83.0 『悪魔契約』
「てゆーかぁ、ハルタンあーしと契約するかもって話聞いたんですけどぉ、ホントですかぁ?」
ようやく泣き止み目を腫らしたケリスは、そう言って俺にその目を向けていた。
「へ? そーなんスか? ハルタロー」
「あぁ、前に王様から勧められてさ、そうすれば俺も魔術が使えるようになるとかなんとか……」
そう、悪魔と契約すればその悪魔の魔術が使えるようになる。
ただし、魔術を使うには相応の対価が必要と言う事だったが。
「なぁケリスの魔術を使った場合さ、対価が必要になるんだろ? それってどんなもんなんだ?」
「えっとぉ、あーしの対価は『痛み』ですよぉ?」
「『痛み』……か……」
果たして痛みに耐性の無い俺にとって、これがどの程度の感じ方になるのか。
「へー、結構軽いんスね〜ケリちゃんの対価」
「ち、ちなみにタロット……お前の魔術を使うとしたら、対価ってどうなるんだ?」
「アタシッスかぁ? いや〜どうなるんスかねぇ、チカラなんて貸す気もないから対価とか考えた事もないッスけど〜」
「それってもしかして……対価無しで使えたりとか……」
「そう上手くはいかないッスね〜、例えばぁ……」
タロットはそう言うと、右の掌から真っ黒に輝く球体を出した。
あの日、タロットが反逆して魔王に向けた魔術だろう。
この部屋の空間が歪むような錯覚に陥った。
するとケリスがガタッと立ち上がり、逃げるように壁に背中をつけてガチガチと震え始めた。
「な……なな……なんですかぁ……これぇ……」
ケリスはその真っ黒の玉から怯えるように声を絞り出していた。
「あーごめんッス、大丈夫ッス、ケリちゃんに向けたりしないッスから」
タロットはニコニコして、気遣うようにケリスに背を向け、玉を俺たちだけに見せて言う。
「そんで次にこっちッス」
タロットはそう言うと、何もない左の手のひらを見せてきた。
「こっちって?」
「こっちにも見えないくらい小さいッスけど、おんなじ魔術が出てるッス、だから触っちゃダメッスよ? 触ったら死ぬッス」
——何それこっっっわ!!!
「そ……それってつまり……?」
「ハルタローが命がけでアタシの魔術使っても、この見えないほど小さい魔術を出すのが関の山って感じッス」
「俺が死ぬ思いして出してもこっちって事か……」
「死ぬ思いっていうか、確実に死ぬッス。下手したらハルタローだけじゃなく、両親や祖父母、血の繋がってる人間が全員死ぬッス」
「なるほど……タロットのチカラは絶対使えないって事はわかったよ……だから早くそれ消してやってくれ、ケリスがヤバい」
部屋の隅でケリスは内股で足をガクガク震わせ、涙を流しながらタロットの魔術に怯えていた。
「あーごめんッス! 怖かったッスよね、おーよちよち」
タロットはすぐに魔術を消すと、ケリスを抱きしめて頭を撫で回した。
「ああああーし……こ、ここまでチカラの差があるなんて……あああーしなんかがアスタロト様と……」
「だーいじょぶッス〜、こんなのなーんにも役に立たないッス〜、ほらゆっくり座るッスよ〜」
ケリスを席に戻すと、タロットが俺を見据えた。
「なんとなくヤバそうなのはわかったッスか?」
「あぁ……お前がとんでもないって事も改めてわかったよ……」
「あっは〜♪ 照れるッスね〜」
「あ、あーしも……アスタロト様が想像以上って事がわかりましたぁ……」
「ケリス、お前の魔術も見せてくんない?」
「あんなの見せられた後でするの……すんごい恥ずかしいんですけどぉ〜……」
ケリスはそう言うと、手のひらからあの日見た黒い炎を出した。
「俺には違いがほとんどわかんないんだよなぁ、ナーコはどうだ?」
「私も同じ、でもタロットちゃんの方はなんかこう、怖かった……」
ナーコの手が少し震えているのがわかった。
「言っとくけどハルタン、こんなのとはぜんっぜん違いますよぉ? アスタロト様のさっきの……あれは本当にヤバいです……この街くらいなら一瞬で消滅するレベルでヤバいです……あんなの……あーし初めて見ました……」
「は……? マジ……?」
「あっは〜♪ ちなみにバルベリトにはさっきのを首から流し込んだッスけどね〜、あれは申し訳なかったッス〜」
「な……!? ななななんでそんな事したんですかぁ!??? てゆーか今のを首から!? な、なんでバルベリト様まだ生きてるんですかぁ!?」
この話を逸らすように苦笑いのナーコが口を開いた。
「そ、それより今はほら! ハルタとケリスちゃんが契約するかどうかだよね!? ね!?」
そうだった、ナーコが原因でベリトが殺されかけたんだった。
とはいえ確かにナーコの言う通りでもある。
「なぁタロット、ケリスの対価の『痛み』ってやつ……俺に耐えられると思うか?」
「どーッスかね〜……普通なら耐えれると思うッスけど……ハルタローの場合はなぁ……」
「え、なんですかなんですかぁ? ハルタンだと耐えられないとかあるんですかぁ?」
テーブルに身を乗り出してくるケリスに、タロットが俺の『絶縁体質』を説明した。
◇ ◆ ◇
「へぇ〜ハルタンって攻撃効かないんですかぁ〜、へぇ〜」
「そーなんスよ、本来は人間が日常的に感じてる小さな痛みもずーっと感じてないんス、だから『痛み』に極度に弱いんス」
「それってぇ、あーしの魔力使ってもぉ、『痛み』感じないって事にはならないんですかぁ?」
「ならないんスよ、ハルタローに効かないのはマナの通った物だけッス。魔力や魔術はもちろん、『無し物』の武器でも簡単に攻撃は通るッス」
「へぇ〜、ハルタンちょっといいですかぁ?」
何をされるかは大体予想がついた、もう俺自身慣れてきているんだろう。
「あ、あぁ……痛くないけど怖いもんは怖いから優しくしてね?」
そう言うと、ケリスは思いっきり手を振りかぶって、俺の頬にビンタをしたが。
その平手は俺の頬に接触するとピタリと止まった。
「うっわ〜すごいすごいすごーい! へぇ〜すごいですぅハルタンすごぉーい!」
ケリスは顔を近づけて、俺を覗き込むように観察してきた。
「面白いッスよね〜アタシも何度も実験して……」
タロットがそんな話をしていると、ケリスはさらにさらに顔を俺に近づけ、そして。
唇を重ねてきた。
——は……???
『ちゅるっ……クチュッ……』
ケリスは俺の口内に舌を絡ませ、喉から声を漏らす。
「んっ……んんっ………んっ♡ …………ンッ♡」
——なに? なになに俺なにされてるの?? 口の中でクチュクチュいってるのなに??
ケリスは俺の頬に両手をやり、更に顔を押し付けるように舌を奥までねじ込んできた。
気持ち良くて脳がクラクラして、糸を引いた唾液が滴り落ちていく。
そして「ぷはっ」と唇を離した。
タロットはポカーンと口を開けながら、ナーコは真っ赤にした顔を両手で押さえながら、二人とも呆気に取られたようにこちらを眺めていた。
俺はすぐに我に返って自分の口元を押さえ、後ろにたじろぎ声を上げる。
「なっ……なななななな……ケ、ケリスケリスおおお前何して……!?」
「アッハー♪ ちょーっと手こずったけど契約かんりょーですぅ」
「け、契約!? なに、俺まだするなんて一言も……!」
「えー別にいいじゃないですかぁー、痛かったら使わなきゃいいだけですしぃ」
「そ、それはそうなんだけど……! お、俺……は、初めてっていうか……! その……キ……キ……キス……」
自分の顔が真っ赤になっているのがわかる。
俺は初めて女の子と唇を重ねたのだ、なんとなく最初はナーコなんだろうと、小さい頃から思っていた筈なのに。
「へぇ〜ハルタン奥手だったんですねぇ〜、でも良かったじゃないですかぁ、あーし可愛いですしぃ♪」
ケリスはそう言ってペロッと舌を出してきた。
「だ、だからそういう問題じゃ……!」
悪い気なんてするわけない、それは確かだ。
俺がケリスのような美少女とこんな事、元の世界だったらあり得ない事だろう。
それでもナーコの視線が気になる、タロットの視線が……。
そこにタロットが唖然としながら口を開いた。
「ケリちゃんアンタ……めっちゃくちゃするッスね〜……」
「そーですかぁ? でも契約できたって事はぁ、ハルタンにもその気があったって事ですよねぇ」
「そ、そうなの……?」
「そッスそッス〜、お互いが了承しないと契約は成立しないッス」
「てことでぇハルタン、これからよろしくでーす♪」
そう言ってケリスは手を差し出してきた。
なんとなく有耶無耶にされた感じもするが、まぁなるようになるだろう。
「あぁ、もういいか……じゃあよろしく頼むよ」
「あれぇ? ハルタンなんでそんなに前屈みなんですかぁ?」
「うるっせーよなんでもねーよ!!」
俺は前屈みでそう言って、ケリスと握手を交わした。
横から痛いほどのナーコの視線を感じながら。
——こ、これは不可抗力じゃないか!?




