74.0 『ルドミラ連邦第三皇女』
最初に視界に映ったものは、高く聳え立つ無機質な要塞だった。
赤褐色のレンガと、鼠色の石ブロックがまばらに積み重ねられ、色味に均一性が無い。
見栄えよりも強度やコストを重視しているのだろうか、外壁には窓の一つも見当たらない。
中央から石段が続いており、その先の門は落とし格子で閉じられていた。
「撃てッ撃てぇッ!!! 衛兵は何をやって……ぐぁッッッ!!」
怒号と断末魔に気づいて振り返ると、百人以上の民間人が武器を持って押し寄せていた。
それらから要塞を守るように迎え撃つのは、赤い軍服の兵士たちが十数人。
炎の玉や氷の槍、風の刃が民間人を次々に撃ち倒していく。
個々の強さでは間違いなく兵士が上。
だが、一人倒しても三人が襲いかかる。
数の暴力に、要塞が攻め込まれるのも時間の問題かと思ったその時。
「これが見えねぇのかギブリン共ッ!!」
一人の兵士が大声でそう叫んだ。
見ると女を一人締め上げ、肉壁にして剣を突きつけている。
「コイツの命が惜しきゃ……」
「私ごと殺してラルズッ!!!」
兵士の声をかき消すように女が叫んだ。
「わかってるよチキータッ!!」
ラルズがそう返事をすると、一足飛びに駆け寄って、躊躇いなくチキータの胸を剣で貫いた。
「ありが……と………ラルズ……………」
チキータはそう言い残し、口から血を吐き出した。
ラルズが剣を引き抜くと、チキータと兵士が地面に倒れ込む。
剣はチキータごと後ろの兵士を串刺しにしていたのだ。
ドロドロと流れる二人の血液。
「狂人ども……め………」
兵士がそう溢すと、ラルズは咆哮をあげた。
「うぉぉおおおッ!!!」
「「「「うぉおおおお——ッ!!!」」」」
続くように民間人たちが咆哮をあげる。
それに気圧されるように兵士たちが震え始めた。
「む、無理だ……なんだコイツら……!」
「仲間ごと……イカれてやがる……ッ!」
その弱音に付け込むように、中央の階段向けて一気に攻めかける。
「一気に登れぇッ!!」
「たたみかけるぞぉッ!!!」
「やめッ……くるなッ……くるなぁあああッ!!」
兵士達が逃げ始め、民間人達がそれを追うように、一気に石段を駆け上った。
だがおかしい、その先の落とし格子が開かれている。
その不自然な光景に気づいた時にはもう遅く、段上からラルズ達を鮮血が降り注いだ。
兵士を含めて十人以上、それらの脚や胴が両断され、ゴロゴロと石段から転がり落ちる。
ラルズたちはここで初めて、足を止めて後ろに退がった。
石段の中腹に細い裂け目が出来ていたのだ。
裂け目は所々に熱を帯び、ナーコの高圧ビームで斬り裂いた跡によく似ている。
不可解な出来事にパニックになりかけるラルズ達だが、すぐにこの裂け目が剣閃の跡だと認識する事となった。
「ギブリンに追い詰められるとかマジウケる」
その声の主は門の前に立つ男からだった。
金髪のマッシュルームカットの20代後半、身長180程の細身の男、白い軍服に身を包んでいる。
眉毛が細く短く、頬骨が突き出し、ニヤニヤと笑う口元から覗く黄ばんだ歯は、所々が抜け落ちて見える。
下品という印象が拭えないニヤケ顔。
片手に持った剣は、刃先が熱を帯びたように赤く光っている。
階下に残った兵士がそれを見上げてガタガタと震え始める。
「ゴ、ゴライアス護衛長殿……も、申し訳ございません……突如ギブリン共が反乱を起こし……あ、あまりに数が……グギャッ!」
報告を言い終える事なく、その兵士の首が飛んだ。
ゴライアスはその兵士に向けて剣を一振りしただけだった。
届かぬ筈の剣先から、空を斬り裂く斬撃を飛ばしたのだ。
「言い訳キモすぎなーマジ」
ゴライアスは体格に似合わぬ大剣を軽々肩に担ぐと、足元に倒れる民間人の男に目を移した。
男は石段に手をかけ、どうにか落ちないように踏ん張っていた。
だが立つ事は出来ない、それは彼の右足の太ももから下が無くなっているからだ。
歯を食いしばって痛みに抗っている男に手を伸ばすゴライアス。
「ウケる、うぜーから立たせてやろっかぁ?」
そう言って男の髪を掴んで引っ張り上げた。
「リューズッ!!」
ラルズが男に向けてそう叫んだ。
リューズは石段の上からブラブラと揺らされ、左足の断面からはボタボタと血が流れ出る。
「ギブリン片脚みじかすぎなのマジウケるじゃん」
そうやってリューズを微笑うと、赤く光る剣身で左足を切り落とした。
「ぐぁッ……ッ!」
リューズから悲痛な声が漏れる。
「これでちょっとはバランス取れるっしょー、ほら立ってみろよー」
そう言って、リューズを下ろすと脚の断面を石段に押し付ける。
「ギッ……づぁ……ぐッ……あ"ぁッ……!」
「なぁ? ほらなんで立てねーんだよーギブリンだからかぁ? なぁなぁなぁ」
悲痛な声を堪えるリューズを、まるで拷問を楽しむようにグリグリと石段に擦り付けて笑う。
「やっぱダルマにすっかなー」
そう言ってまた引っ張り上げ、片腕を切り落とそうと剣を振り上げたが。
振り下ろす直前、剣がリューズを貫いた。
背中から心臓を通り、胸から剣先が飛び出した。
ゴライアスは驚いたようにそれを見て不機嫌を口に出す。
「あぁ? なんだこれぇ?」
「胸糞悪ぃんだよてめー……ッ!!」
階下からラルズが剣を投げ、リューズにトドメを刺していたのだ。
「は? うっぜーなてめー、せっかくのオモチャどうしてくれんだよ、なぁ?」
ゴライアスはラルズを睨みつけながら、リューズを階下に投げ捨てた。
そして民間人達を見下ろし、またニヤニヤと笑い始める。
「あーでもいいやー、オモチャいっぱいあるみたいだし、てかオンナも何人かいんじゃんウケる」
ゴライアスは拷問を示唆したが、これで臆するラルズ達ではなかった。
「誰がアイツをやるか競争だよなぁッ!!」
「そうよッ! アタシがやるわッ!!」
「いいや俺だぜッ!!」
口々にそう言うと、恐怖という感情が欠如しているかのように、一様に奮い立っていく。
「行くぞぉッ!!!」
「ギブリンなんか一発でやられちゃうのにマジウケるー」
ゴライアスは高揚した顔つきで剣を振りかぶった。
さっきの威力を見る限り、人数でどうこうなるものではないだろう。
次の瞬間にはここにいる大半が……。
「待てッ!!」
そこに女の声が響き渡った。
同時に大地が少し揺れ、その場の全員が動きを止める。
そして民間人は口々に声を漏らし始める。
「なんだ……これぇ………ッ!」
「重いッ……カラダが……!」
ラルズ達はまるで何かに押し潰されるように、その場でガクッと膝を落とした。
自ら跪いているようにも見えるが、顔には苦悶の表情を浮かべている。
それ以上に目を引いたのが、地面の陥没だった。
ラルズ達を覆うように、周囲一帯が数センチ陥没していたのだ。
ゴライアスは舌打ちをすると、剣を下ろして道を空けた。
すると、門の奥から一人の女が姿を見せた。
年齢は二十代前半、身長は170程だろうか。
小さな顔、目尻の少し上がった二重瞼に真っ青な瞳。
水色の長い髪が靡き、それを真っ白のドレスが引き立てる。
曲線の美しい自慢げな胸元と、スリットから覗く白い太もも。
高飛車にも見えるが、端正に整った顔立ちが美しい。
おそらく女帝がこの女だろう、大きな赤いマントがそれを物語っている。
その女は腕を組み、跪く群衆を階下に見下ろした。
「ギブリス民が何用じゃ、余をベロニカ・リシテ・バルステラと知っての狼藉か?」
「……ッ……てめーを殺しに来たんだよ……ッ!」
ラルズの顔からは大量の汗が滴り、どうにかそこまで言葉にした。
するとゴライアスが前に出て言う。
「もういいから皇女サマは退がっててくれますかねぇ」
「黙れ、お前が退がれゴライアス」
ベロニカがそう言うと、あからさまな苛立ちを表情に浮かべて引き退がる。
「つーかこれって皇女サマの責任問題っすよねぇー?」
ゴライアスはスリットから覗く太ももに目をやって、ニヤニヤしながらそう言うのだった。
——なんだ? 護衛長なんじゃないのか?
そんな言葉に耳を貸さず、ベロニカはまた一歩前に出た。
直後、ドシンという音と共に、民間人の周囲の地面が更に陥没した。
「ぐぁッ……クソがッ……!」
ラルズ達が更なる重みを加えられたように、その身体は耐えられず、うつ伏せになって倒れ込んだ。
——もしかして重力か……?
「主ら、剣を収め余に忠誠を誓うのじゃ」
ひれ伏すラルズ達を見下ろしながら剣先を向け、そうやってベロニカは降伏を促す。
だが、それに屈するラルズ達ではなかった。
「ルドミラなんかに……あがッ!!」
言葉の途中で、更にドシンと地面が落ちる。
ラルズ達の身体はミシミシ音を立て、うめき声が漏れ出していく。
地面がジリジリと押し込まれる。
「最後じゃギブリス民、余に忠誠を誓うのじゃ。余に仕え、余を崇め、余が王となる礎となると誓え。さすれば主らの望みもいずれ叶う、今はそれで良しとせよ」
ベロニカがそうやって、自分本位な言葉を投げるが、答えはラルズだけでなく、ひれ伏す者達全てから聞こえてきた。
「死ね……」「誰が女帝に……」「対等じゃねーだろ……」「死んじゃえ……」「てめーのせいで……」
これに大きなため息をつくベロニカ。
「大バカ者じゃな、せめて余を彩る華となるがよい」
憐れむようにそう呟くと、水色の髪を靡かせ背を向けた。
もしベロニカの能力が重力であるなら、これからラルズ達になにが起こるか想像がついてしまう。
ミシミシと押しつぶされていくラルズ達、俺はそれから目を逸らし唇を噛み締めた。
そしてついに、
————ズシンッッ——
大きな大きな振動が響き渡った。
何もできなかった自分に歯痒さを感じながら、凄惨な光景を覚悟するが。
「あ、あれ……なんで俺生きてんだ……?」
潰されたと思われたラルズの声がしたのだ。
驚いてそちらに目を向けた。
間違いなく地面は深く深く陥没しているが、なぜか民間人だけが避けられている。
なんだなんだとざわつきながら、重みから解放された身体は次々に身を起こす。
容赦されたのかと見上げるが、ベロニカすらも眉を顰めてそれを見ていた。
「どういう事じゃ?」
「恩赦ですかねー? 皇女サマ」
「余が此奴らにそこまでする謂れはない、いや待て」
ベロニカはそう呟くと、更に眉間に皺を寄せ、階下から続く大通りに目を凝らした。
するとそこから、コツコツと足音が聞こえてくる。
不気味に響くその音に、この場の空気が静まり返った。
皆一様に、ベロニカの視線の先に目を凝らす。
すると静かに、厭らしい声が響いたのだ。
「ちょッと乱暴が過ぎるんじャなィかなァ?」




