!」
ゆうきが笑顔で手を振る。さらに、ミニバスで一緒だった仲間たちも近づいてきた。
「星宮、お前もかよ!よかった、一緒だな!」
「これで休み時間も退屈しなさそうだ!」
すばるは、少し緊張しながらも微笑み返した。知っている顔がいることで、胸の奥にあった不安が少しだけ和らぐ。
自己紹介の時間、すばるは前に立ち上がった。
「星宮すばるです。よろしくお願いします。」
かつての自分なら、こんな場面で声が震えていただろう。だが、ミニバスでの経験や、仲間たちの存在が背中を押してくれる気がした。
その日の昼休み。すばるはゆうきや他の仲間たちと机を寄せて弁当を食べていた。笑い合いながら話をしていると、突然、教室の隅から大きな音が響いた。
「ガタンッ!」
その瞬間、すばるの体が硬直した。音の発生源を振り返ると、体格のいい男子生徒が、おとなしい生徒の机を蹴り飛ばしている。机の中身が床に散らばり、教室中が一瞬静まり返った。
「おい、何コソコソしてんだよ!」
男子生徒が笑いながら言う。その声と音が、すばるの胸を締め付けた。過去の記憶が一気に押し寄せてくる。
「あの音……」
頭の中に浮かぶのは、父親が怒鳴りながら物を壊す光景。
母親が泣いていた時の、あの胸をえぐられるような音。
すばるは顔を伏せ、息を整えようとしたが、胸が苦しくてうまく呼吸ができない。
「すばる、どうした?」
ゆうきが心配そうに声をかけたが、すばるは首を横に振るだけだった。
次の日の放課後、すばるは一人で帰り支度をしていた。
その時、またしても教室に大きな音が響いた。
「ガタンッ!」
振り返ると、また同じ男子生徒が机を蹴り飛ばしている。
今度は、すばるの近くにいた別の生徒が標的になっていた。所謂「やんちゃな生徒」が反応を楽しんでいるようだ。
「もっとしっかりしろよ!」
男子生徒の笑い声が響く中、すばるはその場に立ち尽くした。胸が締め付けられ、呼吸が浅くなる。手足が震え、立っているのがやっとだった。
「やめて……やめてくれ……」
心の中でそう叫んだが、声は出ない。次第に視界がぼやけ、足元が揺れるような感覚に襲われる。ついに耐えきれず、その場にしゃがみ込んだ。
「星宮、大丈夫か?」
近くにいたクラスメイトが駆け寄るが、すばるは言葉を発することができない。ただ、震える手で胸を押さえることしかできなかった。
保健室に運ばれたすばるは、深呼吸を繰り返しながらようやく落ち着きを取り戻した。その頃には、ゆうきともう一人の仲間が保健室の前で待っていた。
「すばる、何があったんだ?」
保健室に入るなり、ゆうきが心配そうに尋ねた。すばるは一瞬迷ったが、小さな声で答えた。
「音が苦手で……あの、机を蹴る音を聞くと、昔のことを思い出すんだ。」
ゆうきは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情に変わった。
「昔のことって……そんなに辛いことだったのか?」
すばるは頷いたが、それ以上は言えなかった。ゆうきはそれ以上追及せず、ただ静かに言った。
「辛いときは無理しなくていい。俺たちがいるからさ。」
その言葉に、すばるは少しだけ救われた気がした。
しかし、その後も机を蹴る音は教室に響き続けた。音を聞くたびに、すばるは胸が締め付けられ、過呼吸になる。仲間たちの励ましがあっても、教室にいることが次第に辛くなっていった。
授業中も気が散り、ノートを取る手が止まることが増えた。昼休みには、教室の片隅や廊下で一人過ごすようになり、仲間たちとも距離ができていった。
「すばる、最近元気ないけど大丈夫?」
ゆうきが気遣って声をかけてきても、すばるは「大丈夫」と短く答えるだけだった。
「僕、このままでいいのかな……」
家に帰ると、母親が笑顔で迎えてくれた。
「おかえり、すばる。学校どうだった?」
「普通。」
すばるはそれだけ答えると、自分の部屋にこもった。
机の上には、ずっと触れていなかったバスケットボールが置かれている。それを見つめながら、すばるはそっと手を伸ばし、軽くボールを床に叩きつけた。
その音は、どこか安心感を与えるものだった。しかし、それでも胸の奥に残る不安が消えることはなかった。
「またあの音が聞こえたら、僕はどうなってしまうんだろう。」
ボールを握りしめながら、すばるはただ静かに目を閉じた。