79.0 『魔王の爪痕』
目を開けると、夕焼けに照らされるギブリス城の会議室。
円卓では国王は顔に手を当て俯いて、悔しそうに顔を歪めている。
辛いシーンが山ほどあったろう、頬についた涙の後がそれを物語っていた。
だが、横のガンドは全く異なるものだった。
椅子の背に体を預け、ボーッと天井を眺めている。
今日で全てを背負った者と、今日まで背負い続けてきた者の差だろう。
俺は胡座を崩し、両手両足をピンと張って伸びをした。
壁に体を預けて天井を見上げると、隣から声がかけられた。
「ハルタローだいじょぶッスかぁ?」
ナーコの足の隙間にちょこんと座り、心配そうな顔を向けてくる。
大丈夫とはどれの事だろうか、と少し考えるが、俺は笑って答えた。
「あぁ大丈夫だよ、ありがとう。でもナーコには後で話があるけどな……!」
「そッスね〜、アタシもスカート覗き魔には、ちょーっと話があるッス……!」
そう言って二人して、ド変態をジロリと睨んでやるのだ。
「だ、だってバレるなんて思わないじゃん! あんなの詐欺だよ!」
「詐欺でも山羊でも覗いた事実は変わんねーんスよ!」
自白とも取れるしょーもない言い訳に、タロットが特大のツッコミを決めていた。
「あ、あはは……でも『魔王の爪痕』気になるなぁ。タロットちゃん分かる?」
「いやぁさっぱり分からんッス、明日こっそり見に行ってみるッスか……?」
タロットはコソコソとそんな提案をしてきた。
戦艦やら鉄砲やらを破壊する事が『爪痕』でない事は確かだろう。
「俺もそれ気になって……」
直後、差し込む夕陽がフッと消えた。
あんなに煌々と照らしていたというのに、それが一瞬にして陰りを見せたのだ。
「あれ? なんか急に曇ったね?」
「うーわ暗すぎッスねぇ……ガンドさーん! 明かり付けて欲しいッス明かりー!」
窓に目をやると、外には暗雲が立ち込めていた。
「そ、そうであるな! しばし待たれよタロット商」
ガタッと立ち上がって、ガンドが燭台に向けて歩き出す。
——なんか不自然じゃないか? ここまで暗くなるってよっぽどの積乱雲だぞ……?
『この地に『爪痕』を刻みつけておいてやる』
魔王の言葉を思い出した俺は、声をあげて窓に音を立てて飛びついた。
「まさかッッッ!!」
雲の様子もやはりおかしい、曇天にしても暗すぎる、タイミング的に陽が落ちたとも思えない。
「どーしたんスか急に」
「国王様!! 南西諸島の方角ってどっちか分かるか!?」
興奮を露わにしながら顔も向けず大声で尋ねていた。
あの魔王がやる気になっていたのだ。
あれだけ色々見せつけておいて、『爪痕』だけ事後報告なんて考えられない。
それを聞いて国王も気づいたのだろう。
「そこからでは見えん! 上階のバルコニーからなら見えるだろう! タロット、お前が案内してやれ!」
そう言って立ち上がり扉に指を向け、大きな声で指示を出していた。
「りょ、りょーかいッス! 国王様たちは来ないんスかぁ??」
「儂らは儂らのやるべき事がある! ガンド、今すぐ治癒術師を率いてアドリアス半島へ向かえ! リーベンにも声をかけろ! 寝る間も惜しんで全速力で移動するんだ!」
「ハッ!! 国王もご一緒されますか!?」
「儂は世界通達が先だ! ギブリスは魔王庇護下になったと表明する! 今日の事を聞かれたら全て儂が許可したと伝えろ!」
「ハッ! すぐに!」
やはりこの人は『王の器』なのだと改めて思えた。
ちゃんと前を見て、今守るべき国民を優先してくれている。
指示を受けたガンドが会議室から飛び出して行った。
「国王様、ありがとう……ございます! たくさん酷い事言ってすみませんでした!」
「すみませんでした!」
「よい、勇者にヘンミカナコ。お前たちには顛末を見届ける責務があるのだろう、タロットもだ、すぐに行け」
頭を下げる俺とナーコにも仕事を申し付けると、国王も勇足で部屋を出て行った。
そしてまた、大きな声を張り上げて衛兵たちに指示を飛ばすのだった。
「早く行くッスよぉーもぉー!」
ソワソワしながらタロットが、未だ頭を下げたままの俺たちを引っ張ってくる。
タロットも何がおこるか興味があるのだろう。
「あぁ悪い! 行こう!」
そうして俺たちも会議室を飛び出した。
◇ ◆ ◇
十段以上ある階段を一っ飛びしていくタロットは、人間を隠しているとは思えない身のこなしだった。
置いていかれそうになりながら、衛兵たちの奇異な目も気にせず、豪華な廊下や階段をドタバタと走り抜けていく。
「ここッスー!」
すでに姿の見えなくなったタロットが大声で叫んだ。
息も絶え絶え、ようやく階段を上り切ると、全面ガラス張りの両開き扉。
タロットがその中央に手をかけると、扉は何かに引かれるように一気に開いた。
それと同時に中の空気が外に漏れ、押し出されるようにバルコニーへと飛び出したのだ。
ギブリス城下町を一望できる壮大な景色に出迎えられた。
ナーコが『ボワッと』をしていた噴水広場も伺える。
もっとゆっくりこの景色を楽しみたい所だが、今はそれよりも南西諸島。
空に広がる暗雲はどこまでも続いており、さっきまでの夕焼けが嘘のように真っ暗だ。
ゴロゴロと稲光が走り、いつ大雨が吹き荒れてもおかしくない。
「なんか……すごい事になってるな……南西諸島はどっちだ?」
「あっちッスあっちー!」
そう言って指差した先を見るが、それらしい様子は伺えない。
「タロットちゃん! なんかこう、魔力とか感じたりしないのかな?」
「いや全く感じないッス、普通にただの嵐にしか見えないッスね」
バルコニーに俺たちが立ち尽くす中、タロットはケロッとそう言ってのけたが。
そんなバカなと俺は思う。
こんなにタイミングよく、嵐が襲ったりするのだろうか。
雲にもどこか違和感がある。
暗いというよりドス黒い。
積乱雲をこんなに間近で見たのは初めてだ。
雲というのは白色だ、それが光を遮って黒く見えるものだろう。
でもこの雲はドス黒い、しっかりとその色が視認できる。
火事の煙とも似つかない。
「でもやっぱり、なんかおかしいっつーか……」
俺が南西諸島に目を向けて、そう口に出した直後。
ゾクリと全身を悪寒が襲った。
汗が吹き出し手が震え、奥歯がガチガチと音を立てる。
今にも膝から崩れ落ちてしまいそうな程に足が震える。
——怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
俺は心でそう叫び続けたが、怖いという表現は的確ではない。
俺はこの感覚を覚えている。
父親のテレビゲームに足を引っ掛けてしまった時と同じ感覚。
きっとこれは絶望だ。
逃れられない恐怖の前に訪れる、あの絶望感と酷似している。
『魔王ってのは世界を絶望で覆い尽くす存在じゃなきゃダメなんだよ』
魔王のそんな言葉を思い出していると、雨音が鳴り始めた。
それは次第に強まり、声をかき消すほどの豪雨が響き渡る。
だがそれは降ってこない。
雨音は上空から聞こえてきてくる。
プールに土砂降りが降り注ぐような雨音。
すぐに雲を見上げようとするが、それを身体が拒絶する。
見てはいけない、それは恐怖だから見てはいけないと、脳の指令を拒んでくる。
俺の震えが異常だったのだろう。
タロットが腕を掴んで支えてくれて、ようやく少しの落ち着きを取り戻すが。
「ハルタロ……こわいよ……」
タロットは俺の身体にしがみつき、空を見上げて恐怖に顔を歪めていた。
支えていたんじゃない、立っていられなかったのだ。
タロットの震えは俺の比ではなかった。
内股になって膝を揺らし、手を離せば即座に崩れ落ちてしまうだろう。
「タ、タロット……! 大丈夫か!?」
「タロットちゃんどうしたの!?」
俺たちは急いでタロットを支えるが、空を見上げたままブンブンと首を横に振っている。
そして、俺は決死の覚悟で顔を上に向けたのだ。
そこには巨大な雲を覆うように、透明な膜が張られていた。
透明なそれを膜と認識できるのは、雲から降り注ぐ雨をそれが堰き止めていたからに尽きる。
よく見るとその膜はどこまでもどこまでも続いていく。
次第に雨水はかさを増し、暗雲を隠していく。
流動体に覆われた空は、キラキラと光を反射し、一面の煌めく星空を作り出した。
これがVR映像なら綺麗とも思えたかもしれない。
でも、その真下にいる俺からは、絶望が世界を覆い尽くしているようにしか見えなかった。
「タロットちゃん……! もういいよ、お城の中もどろ? ね?」
涙をこぼしながらタロットはゆっくり首を横に振り、震える声でこう言った。
「………ゴエティア………」
俺とナーコは目を見合わせた。
ナーコもただならぬものを感じているのだろう、指先の震えがそれを物語っている。
「タロット……ゆっくりでいい……それが何かわかるか……?」
俺はできるだけ穏やかに、無理矢理に笑顔を作りながらそう問いかけるが、タロットはまたも首を振る。
「……わかんない………でも………」
そしてこう続けた。
「……一つめ………」と。
それを言い終わると同時、タロットが目を見開いた。
苦悶ともとれる表情を見せると、覆うように俺の胸に顔を押し付ける。
タロットの目線の先は南西諸島の方角だ。
膜に溜まった雨水が、そっちに向けて川のように流れ出す。
空一面の星空の全てが、まるで流れ星かのように流れている。
「大丈夫だよタロットちゃん、私たちがついてるからね?」
ナーコと俺はタロットを気遣うように頭や背中をゆっくり摩り、その方角に目を凝らす。
そこは、一部の空が沈み込んでいるのが見て取れた。
薄いゴムの膜が指先に押し込まれるように、一箇所の空が下へ下へと沈み込んでゆく。
おそらくその真下が南西諸島。
今にも膜が破れ、そこに全てが傾れ込んでいくかと思わせる。
更に目を凝らす、絶対に見える距離ではないのに違和感もなく視認できる。
沈み込む膜の先端部分、そこに水滴が染み出していた。
俺が真っ先に思い浮かべたのは『濾過』だった。
全世界を覆っているとも思える絶望が、濾過され水滴となりそこに染み出している。
重みに耐えられなくなったそれは、ついに膜から切り離された。
絶望の一雫が地上に放たれた。
視線がそれに引き寄せられて視界が狭まる。
一瞬が引き延ばされて、ゆっくりと絶望が落ちてゆく。
俺たちはタロットを抱きしめながら、ただただ茫然とそれを眺めた。
地に落ちたと同時、小さな水滴音が全世界に平等に響き渡り。
———夜空の柱が天空を貫いた———
黒に星々を散りばめたようなその柱は、夜空以外の表現が見当たらない。
それ一直線に天を貫き、雲も膜も役目を終えたかのように消え去っていった。
既に陽が落ちていたのだろう。
中から満天の星空が姿を見せた。
まるであの柱が、この夜空を作り上げているようだ。
そこからは既に恐怖や絶望も感じない、体の震えも止まっていた。
「もう大丈夫だ」とタロットに顔を向けると、それは眉を吊り上げたナーコに阻まれた。
「しーっ」
見るとタロットは、俺の胸に顔を押し付けながら寝息を立てていた。
「タロットちゃんとっても怖かったんだねぇ」
優しく頭を撫でて微笑むナーコ。
それを見て、俺も自然と頬が緩んでしまう。
「コイツが怖がる事とかあるんだな、いっつも飄々としてる癖にさぁ」
レアな寝顔を拝みながら、頬に指を押し付け揶揄ってやるのだ。
「あれって消えないのかな?」
ナーコは夜空の柱に目を向けていた。
以前としてそれは霞む事なく、煌めく星々を天に向けて、ゆっくりと運んでいる。
「どうだろうな、『爪痕』って言うぐらいだから、簡単に消えるとは思えないけど」
「でもキレーだねぇ、ずっと眺めてたいくらい」
「あぁそうだな……いや、死ぬほど怖かったんだけどな? なんだよあれ怖すぎんだろ、先に言っといてくれよマジで……! 自殺者出てもおかしくないぞ!」
今はとても綺麗に感じるが、直前の絶望感を思い出すと文句の一つも言いたくなるだろう。
「あはは、それはそう。タロットちゃんいなかったら私、とっくにお城に逃げ込んでたもん」
——俺のこと置いてくのやめてね?
「つーか王様戻ってくんのかな? 早めに帰ってタロット寝かしてやりたいんだけど」
「もうこっそり帰っちゃおっか? 国王様もガンドさんも大忙しだし」
ナーコはそう言って、スヤスヤと寝息を立てるタロットをおぶった。
こっそりと思っていたが、城に戻ると従者に出口まで案内されて、帰りの馬車まで用意されていた。
従者に頭を下げて馬車に乗り込み、タロットを膝に寝かせるナーコ。
これでも起きない所を見ると、なんだかんだで疲れていたのだろう。
こうして、長い長い一日が終わりを迎える。
馬車の揺れが心地よく、目を閉じたら眠ってしまいそうになる。
が。
鬼の居ぬ間とはまさにこの事、タロットが寝息を立てている隙に、俺にはどうしても聞いておかねばならない事があったのだ。
「…………おいナーコ……ベリアルちゃんは……その……どっちだ?」
すぐにナーコは俯いた。
顔には影を落とし、小さくつぶやく。
「…………………かった………」
「かった?? え、なんて??」
耳を近づけようやく聞こえたその言葉に、俺はひどく落胆するのだった。
———ぎりぎり見えなかった———
いやいやそりゃないだろう、と、俺たちの言い争いが幕を開けるのだ。
「何やってんだよっ! 世界に大恥晒したんだから、成果くらい持ち帰ってこいよなっ!」
「しょ、しょうがないでしょ!? あとちょっとだったんだよ!? なんであんなに短いのに、あんなに防御力高いのあのスカート!!」
「お前は何を今更……! それは全男性陣がずーーーっと思ってる事なんだよっ!」
明日からは、また汲み取りの依頼があるのだろうか。
久しぶりのコリステン邸に着いた俺たちは、タロットをソファに寝かせ、風呂も入らず床についた。
——それにしても、なーんか忘れてる気がすんだよなぁ……。
客間のアイゼイヤさんが保護されたのは、翌日になっての事だった。
▼アドリアス半島
・ルドミラ兵
約5万人→生存者0人
・ギブリス民間人
約2万人→生存者14,709人
▼南西諸島(完全に消失)
・ルドミラ兵
約1万人→捜索不可
・人質
約10人→捜索不可




