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ミッドウェー海戦の兵装転換について  作者: 田丸 彬禰


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43/68

ミッドウェー海戦の兵装転換 43 

まず、瑞鶴の艦載機である、戦闘機三十一機、艦爆二十七機、艦攻十一機をどう振り分けるかということであるが、資料を読むと、敵空母はこちらのミッドウェー島攻撃が始まってから真珠湾から出てくると機動部隊の指令部は思っていた節がある。

実際に敵が何も知らなければなっただろうが、毎回自分たちが出向くところに敵が待ち構えていることを不思議に思わないというのはたいした神経と言わざるをえない。


だが、ここは実際海軍中軸よりも少しだけ用心深くし、瑞鶴所属の艦載機はこう振り分ける。


第一次攻撃隊。

戦闘機十五機、艦爆二十七機、艦攻六機。

空母上空直衛

戦闘機十六機。

索敵。

艦攻六機。


攻撃機をすべて下ろし、代わりに第六航空隊の戦闘機二十一機を積み、防空専属という考えもあるが、それは当事の日本海軍の人間には出てこない発想なので却下した。


もちろんこれも相当ありえないような割り振りだが、とりあえずこれで行くことにする。


ちなみに、瑞鶴の艦攻隊を率いるのは嶋崎少佐となり、そうなると彼が第一次攻撃隊の指揮官となる。


もうひとつ。

これは話の本筋から外れる余談的なものなのだが、真珠湾攻撃時の総指揮官淵田中佐はミッドウェー海戦時、病気療養中で赤城には乗っていたものの攻撃隊の指揮はできなかった。

もし、彼が体調に問題がなかった場合、攻撃隊はどうなったのだろうか?

第一次攻撃隊と第二次攻撃隊の編成が逆になり、赤城と加賀が艦攻隊となった第一次攻撃隊は淵田中佐の指揮がおこなわれたのだろうか?

それとも、編成は変わらず淵田中佐の指揮で魚雷を抱えて攻撃に行ったのか?

出なければ、雷撃の専門家である村田少佐の指揮下で淵田中佐が参加したのだろうか?

興味深いところである。



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