7.0 『現代知識』前編
——どうしてこうなった?
翌朝、俺たちはタロットに叩き起こされた。
おい奴隷、依頼ださっさと行ってこいと。
休むな働け飯を食わせないぞと。
地下の大部屋に放り込むぞと。
それでも依頼という言葉には、ナーコと二人で目をキラキラさせていたと思う。
城壁から出てのモンスターの討伐。
ダンジョンに潜ってアイテムゲット。
それを売って酒場でバカ騒ぎ。
そこにタロットやアレクたちが加わるんだ。
俺たちが求める異世界生活がようやく始まる。
そして今———
近隣住民の便槽の汲み取り作業を終えて、帰路についている。
「どうしてこうなった?」
「あはは……取り付く島もなかったねぇ……」
「それよりニールが可哀想すぎるだろ。お城に泊まれるって聞いた時、ちょっとワクワクしてたぞアイツ……」
「口利きとまで言われて、城の牢屋に入れられるなんて思わないよね〜。でもそれもタロットちゃんの計画っていうんだからしょうがないよ〜。っていうかさぁ……話変わるけど、私達ってもしかして臭い?」
夕暮れの街を二人で歩いていると、通りすぎる人たちは、俺たちを避けていく。
コリステン邸は華やかな一等地、便槽の汲み取り作業を終えた俺たちはきっと場違いなニオイを放っているんだろう。
青い屋根のお屋敷にようやく帰って来れた。
一応ノックをすると、見慣れた金髪サイドテールの美少女が出迎えてくれた。
「くっさ……!」
美少女は鼻を摘み顔を背け、汚物を見るような表情でそう言った。
「お前に言われた依頼から帰って来たんだよ……!!」
「ほんとだよタロットちゃん!! すっごい大変だったんだよ!!!」
「仕事はなんでも大変ッス、大浴場に案内するから着いて来て欲しいッス」
ジト目の鼻声でそう言い、タオルの入った湯おけを渡された。
俺たちは案内されるがまま、コリステン邸に隣接している集合住宅の敷地に入る。
「大浴場まであるの? 昨日のお屋敷のお風呂もほんっとに綺麗でいい匂いで、私もう気持ち良くって!」
「わかるぞナーコ! ライオンの口から湯が流れてるの見たら興奮しちゃってさぁ!」
「当ったり前じゃないッスか〜! ウチはコリステン商会ッスよ〜?」
うっとりするナーコと自慢げなタロット。
まぁ悪くない。
仕事は大変でも、楽しければそれでいい。
賃金が少なくても、待遇が良いんだからしょうがない。
そう……待遇が……。
「そこッス」
タロットがそう言って指差した瞬間、ナーコがカランッと湯おけを落とした。
コリステン奴隷の集合住宅。
その敷地内には用水路が流れていた。
そして、その用水路には男たちが列をなすように裸で群がっている。
チョロチョロと流れる水。
男たちはそれを取り合うように、水を湯おけに溜めて体にかけていた。
俺たちに長い沈黙が流れる。
「じゃそゆことで」とタロットはそう言って後ろを向いて歩き出す。
「ちょちょちょちょちょ……ちょっとタロットちゃん!? ここここここれなにかな????」
必死になってタロットを引き留めるナーコは、この世界に来て一番焦っているように見えた。
「大浴場ッス」
「タ……タロットちゃん……えっと……この大浴場……女の人が一人もいないんだけど……?」
「ナコちゃんはさすがに冗談ッス、ウチのお風呂に入るといいッス」
「よ、よかった……! あぁ……ハルタは素敵な大浴場だねぇ……羨ましいなぁ……」
ホッとした素振りを見せると、変わり身の早いナーコは、にこやかにこちらに会釈して、タロットの後ろに続いていく。
——おい裏切り者ちょっと待て。
「あ、あの〜……タロットさん……? 俺も昨日の風呂を〜……」
お伺いを立てながら遜った俺に、タロットからは理解の追いつかない冷酷な言葉が飛んできた。
「切り落とすんスか?」
「ん? 切り落とす……?」
「その粗末な物を切り落とすんなら考えてもいいッスよ」
タロットはこちらを振り返ると、俺の下腹部を見下してそう言った。
「だ、大浴場! 使わせて頂きます!」
俺は姿勢を正して深々とタロットに頭を下げた。
「よろしいッス」
「う……羨ましいなハルタぁ〜……あはは〜……」
——ナーコお前には後で話があるからな。
◇ ◆ ◇
『大浴場』を堪能してコリステン邸に戻った。
広間ではタロットとナーコが石鹸の匂いをさせながら、寝間着に着替えてイチャイチャしていた。
——眼福だけどさぁ……俺の扱いだけ雑じゃない?
「あ、戻ったッスねー♪ 気持ち良かったッスかぁ?」
タロットはナーコの魔術をドライヤー代わりに髪を乾かしてもらっている。
——なるほどそういう使い方も出来るのか。
「あぁ……とっても気持ちよかったよ……男達で肌をギュウギュウくっつける大浴場は最高だなぁ……!」
俺は皮肉をたっぷり込めてタロットとナーコを見た。
ナーコは苦笑いを浮かべて目線をこちらに向けてこない。
「あっは~♪ そら良かったッス~! そんでこれ、お二人の荷物ッス! 北の森に落ちてたのを衛兵さんが拾ってくれてたッス!」
そう言うと厳かなテーブルの上にある袋に目線を移した。
「マ、マジか!!! 衛兵さんありがとう……!!!」
「ちゃんと全部あるか確認するッスよ~」
「さすがだよね~、私のは全部あったよ~! 教科書もスマホも~!」
ナーコはごきげんでタロットの金髪を三つ編みするようにいじっていた。
「これ……! これさぁ!! たぶん使えると思うんだよ……!! 俺たち実は……」
目の前にある現代知識に興奮して、俺は学生バッグの中身を取り出そうとしたが。
「あー、それはもうお風呂でナコちゃんから聞いたッス! 異世界から来たとかなんとか? そんでその道具がこっちで役に立つみたいな?」
タロットは指で自分の頬をぷにっと押さえて首をかしげて聞いてくる。
——それ可愛いんだって……!!
「そう! そうなんだよ! ていうか二人で風呂入ったの?」
——俺がむさ苦しい男たちと水を取り合ってる時に? あのデカくてあったかい風呂に女の子二人で入ってたの? ズルくない?
「アタシじゃちょっと理解が追いつかないんスよね~、だから明日そーゆーの詳しい方に来て頂くんスよ! そこで説明してほしいッス!」
「そ、その人は信用できるのか……? アイデア盗まれたりとか……俺たちはお前だから言おうとしてるわけで……」
「あ~だいじょぶッスだいじょぶッス~!!」
——こいつが言うなら大丈夫……なのか……?
「なんかホントに大丈夫みたいだよ~。私も心配して聞いたけど、ちゃーんとタロットちゃんが信頼できる人みたい」
ナーコと俺の現代知識、タロットの人脈、そしてそのタロットが信頼できるという人。
——完全に無双ルートだ。ナーコ、やっぱ俺たちが主人公かもしれない……! きっと強さではなく、現代知識が役立つ方の異世界ファンタジーだ!!!
「それなら良かった……! タロットも儲かると思うぞ!」
「儲かるッ!? ホントッスかぁ~? やたーッ♪」
ニッコニコしながら両手で喜ぶタロット。
その髪をいじりながら「よかったねー」と嬉しそうに微笑むナーコ。
——なんかいいなぁ……百合なんだよなぁ……
◇ ◆ ◇
翌日、応接室のような部屋で俺たちはその人を待つよう言われた。
部屋に入ると座り心地の良さそうな2人掛けの赤いソファが2つ、低めの大きな木製テーブルを挟んで向かい合っていた。
その奥には高めのデスクに一人掛けの黒革の椅子。
小学校の校長室を思い出したが、それとは比べ物にならない高級感で溢れている。
赤いソファに座る俺たちは緊張と興奮を抑えられていなかった。
昨晩二人で何を提案するか会議をしたが、正直そこまでの案はあがらなかった。
便利な物は多いが、その仕組みまでは理解していないからだ。
まず見せたいのがスマートフォン。
電源は入らないが、マナで電気を生み出せれば充電が可能かもしれない。
あとはナーコの料理技術。
ナーコは養護施設で、給食やお菓子を作ってくれていた。
そして一番役に立ちそうなのが、学生バッグに入っていた各種教科書。
特に歴史などは、時代ごとに使われていた道具が大まかに解説されている。
なによりも写真つきだったのが大きい。
お互いのバッグを足元に置いて、緊張して背筋が伸びる。
たまにお互いの襟を正したり、皺を伸ばしたりしていた。
正直、死ぬほど緊張していた。
「そんな気張らなくてもだいじょぶッスよ~?」
ソファの横に置いた丸椅子に座っているタロットが、気の抜けた声をかける。
「だってタロットちゃん……! なんか私たちの色々が……今日決まるっていうか……!!」
「そ、そうだよ……! お前んちだって絶対すごい事になるんだからな……?」
「ふーん、そんなもんッスかね~?」
必死に訴える俺たちを興味なさそうに見下ろすタロット。
——お前わかってないんだよマジで……!!!!
そんなやり取りをしていると玄関のノック音が聞こえた。
直後、タロットが「あっは〜♪」と言いながら飛び上がって、玄関に飛んでいった。
丸椅子が耐えられず、後ろに音を立てて倒れる。
ナーコが「これこれ」と倒れた椅子を指さして笑っている。
正座させられている時に俺たちが来た時も、こんな感じで椅子が倒れたんだろう。
二人でそれを見て笑い、緊張が少し解けた。
「はいはーいッ!」とタロットの元気な声、そして玄関を勢いよく開ける音が聞こえた。
聞き取れない程度の男の話し声が聞こえると、足音に合わせてカチッカチッという金属音が近づいてきた。
部屋の前で二人の足音が止まった。
ナーコと目を合わせてから、ピシッと背筋を伸ばして立ち上がる。
扉が開くと、気だるげな男が、金属の杖をつき、タロットと共に入ってきた。
ボサボサの黒髪に、白衣を着た180センチほどの細身の男。
目元には隈ができて、鼻が高く顔が小さい。
年齢は30前後だろうか。
鈍色の杖は上部が輪になって、施設にあったロフストランド杖のような作りになっている。
少し足を引き摺っているが、杖に慣れた足取りだ。
「この方がシェバード様ッスぅ♪」
タロットは両手でババーンとしながら、白衣の男を紹介した。
男は俺たちの前まで来ると「二人か」と呟いてから自己紹介をする。
「新規開発に投資などを行っているシェバードだ、まぁよろしく頼むよ」
白衣の男は気だるげな声でそう言った。