75.0 『悪魔公爵 VS 女帝』
「ちょッと乱暴が過ぎるんじャなィかなァ?」
——ベリト——ッ!!
目を疑うように口を開け、ベリトを見つめるラルズ達。
そして数秒遅れて、口々に言葉が飛んだ。
「な……なんで助けたんだよベリト……!」
「そうよ……! 人質は助けないって……!」
それはベリトに対して、まさかの苦言だった。
この人たちは、本気で助けられる事を望んでいなかったのだ。
自分達がここで死んでも、誰かがベロニカを殺すと信じていたのだろう。
だが、ベリトはそれを笑い飛ばしながら翼を広げた。
「クハハッ、ボクにァ人質に見えなかッたけどなァ。だッて皆ァ、『交渉材料に使われてない』だろォ?」
そしてベリトはゆっくりと俺を見た。
この場に居ない筈の俺の目を、真っ直ぐに見据えてこう続ける。
「そォだよなァ、ハルタロゥ?」
「……あぁそうだよ……!」
俺は思わず、口に出して返事をしてしまっていた。興奮に笑みを溢しながら。
「ったく、余計なお世話なんだよベリト!」
「私、助けられたなんて思わないからね!」
「つーか、俺ら助けてなんて頼んでねーよなぁ!」
「そうだそうだ」と民間人が湧き上がる。
「バカだなァ、助けるわけなィだろォ? ボクァどォしても競争で勝ちたくてねェ、ただの横取りさァ」
ベリトは肩を竦めてそう答える。
周囲は呆れたような笑みを溢しながらも、ようやく安堵の表情を浮かべた。
相変わらずの人心掌握術。
この場の全員が、ベリトを対等な仲間と思っている事だろう。
完璧すぎるタイミングの登場に、世界中が湧いたのではないかと思うほどだ。
いや、タイミングが良すぎるのでは……。
——まさかコイツずっと狙ってたんじゃねーだろーなッ!!
◇ ◆ ◇
「主、何者じゃ。名を名乗れ」
ベロニカは腰のレイピアを抜いてそう問いかけるが、返事が来るより先に、要塞から兵士が飛び出してきた。
「で、伝令です!! ギブリン全員が反乱を起こし、各所に配備された衛兵術師は壊滅! そして……私も信じられないのですが……翼の生えた悪魔が……いる……と……!」
そう言った兵士は、階下のベリトに目を留め、目を見開いてガタガタと震え始めた。
「今まさに対峙しておる此奴がそれじゃろうな、全員退がるがよい」
兵士たちが要塞に逃げ込んだのを見送ると、ベロニカはレイピアを構えて少し腰を落とすと、スリットから細い太ももが露出する。
ラルズは足を引きずりながら、ベリトに声をかける。
「ベリト気をつけろ……マジでやべーぞ……」
「クハハッ、その言葉ァ向こうに掛けてやッてくれるかァ?」
「ったく……口が減らねーな……!」
「まァ皆ァその辺でゆッくり寛いでなよォ」
「ぜってーやられんじゃねーぞ……!」
そう言って退がるラルズ達を見送ると、ベリトはポケットに手を入れてベロニカを見上げる。
が、先に口を開いたのはゴライアスだった。
「悪魔とかマジウケる、でもどーせなら女の悪魔寄越せよなー」
ゴライアスはそう言って、赤く光る剣を振り回す。
空を切り裂く斬撃が襲いかかるが、それはベリトを避けるように地面を斬りつけていく。
ベリトはキョトンとした顔でそれを見た後、斬り飛ばされた民間人を見回して言う。
「キミィ、質が低ィんだよなァ」
ゴライアスはそんな言葉を初めて言われたのだろう。
信じられない表情で固まった後、どんどん顔が赤に染まっていく。
「は……? 誰の質が低いっつったんだ? あぁ? ウゼーんだよ悪魔だかなんだか知んねーけどさぁ!」
睨みつけ、石段に足をかけるが。
「退がるのじゃゴライアス!」
トンと少し地面が揺れたかと思うと、ゴライアスは石段を踏み外し、ゴロゴロと階下まで転がり落ちた。
そしてべチャリと地面に倒れ込む。
「は……?」
理解が及ばぬとばかりにゴライアスはそう呟いたが、痛みによってそれを思い知らされる事となる、大きな絶叫を響かせて。
「ぃぎぁああッッ!! ぁぁあああああッッッッ! いでぇッ!! 何がッ……!!」
ゴライアスの足首から先が潰されていたのだ。
ゴポゴポと血液が流れ落ちる。
「ほらァ、あの人の言ゥ事聞かなィからァ」
「なにじだんだでめぇ……!!」
また地面から小突かれる揺れと同時に、パチュンと肉の潰れる音が響いた。
そして左足から飛び散る鮮血。
「ぁがぁッ!!」
トンと揺れて、パチュンと響く。
それに合わせて鳴き声をあげるゴライアス。
「ゃべで……ッ……ギィっ!!」
その度にゴライアスの足が潰され、少しずつ少しずつ短くなってゆく。
「キミの鳴き声ァ汚ィなァ、リューズはそんな声を上げたのかなァ?」
ベリトは、リューズがされたように足を痛めつけていた。
殺さないようゆっくりと。
———トン、パチュン、トン、パチュン———
「ゆるじっ……! ごべッ……! わるがっ……ッ! だでず……ッ! ぃあ"ぁッ……!」
涙を流して許しを乞うゴライアスの左足は、遂に膝までが潰されていた。
いつまで続くのかと目を背けそうになるが、それはこの直後に止む事となる。
ゴライアスの頭部がパチュンと潰れたのだ。
「あーららァ、お友達じャなかッたのかァ?」
ベリトは揶揄うように階上を見上げるが、ベリニカは気丈な表情を崩さない。
「急に此奴を殺したくなっただけじゃ、余の酔狂よ。主がとやかく言う事でもなかろう?」
ベリトは舌なめずりをした。
そして片手を前に払って、丁寧にお辞儀して見せるのだ。
「キミァ上質だァ。ボクァソロモン七十二柱・悪魔公爵のバルベリト、どォぞよろしく」
ベロニカは髪を靡かせ腕を組み、名乗るベリトを見下した。
「余はルドミラ連邦・第三皇女、ベロニカ・リシテ・バルステラ。心に刻んでおくがよい」
そしてゆっくりとレイピアを抜く、腰を低く落とし、細い足で大地をジリリと踏みしめた。
それを嬉しそうに眺めたベリトは、陥没した地面を見回し問いかける。
「コレァ、キミの独学なのかなァ?」
「ならば、ソレは余の真似事か?」
質問に質問で返したベロニカは、横たわるゴライアスに剣先を向けた。
その地面には無数の小さな穴が、連なるように空いている。
ベロニカの重力を真似して、脚を潰していったのだ。
「あァ、なかなか上手に出来ただろォ?」
「そうじゃな、及第点をくれてやろう」
上から目線でそう言うと、真っ赤なマントを投げ捨てた。
風に運ばれるそれを目で追うベリト。
そして、地響きが轟いた。
離れていても体勢を崩しかねない大きな揺れ。
見るとベリトの周囲が陥没していく。
その深さは2メートルに達するかと思うほどに、深く深く沈み込んでいく。
ただ一か所、ベリトだけを避けるように。
ベロニカは地面を踏み込み一足飛びに詰め寄って、喉元に剣先を突きつける。
が、それに爪をあてがい軌道を逸らし、ベロニカの脇腹を手を添えた。
「惜しィなァ」
「ぐッ……!」
目視出来る程の衝撃波が伝い、声を漏らして吹き飛ばされるが、クルリと一回転して着地、休む間もなく地面を蹴りつけ上空に高く飛び上がった。
そしてベリトの上空で動きを止める。
突如、宙を蹴りつけたように落下スピードが一気に増した。
真上からレイピアを向けて突進するが、ベリトは同じように爪で逸らす。
が、そこにベロニカの姿は無かった。
レイピアを囮にし、ベロニカは半回転してタイミングを遅らせていた。
そして重力を自身に加え、真上から踵落としを叩きつける。
「ハァッ!」
「いやァキミ本当に凄いなァ」
ベリトに踵が当たる直前、ベロニカの身体は重力に逆らうように上空へと弾かれた。
「ちっ……!」
そしてまたクルリと回転し、階段の上へと着地する。
「よもや、余が赤子扱いとはな……悪魔とはここまでの化け物じゃったか」
階下を見下ろし、汗をポタリと垂らして呟いた。
それを否定するように、ベリトは肩を竦める。
「そんなことァなィ、ボクだッてギリギリなんだァ」
「謙遜はよい、そろそろ本気を出してみせよ」
嘯く言葉に対して本気を促すと、ベリトは驚いたように笑みを浮かべた。
「クハハッ、おィおィ冗談だろォ? それじャ勝負にならなィ、やめとけよォ」
「よい、余も本気を出すのじゃからな」
そう言うと、煌びやかなドレスを股下でビリリと破いた。
不揃いなスカートから下着が露わになるが、それを気にする素振りもない。
長い水色を後ろで束ね、ヒールを脱いで裸足になった。
「あららァ、そォんなに素肌晒しちゃッていいのかァ? お姫様なンだろォ?」
「主の隙が作れるのなら、余の肌など安い物よ。それともコチラの方が好みじゃったか?」
そう言ってベロニカは腰をくねらせ、自らの乳房を鷲掴みにしながら挑発した。
「そいつァ役得……」
またもしたり顔で見上げるが、ここで初めて驚いた表情を浮かべた。
「へェ、それァなんだァ?」
見るとベロニカは剣を構えていた。
だがその手に剣は無い。
そこに有るのは剣を模った煌めきの刃。
空気中に舞う塵が集約し、光がキラキラと反射して、ようやく剣の形と認識できる。
「言った筈じゃ、余も本気を出すと。よもや、女のカラダがソレと思った訳ではあるまいな?」
「なるほどねェ、どォやらキミを見くびっていたらしィ。そォいゥ事なら敬意を払おゥ、本気で相手してやるよォ」
舌なめずりをして王冠をクルッと回す。
気づけば、千をも上回る民間人が周囲を埋め尽くし、固唾を飲んで見守っていた。
「キミがココの統治者でイイのかなァ?」
「愚問じゃな、此処は余が統治する領土。余が王となる為だけに存在する礎の地じゃ」
この言葉の直後、民間人達は憎しみに顔を歪めて怒号を飛ばした。
「ふざけんじゃねーぞテメェ!」
「てめーの出世に俺たち巻き込むなッ!」
「どれだけ私たちがアンタの為に……!」
「殺せッ!」
「女帝を殺せッ!!」
「ソイツを殺せベリトッ!」
石を投げつける民間人。
それがぶつかり、ベロニカのこめかみからは血が流れる。
「いやァ随分恨まれてるみたィだねェ」
「弱いが故に搾取された羊の戯言じゃ、余には届かぬ」
「イイねェ。傷一つでも付けれたらキミの勝ちにしてやろォかァ?」
「余にハンデなど不要じゃ」
ベロニカは地面に片手をつける。
そこからは地割れが起こり、階段が左右に真っ二つ。
それはベリトの足場まで両断していき、そこが一気に崩壊した。
ベリトが飛び退くと、その隙を狙っていたかのように、飛び上がり追撃をかける。
「ハァァッ!」
煌めく刃が斬りつける。
袈裟斬りを逸らされれば、慣性を使って回転し踵を入れる。
それを弾かれれば、空を蹴りつけ距離を詰め、突き刺し斬りつけ斬り上げる。
煌めく剣が間合いに応じて変容する。
槍のような長尺かと思えば、次の瞬間には短剣になっている。
足先や踵からもキラキラと光が反射する。
攻撃全てに刃を乗せているのだろう。
それよりも驚くべきは対空時間、まるで浮いているかのような空中戦が繰り広げられている。
ベリトには翼があるが、ベロニカはただの人間だ。
きっと重力を操る事で、それを可能にしているのだろう。
紛れもなく人間の中では上澄み中の上澄み。
フルカス戦のタロットを思い出してしまう身のこなし。
最上位がどうこうという指標は、今すぐ見直すべきではないだろうか。
ルーニーやゴライアスと同じ位とは到底思えない。
———ガキィンッ———
金属の衝突音が響くと、地上に降りた二人が鍔迫り合いを始めていた。
両手で剣を押し込むベロニカ、爪でそれを押さえ込むベリト。
そんな中、二人はなにか会話をしていた。
したり顔でベリトが口を開くと、ベロニカが眉を顰めて言い返す。
ジリジリとベリトが押し込んでいたが、フッとベロニカの剣が消えた。
バランスを崩したベリトの隙をつくように半回転。
手には煌めく短剣が握られている。
遠心力を加え、裏拳のようにそれを突き刺す、が、届かない。
ベリトの顔面スレスレに小さな魔法陣が現れ、それが剣先を阻んでいた。
ここで初めて魔術を使ったのだろう。
ベリトは驚いた表情の後、嬉しそうに笑みを溢し、また何か声をかける。
ベロニカは不快な表情で歯を軋らせながら答え、追い討ちをかけるように、ニヤケ面のベリトが嘯く。
ここでベロニカは驚いたように目を見開き、大きく後方へ飛び退いた。
またすぐ飛び掛かるかと思ったが、ベロニカは穏やかに天を見上げていた。
そして大きなため息をつく。
気づけばベロニカの身体はボロボロだった。
細い脚には無数の擦り傷、白いドレスは泥だらけ、肩紐はズレ落ち、裾はほつれて糸が垂れ下がる。
ポニーテールがハラリと解けて、美しい水色が風に靡いた。
ベロニカは顔を下ろし、ゆっくりと周囲を見回し始める。
罵声を浴びせる民間人、そこら中に転がる兵士の遺体、背後に聳え立つ大きな要塞、そして目の前に立ちはだかる悪魔。
肩紐を直して、悪魔に剣を突きつける。
ベロニカは笑顔を見せた。
そして高らかに、大きな声を張り上げたのだ。
「良いじゃろう、乗ってやる!」




