表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/88

76.0 『ベロニカ・リシテ・バルステラ』

「良いじゃろう、乗ってやる!」


「イイ顔だァ」


 これまで気丈な表情を崩さなかったベロニカが、初めて見せたその笑顔。

 それが俺には、見惚れるほどに眩しく映っていた。


 民間人達も初めて見たのではないだろうか。

 飛び交っていた罵声は静けさに変わり、皆唖然とした顔でそれを見ている。

 

 ベロニカは他のルドミラ兵と違っていた。

 民間人からすれば罵声の対象かもしれない。

 非情な言動や振る舞いも、許せるものでは無いだろう。

 でも少なくとも、ルーニーやゴライアスなどとは比べるべくもない。

 表情や言葉の節々に、強い信念に似たものが感じられたのだ


 この笑顔は、戦い以外の解決策が見つかったのではと、俺にそんな淡い期待を抱かせるものだった。


 だが、そうはならなかった。


 その笑顔はすぐに消え、ベリトを睨んでこう言った。


「覚悟せよバルベリト」


「来いよォ、ベロニカ・リシテ・バルステラァ」


 深く腰を落としたベロニカは切先を向け、煌めく刀身に手を添える。

 突如、ベリトの腕に小石が当たった。

 誰かが石を投げたかと思い、周囲を伺うがその様子は無い。

 パチッパチッと、次々に小石のぶつかる音が鳴る。

 それは小石だけに留まらず、崩れた石ブロックやレンガ、折れた柱までも、周囲の無機物が全方位からベリトに向けて襲いかかる。

 瓦礫が全身を埋め尽くすと、ミシミシと音をたて、ひび割れ、崩れ、砂となって収縮していく。

 周囲の地面がズシンズシンと沈み込み、深さ10メートル程の巨大な陥没地が作られた。

 その中心にはベリトを包んだ砂の球体、それは数センチ浮遊し、まるで惑星のように見える。

 

「終わりじゃ」


 そう呟くと、地面を蹴り付け間合いを詰める。

 煌めく剣が砂の球体を貫いた。

 それを両手で握って力を込めていく。


「ハァァァ——ッ!!」


 すると球体に亀裂が入った。

 その亀裂は数を増し、そこから閃光が明滅していく。


 風が強まり砂の嵐が吹き荒れた。

 次第にそれは砂塵となって、二人を覆い尽くし姿を隠す。

 中からは熱を帯びた光が、木漏れ日のように周囲を照らした。


 そして大きな大きな声が響いたのだ。


「余を賛美し力を示せ! マグヌス・アグヌス!」


 輝きが消え、砂塵が暗闇に包まれたかと思った、次の瞬間。


 目が焼かれる程の、強烈な閃光が放たれた。

 視界が白一色に包まれ、上下すらも認識できず脳が混乱する。

 地軸を歪める爆音と、鼓膜を引き裂く炸裂音。

 

 鳴り止まぬ地響きに恐怖を感じながらも、瞼は少しずつ景色を映していく。

 民間人たちは身を寄せ合って震えているが、被害は大きくなさそうだ。

 

 それにホッとしたのも束の間、俺はすぐ異様な光景に気付く。


 黒い煙が頭上を覆っていたのだ。

 その所々には稲光が発生し、ゴロゴロと音を立てている。

 黒煙は陥没地の中心から上空に向け、放射状に広がっていた。


 次元の違いすぎる大技に開いた口が塞がらない。

 俺がマナを使えない事を差し引いたとしても、人間業とは到底思えなかった。


 周囲の民間人たちも同じだろう。

 さっきまで震えていた者も静まり返り、息を飲んでこの光景を凝視している。



 そこにポタリと真っ赤な雫が落ちた。



 黒煙の発生源からポタポタと、鮮血が滴り始めたのだ。

 そこにできた血溜まりが、波紋を作って広がっていく。


 地響きが収まっていくにつれて、ヒューヒューと出来損ないの笛の音が聞こえてきた。

 耳を澄まさないと聞こえない程の、か細い笛の音。


 それが喘鳴だと認識した直後、


「ゲッホッ……」


 同時に溢れ落ちる、赤黒い吐瀉物。

 それがビチャビチャと音を立てると、周囲を突風が吹きつけた。


 二人の影すらも阻んでいた黒煙が、風に運ばれ消えていく。

 そしてようやく二人が姿を現したのだ。



 分かっていた事だった。

 万が一の可能性があるならば、この作戦が実行されるなんて有り得ない。


 それでも俺はこの時、生きてほしいと願ってしまっていた。


 だから俺では駄目なのだ。

 だから魔王はナーコに任せた。

 決して優先順位を間違えない為に。

 

 

「なんか言ィ残す事ァあるかァ?」


 手刀がベロニカを貫いていた。

 胸から背中までを一直線に貫通し、汚れたドレスは綺麗な赤に洗われてゆく。

 口から血を吐き咽せ返り、浮いた足は大地を探すように揺らしている。


 それでもベロニカは歯を食いしばり、気丈な表情を保っていた。

 だが呼吸もままならず、時折痛みに顔を歪めて声を漏らす。


 そしてギリッと歯を軋らせた。

 鋭い眼光をベリトに向け、ようやく震える声を絞り出す。



「……………見よ………余の勝ちじゃ…………」



 見ると、ベリトの頬に一筋の赤い線が描かれていた。

 そしてその線の端からは、一滴の血が滴り落ちたのだ。

 手の甲でそれを拭ったベリトは不満を口にする。


「いやハンデ要らねぇッてェ……」


 が、その声を聞き終える事なく、ベロニカの四肢が垂れ下がった。

 貫く腕に負荷がかかってズシリと沈む。


 瞳は既に閉じられていた。

 口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべながら。


「……ッんだよォ」


 舌打ちをしたベリトが腕を下ろすと、ベロニカの身体はズルリと滑り落ちた。

 足元の血溜まりが音を立てて波が立つ。


 血に伏したベロニカはもうピクリとも動かない。

 赤に揺蕩う水色はとても綺麗で美しく、でもそれはあまり似合わなかった。

 

 そんな中、周囲から湧き上がる大歓声。

 

 当然と言えば当然なのだろう。

 自分たちを苦しめてきた統治者が討ち取られたのだ。

 この人達からすれば当然なのだ。

 当然なのだ当然なのだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。


 それでも俺にはこの歓声が、耳を塞ぎたくなるほど不快に感じた。



 群衆が陥没地の淵まで駆け寄り、眼下のベリトに喝采の嵐を巻き起こす。


「すげぇぜベリト!!」

「お前めちゃくちゃ強いじゃねーか!」

「心配して損しちゃったじゃない!」

「ありがとうベリト!」

「ありがとう!」


 だが、ベリトの口元に笑みは無かった。

 まるで感情が抜け落ちてしまったように、それを見渡している。


 歓声は段々と収まり、心配そうな視線を送り始める者たち。


「お、おい……ベリトどうしたんだよ……」


 不穏な空気を感じ取ったラルズが、そうやって声をかけた。

 興味を失ったようにそれを見上げるが、すぐににこやかな笑顔で肩を竦めた。


「あァすまなィ、達成感ッていうのかなァ。ちょッと余韻に浸ッていただけさァ」


「な、なんだよ心配させんなよ! それよりコイツだ……!」


 一安心したラルズはそう言うと、眉を顰めながら陥没地に飛び降りた。

 未だ冷めやらぬ怒りを瞳に宿らせ、剣を片手にベロニカへと歩み寄っていく。


「コイツだけはどうしても許せねぇ……!」


 ラルズの怒りはもっともだ。

 俯瞰している俺からは、可能性を探る余地がある。

 でも何年も虐げられていた者からすれば、この怒りはもっともだ。


 ベリトもこれを止めないだろう。

 コイツは情で動くような奴じゃない。

 ましてやこれは全世界が見ているのだ。

 悪魔が人間に情けをかける姿を見せていい訳がない。


 そして、ラルズは足を止めると、亡骸を眼下に睨みつける。

 両手で剣を逆手に持ち、切先をベロニカに向けた。


「コイツのせいで……ッ!!」



——やめてくれ……。



 その剣が突き立てられる直前。

 ベロニカは真っ黒な炎に包まれた。


「な、なんだこれ……!?」


「いやァキミ危なかッたなァ。まだ生きてたらどォするのさァ、あァ危なィ危なィ」


 横を見ると、ベリトは掌をベロニカに向けていた。

 その火力は凄まじく、瞬く間に亡骸を燃やし尽くしてゆく。


「あ、あぁ……助かったよベリト……」


 そして苦笑いするラルズの顔をゆっくり覗き込んだ。


「さァ早く退がッた方がイイ……じャなきャキミにまで燃え移ッてしまゥ……それでもイイのかァ?」


 厭らしい笑みを口元に浮かべてそう忠告するベリトだが、その眼光は悪魔を強調するような悍ましさだった。



 俺は心から感謝をしていた。

 ただの気まぐれかもしれない。

 トドメを刺したかっただけかもしれない。

 でもどんな理由だろうと、これ以上ベロニカが好奇の目に晒される事はない。

 冒涜される事も、辱められる事もない。


 きっとベロニカに敬意を払ったのだろう。

 ようやく俺の心に渦巻いていたモヤモヤが晴れていった。



「そ、そうだな……! ありがとうベリト……!」


 ラルズが気圧されるように陥没地から出ていくのを見送ると、ベリトは大きく手を叩いて両手を広げた。


「さてェ、すこォし待ち時間が出来てしまッたァ! 配下の仕事が遅ィのが原因だァ、ボクァなァんにも悪くなィ! 本当さァ!」


 得意げに少し肩を竦めて、困り顔を周囲へと向けるのだ。


「部下の責任は上司の責任だぞー」

「ベリトの配下かわいそー!」

「手伝ってやれよー」


 こんなヤジがベリトに飛び交い、民間人達が和やかな空気に包まれた。



——コイツほんとにすげーな……。



「まァせッかく出来た時間だァ、友達やら家族やら探してみるとイイ。これ見てる皆もさァ、ココがどォなッてるかァ歩いてみろよォ。そろそろ動き回れるくらいにァ慣れただろォ?」


 そうやって笑顔を振り撒いて、周囲が閑散とし始めると、陥没地の淵に腰を下ろした。

 そして大きなため息をついて空を見上げ、小さな独り言を呟くのだった。


「はァ……ボクばッか働きすぎだろォ……」



——それは俺も思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ