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決意と影とボールと

 圭吾からミニバスへの参加を誘われたすばるは、期待と不安の間で揺れていた。


 クラスメイトと一緒にボールを追いかける楽しさを思い出すたびに胸が躍る一方で、親の許可が必要だという現実が、彼の小さな胸を重くしていた。


「お母さんに頼めば、許してくれるかもしれない。でも、お父さんが反対したら……」


 父親の冷たい視線と鋭い声を思い出すだけで、言い出す勇気が失われそうになる。


 夜、布団の中で悩み続けるすばるの脳裏に、ふと小学校の担任だった麻子先生の言葉が蘇った。


「例えば、運動会のかけっこを思い出してみて。スタートの合図が鳴ったとき、誰かが一歩を踏み出さないと、ゴールには絶対にたどり着けないよね?

 たとえ途中で転んだり、最後にゴールすることになっても、最初の一歩を踏み出した人はそれだけで素晴らしいんだよ。行動を起こすっていうのは、誰にとっても勇気のいることだから。」


 その時は何となく聞き流していた言葉だったが、今はその意味がわかる気がした。心の奥で小さな灯りがともるような感覚があった。


「言ってみないと、何も始まらないよな……」

 決意を固めた彼は、小さく拳を握りしめた。



 翌朝、台所で朝食の準備をしている母親の背中を見つめながら、すばるは自分の心臓の音が大きくなるのを感じた。何度も頭の中でシミュレーションした言葉を思い出しながら、意を決して声をかけた。


「お母さん、僕……ミニバスに入りたいんだ。」

 母親は一瞬、包丁を持つ手を止めた。振り返った彼女の表情には驚きが浮かんでいた。


「ミニバス?」

「うん、小学生向けのバスケのクラブ。友達に誘われたんだ。すごく楽しいと思うから、やりたいんだ。」

 すばるは緊張で声を震わせながらも、必死に自分の思いを伝えた。


 母親はしばらく考え込むように黙ったが、やがて優しく微笑んだ。


「すばるがそんなにやりたいなら、試しに行ってみましょう。私もコーチと話してみるわね。」

 その言葉を聞いた瞬間、すばるは胸が熱くなり、思わず「ありがとう」と呟いた。




 その週末、すばるは母親と一緒にミニバスの練習場へ向かった。


 体育館には、子どもたちが楽しそうにボールを追いかけている姿があった。すばるの心は緊張と興奮で高鳴った。


「じゃあ、僕、行ってくる!」

 すばるはボールを持ち、コートに駆け出した。


 母親がコーチと挨拶を交わすと、コーチは柔らかい笑顔で話し始めた。

「すばる君、初めてとは思えないほど動きが良いですね。このクラブでは、チームの一員として楽しくバスケットを学べる環境を大事にしています。ぜひ、すばる君にも仲間に加わってほしいです。」


 母親は少し考え込んでから、小さく頷いた。

「すばるがやりたいことなら、私も応援します。ただ、今の家庭の状況では、練習のたびに送り迎えが必要になりそうで……」


 その言葉に、コーチは「可能な範囲で大丈夫ですよ」と優しく応えた。


 練習を終えて戻ってきたすばるに、母親は笑顔で言った。

「すばる、これから一緒に頑張りましょう。」


 その瞬間、すばるの心に灯った希望が、胸いっぱいに広がった。








 一方で、すばるが練習に行っている間、母親は少し離れた建物の中で、小さな窓越しに相談員と向き合っていた。机の上にはいくつかの書類が広がり、その一枚一枚に母親の目が慎重に走る。


 その部屋の空気は、どこか冷たく、けれども新しい風を呼び込もうとするような感覚があった。相談員の言葉は柔らかく、それでもどこか決断を迫るような響きを持っていた。



「道を選ぶのは、いつだって難しいものです。でも、お子さんが進む道を照らすために、必要なことを考えましょう。」

 その声に、母親は微かに頷いた。



 視線を下げた彼女の手には、小さなペンが握られていた。手元の紙に筆を走らせるたび、彼女の心の中で響く言葉があった。

「すばるには、明るい未来を見せてあげたい。そのためには、今の道を変えなければ……。」



 ペン先が紙を滑る音だけが静かに響き、母親はふと立ち止まる。窓から差し込む光が机の上に影を作り、その影は、未来へと続く細い道筋を象徴しているかのようだった。




 ミニバスで得た楽しさと家庭の重苦しさのギャップに揺れていたすばる。コートでは自由を感じられるのに、家では母親の隠し事や父親の不機嫌さに押しつぶされそうになる。


 ある日、練習から帰宅したすばるは、リビングのテーブルに置かれた書類の束と印鑑を目にした。それは見慣れない言葉が書かれた書類で、明らかに重要なものであることがわかった。


「お母さん、これ……何?」

 すばるの問いかけに、母親は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに書類を片付けながら微笑んだ。


「ちょっと大事なことをしてたのよ。すばるには関係ないから大丈夫。」

 母親の声は優しかったが、どこか寂しげでもあった。すばるは、その言葉に納得しきれない気持ちを抱えながらも、深く問い詰めることはできなかった。



 それでも、すばるは前を向こうと決意していた。ミニバスでの練習が続く中で、少しずつ自信をつけていく自分を感じながら、母親に笑顔を見せた。


「お母さん、僕、もっと頑張るから!ちゃんと見ててね!」

 母親は少しだけ涙ぐみながら頷いた。「もちろんよ、すばる。」


 その言葉が、すばるにとっての大きな支えとなった。暗いトンネルの中でもがくような日々の中で、ミニバスのコートはすばるにとって一筋の光となり、母親の背中を押す力となっていく。


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