ミッドウェー海戦の兵装転換 44
この頃の日本海軍は、各々自らの所属機で上空を守るというシステムであったようなので、瑞鶴がどれだけ戦闘機を持っていようが瑞鶴の上空だけが防御が厚くなるということになってしまう。
それでは結局結果は変わらないので、ここでは海軍の通例を崩し、瑞鶴の上空に八機、他空母の上空に八機という体制にすることにする。
珊瑚海海戦時、翔鶴と瑞鶴から合計十九機の戦闘機を上空警戒にあてている。
それに対し、ミッドウェー海戦時の上空警戒は十二機だけ。
これだけでも敵が来ないことを前提に作戦を組んでいたのではないかと思えてくるのだが、同じ翔鶴と瑞鶴に瑞鳳が加わった南太平洋海戦では上空警戒は十五機。
このことから南雲中将ほか機動部隊の中枢はミッドウェーであれだけやられても「攻撃は最大の防御」、「皮を切らせて骨を断つ」などと考えていたのではないかと思えてくる。
しかも、この数を上空警戒に回しただけで護衛の戦闘機の数が足りず、攻撃隊が大被害を受けている。
このことから、戦闘機と、爆撃機と攻撃機との割合が根本的に間違っていると思われる。
戦闘機を多くしてしまうと敵を攻撃できる機体が少なくなると考えていたのだろうが、結局護衛が少ないと落とされる数が多くなるので結果は彼らが思っていたとおりにはならないことは史実を見ればあきらかである。
ついでに書いておけば、多くの場所で初期の戦いで戦闘機の搭乗員の練度が大戦果の要因とされているが、よく調べると、彼我の戦闘機数は拮抗か日本側が多いことがわかる。
もし、通説どおりでは南太平洋海戦での損害はありえないということになる。
やはり、要因は数ではないのかと思えてくる。




