新しい場所で
すばるの転校が決まったのは、母親と新しい生活を始めて直後だった。これまで通っていた学校に顔を出すのもあと数日。母親からそれを聞かされたとき、すばるは何も言えなかった。
「転校するんだって?」
ミニバスの練習中、圭吾が話しかけてきた。ボールを手にしたまま振り返るすばるの表情には、笑顔がなかった。
「うん……お母さんが決めたんだ。」
その言葉に、圭吾は一瞬言葉を失ったが、すぐに明るい声で続けた。
「そっか。でも、新しいところでもバスケ、続けるんだろ?」
すばるは小さく頷いた。「うん……たぶん。」
それ以上の言葉が出てこない。圭吾や他のチームメイトと一緒に過ごした日々を思い返すたび、胸が締め付けられるようだった。
練習の最後、圭吾が近づいてきて小さな紙袋を渡した。中には、チーム全員の名前が書かれたメッセージカードとミニバスの記念写真が入っていた。
「これ、新しい学校でも頑張れよって、みんなで作ったんだ。」
その場で涙を見せるわけにはいかないと思い、すばるは急いで紙袋をバッグにしまった。
「ありがとう……」
それだけ呟いて、彼は最後の練習場を後にした。
別れの日、クラスメイトたちが集まってお別れのメッセージを渡してくれた。その中には、「また遊びに来てね」「ずっと友達だよ」といった優しい言葉が並んでいたが、すばるは素直に受け止めることができなかった。
「またここに戻ってこれるのかな……」
その不安を隠すように、彼は笑顔を作りながらみんなに手を振った。
転校初日、すばるは慣れない教室の中で、小さく身を縮めていた。
先生に名前を呼ばれて立ち上がると、クラスメイトの視線が一斉に集まる。
その重圧に耐えきれず、すばるの声は震えた。
「ほ、星宮すばるです。よろしくお願いします……」
自己紹介が終わっても、周りから声をかけられることはなかった。
授業中も隣の席の子が話しかけてくることはなく、昼休みになっても一人で教室の隅に座っていた。
給食の時間、すばるは周囲の会話に耳を傾けながらも、入るきっかけをつかめずにいた。
隣の席の子が友達と楽しそうに話しているのを見て、声をかけるべきか悩むが、結局そのまま静かに食べ終わる。
「新しい学校でも、うまくやれるかな……」
その不安は、日を追うごとに大きくなっていった。
放課後、誰にも声をかけられないまま帰り道を歩くすばる。
新しいランドセルが妙に重く感じられた。
母親が迎えに来てくれる車の中で、母親は明るい声で話しかける。
「学校どうだった?友達はできそう?」
すばるはただ小さく頷くばかりだった。
母親の勧めで、すばるは新しい小学校のミニバスクラブに参加することになった。
初めての練習に向かう道中、母親は嬉しそうに言った。
「ここでも活躍できるわよ、すばるなら。」
しかし、練習場に入った瞬間、すばるは圧倒される。知らない顔ばかりのチームメイトたちが、すでに息の合った動きで練習をしていたからだ。
初めての自己紹介でも、「よろしくお願いします」と言うのが精一杯だった。
練習が始まると、コーチがすばるにボールを渡して指示を出した。
「ドリブルでゴールまで行ってみろ!」
すばるは必死にボールを追いかけたが、すぐに他の子に奪われてしまう。そのたびに「頑張れ」と声をかけてくれるコーチや、練習の合間に近づいてきて「大丈夫だよ」と笑顔を見せてくれる先輩もいたが、すばるの胸には孤独感が残った。
練習中、チームメイト同士が掛け合う活発な声が響く中で、すばるだけがその輪に入れていないように感じた。
「僕、ここでもうまくやれるのかな……」
その日は疲れ果てた体で帰宅したが、心の中の不安は消えることがなかった。
新しい生活が始まってからというもの、母親はすばるに対する干渉を強めていた。
「宿題はちゃんとやったの?」「練習のときはもっと声を出しなさい!」
母親の言葉が、すばるの耳に刺さるようだった。毎日繰り返される指示や叱責に、すばるの中には少しずつ苛立ちが溜まっていった。
ある日、母親が練習場まで迎えに来たときのことだった。
「コーチにちゃんと挨拶した?他の子たちとちゃんと話せたの?」
すばるは無言のまま車に乗り込んだ。
「すばる、返事くらいしなさい!」
母親の声に、すばるはとうとう抑えきれずに叫んだ。
「もうやめてよ!僕はちゃんとやってる!」
その言葉に、母親は驚いたような顔をして黙り込んだ。車内には気まずい沈黙が広がった。
その夜、すばるは一人で布団の中にこもりながら、圭吾や前のチームの仲間たちの顔を思い浮かべていた。新しい環境に馴染めず、母親との距離にも悩む中で、唯一の心の支えだったのは、バッグの中にしまった紙袋だった。
そっと取り出し、カードに書かれた「頑張れよ、すばる!」という文字を読み返すたび、胸の奥が温かくなる。
「またここで、自分の居場所を作らなきゃ。」
すばるは、小さく拳を握りしめた。