82.0 『新たな仲間』
「おっはよーございまーッスぅ!」
俺とナーコが正座部屋で朝食を食べている所に、騒がしいタロットの声が響いた。
ギブリス城から帰った俺たちは、ザルガス侯爵に迎えられ、すぐにタロットをベッドまで運び、久しぶりのコリステン邸の朝を迎えていた。
「あっは〜♪ 昨日は恥ずかしいトコ見せちゃったッスね〜」
そう言って恥ずかしそうにナーコの横に腰掛けた。
手に持っていたトーストとミルクをテーブルに置き、端を千切って頬張っている。
「それはいいけど大丈夫かよ? 今日くらい寝てた方がいいんじゃないのか??」
「そーだよタロットちゃん、怠惰の悪魔はどこ行っちゃったの?」
「いやいや〜、もう全然平気ッス! それにしても、やっぱ消えなかったッスね〜あの柱」
窓から外を見ると、夜空の柱は変わらず聳え立っていた。
夜と繋がっているかに見えたその柱は、朝になると、青空の先まで繋がるように、星を送り届けているようだった。
「『爪痕』っつってたからなぁ、魔力とか感じるのか?」
「いや〜それが全く感じないッス! でも綺麗ッスね〜、なんスかアレ?」
「タロットちゃんで分かんないなら分かる訳ないんだよ? 私たちの無知っぷりを舐めないでほしいですね!」
ナーコはそう言って、齧りかけのトーストをビシッと向けていた。
「いや威張るこっちゃ無いッスけど〜……あ、そーだスカート覗き魔!!」
タロットは突然そう言ってナーコに指を突きつけた。
「な、なんの話か分かんないんだけどな〜……」
「いや分かるだろ、全世界が証人っつっても過言じゃないんだからな?」
俺も追い討ちのようにそう言うと、ナーコはジトっと睨みつけてきた。
するとタロットはナーコの肩に腕を回し、覗き込むように言うのだ。
「まぁまぁそれはいいんスけど〜……見たッスか? ベリアルの局部」
ナーコは必死に目を逸らそうとしているので、俺から答えてやることにした。
「ギリギリ見えなかったらしいぜ? つーかベリアルちゃんて本当に男の娘なのかよ? ありゃどう見ても」
「っかーッ! 肝っ心なトコで役に立たないド変態女ッスねー!」
タロットはそう言って失望したような声をあげていた。
「てゆうか、なんでタロットちゃんまで気になってるの!?」
「いやー、実はこれパンドラの匣なんスよ〜。誰もベリアルがどっちか知らないッス。悪魔の中でも、男派と女派で真っ二つ。ちなみにアタシは男派に属してるッス」
タロットはミルクを飲みながら、平然とそんな事を言ってきた。
これには俺も突っかかるしかないだろう。
「いやいやいや、それなら女の子だろう!? ベリアルちゃんは自分で淑女っつってたぞ!?」
「ベリアルはそう言ってるッス。パンチラはたまにするけど尻だけッス、前は誰も見た事ないッス。そして男湯女湯、男子トイレ女子トイレ、ベリアルはこういった類の施設に絶対に入らないッス。どう思うッスか?」
——なるほど、確かにそうなってくると疑念が湧くのも分かるか……。
俺はそうやって、あの金髪ツインテお嬢様風美少女を思い浮かべながらトーストを齧った。
「でもそれだと、パンドラの匣じゃなくってシュレディンガーの猫って言うんじゃないかな??」
指を立てナーコはそうやって意見した、この議題の本質ではないがもっともだ。
が、対するタロットの説明に俺たちは納得してしまう事となる。
「悪魔ってあんま死んだりしないんスけど、あれだけ数が居ればたまには死ぬ奴もいるッス。んで、そーゆー時に囁かれるのが……」
『ベリアルの性別を知ったから死んだ』
「いやいやいやいや怖すぎるだろ! そういう事ならパンドラの匣かもしんないけども! 見ろ、ナーコが泣きそうになってるだろ!」
ギリギリで命を繋ぎ止めたナーコは、トーストを膝に落とし、涙を浮かべて震えるように首を振っていた。
「あっは〜、ただの噂だから大丈夫ッスよぉ〜♪ そんで? お二人はどっちの派閥につくッスかぁ?」
朝食を食べ終えたタロットは、テーブルに肘をついて俺たちにニヤケ顔を向けてきた。
「俺は女の子派閥だ! 俺の本能がそう告げてるんだから間違いない!」
「願望の間違いじゃないッスか? いや本能のがキショイまであるんスけど」
タロットがゴミを見るような目を向けてきていた。
——確かにそれはその通りですね……。
ナーコを見ると言いづらそうに、チラチラと俺を見てきた。
「ナーコは変態だから男の娘派閥だよ。聞くまでもない」
「合ってるけど!! でも私は変態じゃないよ!!」
——ほらみろ、絶対そうだと思ったんだ。あとお前は変態だよ?
タロットは『やっぱりな』と言った顔で俺たちを見ながら、この派閥の革新に迫っていく。
「男は女派閥に入るし、女は男派閥に入るんスよね〜、全員って訳じゃないッスけど。やっぱ願望なんスかね?」
それはそうかもしれない。
女が男派閥に入る理由は不明だが、男目線で言えば、女の子であってほしいという願望はもちろんあるだろう。
——そういう意味ならベリアルちゃんって、どっちの願望も兼ね備えた究極生命体かなんかじゃないか? あのミニスカートには無限の可能性が秘められている訳で……。
俺がそんな事しょーもない事を、顎に手を当て真剣に考えていると、タロットがじっとりとした目つきで俺を見ていた。
「どーーしたんスかハルタロー、イヤらしい顔して」
「いいや、なんでもない。無限の可能性について考えていただけだ」
俺はそうやって魔王を思い浮かべながら、溜息と頬杖を同時についた。
「ハルタぁ、それ誰のマネ? 次やったらぶっころすよ?」
瞳に影を落としたナーコの顔は悍ましく、その手に持ったトーストはジリジリと焦げ目を広げているではないか。
——こわいこわいこわいこわい! ナーコこわい!!
「で、でもなんかこういうのも久しぶりだよな……! みんなでこの部屋に戻って来れてよかったよ」
そうやって俺は、どうにか話題を逸らして部屋を見回した。
考えてみればたった数日、でもとても久しぶりに感じていた。
「そッスかね? 一人足りない気もするッスけど?」
「おいやめろよ、俺も自分で言ってちょっと反省してんだからな……!」
俺はタロットに言われるよりも早くニールを思い浮かべてしまっていた。
「そうだよタロットちゃん、あの男は今もブエルちゃんの被験体に……」
ナーコはそこまで言うと何かを思い出したように大声をあげた。
「あーーーーーーッッッ!!!!!」
「な、なんだナーコ! なんかあったのか!?」
「ナコちゃん急にどーーーしたんスか!?」
俺たちも何事かと声をあげると、ナーコはテーブルに肘をついて頭を抱え、顎から汗がポタリと落ちた。
「私……忘れてた……」
生唾をゴクリと飲み込み、続くナーコの言葉に耳を傾ける。
そしてナーコは震える唇でこう言った。
「ブエルちゃんと……あの男のオナニー鑑賞する約束……忘れてた……」
それはもう年頃の女の子の言葉とは思えない発言で、呆れたように溜息を漏らしてしまう。
「ナーコお前さぁ……」
——てゆーか俺の幼馴染、こんな事言う子だったっけ??
でも確かにブエルとの約束であれば、反故にするのも憚られる。
魔王とベリトの会話から察するに、癇癪を起こす可能性も考えられるからだ。
それ以上に、あの子が悲しむ姿は見たくない。
「それなら大丈夫ッスよ、アタシの部屋からすぐに帰れるッスもん」
あっけらかんとそう言うタロットを見て、俺たち声を揃えてこう言うのだ。
「「はぁ!?」」
タロットは指を立て、当たり前の事のように説明してくる。
「アタシの部屋はコリステン邸と『小さき鍵』の両方から繋がってるッス。だからたまに顔出してアヤネ様とも遊んだげてほしーッス」
昨晩、俺とナーコは初めてタロットの部屋に入った。
それはもういい匂いが漂って、数日空けていたとは思えないものだった。
パステルカラーが多く使われて、ベッドはふかふか、ぬいぐるみも置いてあり、分かりやすく女の子という印象の部屋だ。
と、それはいいとして、俺たちの部屋とは違う箇所が一つあったのだ。
それは部屋に入って、向かいの壁にも扉があった事だ。
俺はてっきりウォークインクローゼットか何かだと思っていたのだが……。
「じゃあタロットの部屋の……あの奥の扉って、クローゼットじゃなくって……」
「そッスよ? あっちが『小さき鍵』と繋がってるッス」
「タロットちゃん……私は悲しいよ……」
俺もナーコも呆れ返り、テーブルに突っ伏した。
俺たちのあの旅は一体なんだったのかと思わされる。
王の審判で許可を取り、半日かけて不可逆の扉に移動し、フルカス戦、魔王役のベリト戦、順序があるとはいえ、そこまでやる事か?
そうやって顔を上げた俺たちが、じっとりとタロットを見やっていると、ノック音が響いた。
「はいはーい? 入っていいッスよ〜?」
ガチャっと扉が開くとザルガス侯爵が現れた。
吸血鬼のように白く無表情は変わらないが、手元には盆を持ち、そこにはコーヒーとお茶菓子が多数乗せられている。
ゆっくりと優雅に歩き、テーブルにそれを置いていく。
するとザルガス侯爵は、俺たちに向けて片膝をついたのだ。
「ハルタロウ様にカナコ様。アヤネ様の一件、私ザルガタナスからも、心からの感謝を」
この人も当然、アヤネ様を慕っていたのだろう。
だが、やはりこの対応は何度経験しても慣れるものではない。
世話になっている屋敷の主人ともなれば尚更だ。
俺とナーコは戸惑いながら顔を見合わせてしまう。
「ちょーっとザルガタナス! もうそれ二人とも聞き飽きてんスよぉ! せっかく久しぶりにダラダラしてんだから、さっさと出てってほしいッス!」
見かねた真の支配者はそう言って、ザルガス侯爵を叱りつけたのだった。
ようやく逃げ道を見つけたかのように、ナーコも口を開く。
「あはは……もう親子ごっこはしないんですね……」
「ごっことは失礼しちゃうッス、ねぇ父様〜♪」
「そ、そうだねタロット……」
ザルガス侯爵が苦笑いを浮かべている。
これまで吸血鬼かと思わされる無表情だっただけに、俺もそれを見て頬が緩んでしまった。
「そんで? 用件はそれだけッスかぁ?」
「いえ、アスタロト様にどうしてもお会いしたいと言うので連れてきたのですが……」
「へ? 誰ッスか?」
これにはなんとなく想像がついた。
タロットにどうしても会いたいともなれば、一人しか思い浮かばないだろう。
「入れ」
ザルガス侯爵がそう言うと案の定、薄ピンクのサイドテールが扉の向こうからヒョコッと顔を出した。
「アスタロト様ぁ……ああああーしのことぉ……おお覚えてますかぁ……?」
扉に顔を半分隠しながら、不安の声を漏らしていたのは、案の定ケリスだった。
「あー、ケリちゃーん! 早く入ってくださいよぉ! 研修もう終わったんスかぁ?」
タロットから名前を呼ばれると、パッとケリスの顔が明るくなった。
それを見たナーコは微笑みながら、俺の隣に席を移動した。
きっとタロットの隣の席を譲ったのだろう。
「あーし昨日で追い出され……こ、功績が認められてぇ……! 今日からここで働ける事になったんですぅ」
——ん? 追い出され??
「あっは〜♪ それなら良かったッス〜! コリステンメイド頑張って欲しいッス〜」
「は、はいッ! ハルタンもナコリンも、これから仲良くしてくれたら嬉しいですぅ!」
ケリスはそうやって、俺たちにも頭を下げるのだった。
「俺の方こそよろしく頼むよケリス」
「一緒にお風呂入ろうねーケリスちゃん!」
歓迎の言葉にニッコリ微笑んだ。
恥ずかしそうにタロットの横で、もじもじと座る姿はなんとも初々しい。
「つーかケリス昨日すごかったな、準主役みたいな扱いだったぞお前」
「ぜぜぜ全然ですよぉ! どっちかって言うとスポット当たってたのは兵士さんですぅ。バルベ……ベリィが性格悪そうな兵士さんに、あらかじめ目星つけてたみたいでぇ……!」
——なるほど、つまりルーニー目掛けて俺たちはスポーンされたと……! そりゃ世界に見せるなら、悪い敵を映したいのは当然だ……。
「でもケリスちゃん凄かったよ? ブエルちゃんも褒めてたじゃん、最優秀賞って!」
「あ、あぁ……そそそうですねぇ……あはは……」
ナーコの称賛に、ケリスはなんとも居心地が悪そうだ。
なぜだろう、もう少し自慢げになっても良さそうなものだが。
「それ聞きたかったッス、ケリちゃん! あの転移門ってどこに繋がってんスか? アタシも使わせて欲しいッス!」
ビクゥッ! とケリスは身体を震わせた。
苦笑いすらうまく作れず、とても返事をしにくそうに目を泳がせている。
理由は分からないが、考える時間を与えようと、俺からタロットに問いかける。
「それってケリスが出したあの水たまりの事か? あれも転移門ってことであってる??」
「そッスそッス〜、移動手段はいろいろあるんスけど、あれは大量の荷物を運ぶ時に使うッス!」
——そういえば以前、ザルガス侯爵が大量の薬物を押収する時もそうだったな……。
「なるほど、そんで兵士達の下半身が入った所で門を閉じたって事か」
「そッス! あれはとっても上手いやり方ッス! ブエルから脳みそ傷つけない要件にピッタリッス! ね、ケリちゃん」
「そそそんなことないっていうかぁ……あはは……」
憧れのタロットからの大賛辞だというのに、ケリスの反応は釈然としないものだった。
以前のケリスなら飛び上がって大喜びしそうなものだが……。
——いや待てよ……転移門に下半身が埋まったところでそれを閉じた……そしてケリスのこの反応……追い出されたとか言ってたな……まさか……!
そこまで俺は思考を巡らせ、ケリスに目を向けて問いかける。
「ケリス……あの転移門はどこに繋がってたんだ?」
ケリスの身体はまたもビクビクゥッ! と震え、汗がポタポタとテーブルに滴り落ちていく。
「それッス! 共有の死体処理場みたいのがあるからあたしも使わせてほしいッス!」
すると、ケリスは絞り出すような声でこう言った。
「メ、メイドちゃん達の……控え室……っていうかぁ……」
部屋の中は静まり返り、タロットの顔にも汗が滲み始めた。
「えっとケリちゃん……? それだとあの数百人の下半身が……控え室に押し込まれたと思うんスけど〜……?」
——うわやっぱりか……きっと目先の事に頭いっぱいで、後のことなんにも考えてなかったんだろうな……気持ちは分からなくもないけど……。
ケリスの目にはうるうると涙がたまり、それが汗と混じってテーブルに滴った。
「あの後……控え室……もの凄い事になってて……うぇッ……! 特にニオイが酷くて……汚物まで……メイドちゃん達のお洋服も……ッ……! ひぐっ……!」
そう言って声を上擦らせながら、涙をこぼし始めるケリスだったのだ。
俺とナーコはもちろん、タロットまでもがかける言葉を失っていた。
「そ……そーだケリちゃん! クッキー、ほらクッキーあるッスよ〜! 甘くてすっごく美味しいッスよ〜……!」
どうにか話を変えようとするタロットが、一枚のクッキーを渡す。
それを口に含んだケリスは、それはもうボロボロボロボロと泣き始めたのだ。
「ごべなざぃ……メイドちゃ……ヒッ……! あーしのせいで……可愛いお洋服……ひぐっ……! ごめんなざぃぃ……!!」
——いやぁ……マジでかける言葉が見つからねーなぁ……メイドたちの事考えると、気にすんなとも言えないしなぁ……つーか自分がされたら絶対イヤだしなぁ……
「つ、次から気をつければいいんスよぉ! ね、ケリちゃん、ね!」
「はいぃ……グスっ……!」
苦笑いのタロットは慰めながらゆっくり頭を撫でる。
だがそんなタロットも、どうしても伝えなければならない事があったのだろう。
決意を決めたように口を開いた。
「……でも、ウチでは絶ッ対にやらないでほしいッス」
——うん、それはそうだね。




