71.0 『サキュバスVS人間』
「あれぇ? あーしまた間違えたんですかねぇ?」
ポリポリと頭を掻きながら、首を傾げるケリス。
「おいテメー何者だ? ビッグはテメーが」
「あのぉー、ココって第二演習場で合ってますかぁ?」
ルーニーの問いかけなどお構いなしに、ケリスがそう尋ねた。
周囲で様子を伺っていた兵士が、見かねて声を上げ、ケリスに詰め寄っていく。
「隊長が聞いてんだろッ!! テメーここに何の用がブペッ……!」
次の瞬間には、兵士の喉には大きな空洞が空いており、口からドロリと赤黒い塊を吐き出す。
そして膝が折れるように倒れ込むと、ビクビクと不規則な痙攣を起こした。
ルーニーはそれを訝しげに睨みながら、剣をゆっくりケリスに向ける。
「テメー何しに」
「あのぉー、おにーさんが隊長さんですかぁー? ココって第二ぃ」
「それがなんだってんだテメーッ! 何しに来やがったッ!!」
ルーニーが初めて声を荒げた。
ケリスはこれを肯定と捉えたのだろう、ビッグの身体を空中に放り投げて、笑顔を見せた。
「アッハー♪ やっぱりぃ! 探すの大変だったんですよぉ? メイドちゃん達に『ここは第三だー』とか、『ここは第四だー』とか叱られちゃってぇ」
——メイドちゃん達……他のサキュバスも来てるって事か……。
「オレの質問に答えろッ!! テメー何しに来たんだコラァ!!」
「あーしですかぁ? あーしは魔王様のご命令でぇ、ルドミラの兵士さん達をみーんな殺しに来たんですよぉ」
人差し指で頬をぷにっと潰しながら首を傾げるケリス。
その姿に苛立ち、歯を軋らせながらルーニーは言う。
「オレは最上位魔術師だ……! 生きて帰れると思ってんのか……? あぁ!?」
ルーニーはそれと同時に剣を地面に突き立てた。
すぐに炎の十字架がケリスの周りに立ち上り、それは分裂して牢獄となった。
——それやべーぞケリスッ!!
「フレイムプリズン」
「へ?」
俺の心の叫びも虚しく、ルーニーの言葉と共に牢獄が収縮し、ケリスを包み込んだ。
それはさっきとは比べものにならない程の、大きな爆発を起こし、黒い煙が立ち上る。
「ハハハッ、ザコがッ!! ちょーし乗ってんじゃ……………なっ……ッ!?」
黒煙が晴れると、両翼で全身を包んだケリスが立っていた。
ケリスはその翼を広げると、苦笑いを見せながら呟く。
「あれぇ……? あーしぃ、最上位は殺すなって言われててぇ……えっと、これホントに最上位なんですかねぇ……」
「……後悔すんじゃねぇぞテメー……!」
ルーニーは苛立ちを露わにそう言うと、上空に手のひらを向け、火の玉を打ち出す。
それは高く高く上がり、花火のように弾けた。
それをボケーっと見ながらケリスが問いかける。
「えっとぉ、これってなんですかぁ?」
「ハハハッ、いいオンナ見つけた時の合図だ! テメーは殺さねー……! クスリ漬けにして犯してやる……!」
ケリスの耳がピクリと動いた。
そして顔に影を落として、呟くように問いかける。
「クスリ……?」
「ああそうだ、俺に媚びながらアンアン喘ぐんだよテメーは……! あのオンナみてーになぁッ!」
ルーニーはそう言って、ピクトに寄り添うリサを指差した。
「ぁあ"ッ……!! ごめんなさい……アナタ……ごめんなさい……!!」
リサは声をあげて涙を流し、ピクトに謝罪を繰り返す。
ピクトは必死にリサに寄り添いながら「大丈夫」と優しく語りかけていた。
ケリスはそんな姿に目もくれず、
「そーゆーのいらないんでぇ、そのおクスリって今持ってるんですかぁ?」
「あるぜ? 興味あんのか? なら後でキモチよーくしてやるから」
「アッハー♪ それちょー助かりますぅ! ならちょっと待っててくださいねぇー」
ケリスは満面の笑顔をルーニーに送ると、取り囲む兵士に目を向けた。
兵士たちは剣や杖など、各々の武器を持って身構える。
ケリスはその場で腰を落とし、片手を地面に付けて眼を閉じた。
そして何やらボソボソと呟き始める。
(脳は傷つけない脳は傷つけない脳は傷つけない……)
「おいテメー何する気……」
「こぉんくらいですかねぇ……よっと」
そう言ってケリスが軽い掛け声を発すると、その手のひらから、黒い水たまりがすごい勢いで広がる。
「な、なんだよこれッ……!」
「うわッ……やめ、、なに……ヒィッ……!」
ルーニーと民間人を避けるように、広場全体を満たした水たまり。
それは兵士達を、足元からズブズブと飲み込む。
「うわぁッ……まって……! 許して……ごめんなさいッ……!」
兵士達から悲鳴と命乞いの大合唱が聞こえた直後、それら全てが断末魔に変わる事となる。
全員の下半身まで飲み込むと、その水たまりが一気に干上がったのだ。
「ぐべッ!」
声にもならぬ声を残した兵士達は、水たまりに飲まれた下半身は消え失せて、残ったのはその上半身だけ。
見渡すと広場全体に、それらの上半身が何百と転がり、赤黒い血液が流れ出していた。
「やーったやったぁ! あーしこれ上手く出来たんじゃないですかぁ? どーですかぁ?」
キラッキラの笑顔を民間人に向けて、嬉しそうな声をあげるケリス。
「救世主様だ……」
「私たちを救いに来てくれた……」
「「「うぉおおお——ッッッ!! 救世主様だッッッ!!」」」
民間人たちはケリスに羨望の眼差しを向け、興奮して大声を上げた。
「へ? それあーしの事ですかぁ? えっと別に救いに来たわけじゃないんですけどぉー」
「ま、待ってくれ……! 命だけは……全部謝るから命だけは……!」
ルーニーが腰を抜かしたように尻餅をつき、ケリスから逃げるように後退りしていく。
「だからぁ、おにーさんは殺さないんですよぉー。それよりおクスリどこですかぁ?」
ケリスは何食わぬ顔で、ルーニーに向かってトコトコと歩いて行く。
ルーニーは、必死に火の玉を空へと打ち上げ続けた。
「くそッ……クソクソクソッ!! なんで誰も来ねぇんだよぉッ!!」
「お仲間さんならぁ、もういないんじゃないですかねぇ」
「来るな……来るなぁッッッ!!!」
「キャアッ!」
ルーニーは横にいた民間人の女を掴むと、そのまま引っ張りあげて剣を突きつけた。
「それ以上近づくなッッッ!!! この女を殺すぞッッッ!! 退がれテメー!!!」
「好きにしていいですよぉ? あーしはおクスリの事を聞ければ満足なんでぇ」
ケリスは速度を緩めず、ニコニコと嬉しそうに近づいていく。
「オ、オレは本気だぞ!? いいのか!? あぁ!?」
「どーぞどーぞぉ♪ そんでおクスリはぁ?」
ケリスは二人の前まで来るとニッコリ笑って、ルーニーの胸ぐらを掴んだ。
「やめ……ごめんなさい……やだ……死にたくない……」
「あーもぉ、うるっさいですねぇ」
ケリスはそのままグイッと引っ張り、人質の女を気遣う事もなく、ルーニーの顔面を地面に叩きつけた。
「ぐぁッ……!」
ルーニーの鼻は潰れ、前歯の折れる音が響く。
人質の女は前頭部を地面に強打し、意識を失っている。
ケリスはそのままルーニーの後ろ髪掴み、ズリズリと引き摺りながら、元来た道へ歩き出す。
「救世主様……! どちらに行かれるのですか……」
「だからぁ、あーしそーゆーんじゃなくってぇ、魔王様の命令で来ただけなんですよぉー」
ケリスがめんどくさそうにそう答えると、民間人たちがどよめく。
「魔王様……! 魔王様が救世主様だったのか……!」
「そうだ……! 魔王様……! 魔王様が助けに来てくれた……!」
「魔王様……魔王様魔王様魔王様ッッッ!!!」
怖いほどにナーコの要望が叶っていく。
ケリスが困った顔でそれを眺めていると、手元のルーニーが声を出した。
「ピ……ピクト……俺が悪かっ……だから……助け……」
そう言って、ピクト達に手を伸ばして助けを求めた。
身勝手すぎる言動に、見ているだけでも腑が煮え繰り返りそうになる。
ピクトが口を開く。
「救世主様……その男は……殺さないのですか……?」
「殺さないってゆーかぁ、あーしが決める事じゃないってゆーかぁ?」
「もし殺すのであれば……ぼ、僕にやらせてくれませんか……?」
両手を縛られたままのピクトは膝立ちになり、ケリスを真っ直ぐに見てそう嘆願した。
「だーかーらぁ、あーしにそんな権限……」
「ボクが赦そォ」
ケリスの返事を阻んで、厭らしい声がそれを許可した。
驚愕した表情に変わるケリス。
バッと声の主を振り向くと、ベリトが両翼を広げながら、ポケットに手を入れて歩いてきていた。
ケリスはもう一度ルーニーを地面に叩きつけてからその手を離した。
即座に両手両膝をつき、さっきまでの余裕が嘘だったかのように、声を震わせた。
「バ、ババババルベリト様……!? ななななんで、あーし……あーしあーしあーしなんかの担当箇所へ……わざわざわざ足を運ばれててて……!!」
「敬称なんかァよしてくれケリィ、ボクたちァ『ベリィ&ケリィ』だろォ? 友達になッたじャないかァ……遠慮なくベリィって呼んで欲しいなァ」
この広場で兵士達を皆殺しにし、救世主とまで呼んだケリスの土下座姿には、一様に唖然とする民間人たち。
ケリスは震える声に鞭を打ち、必死にベリトの要望に応えるよう努力する。
「ベっべべ……べり……ベリィ……」
「それよりケリィ、お手柄だァ!」
ベリトが両手両翼を大きく広げ、ケリスを称賛した。
「へ……?」
信じられない事のように顔をあげ、すぐにまた額を地面に擦り付けた。
「な、なななな!? ああああーしなんかにはもったいないお言葉ってゆーかぁ……あ、ありがとうございますぅ……!! べべべ……ベリィ……」
ケリスが脂汗を垂らしながら礼を言っている。
するとそこに、歩幅の狭い小さな足音と、幼女の可愛らしい声が響いた。
「ばるべりぃ! はやいよぉ、なんでエルのことおいてくのぉ!」
ベリトの後ろから、黒いワンピースの小さな幼女が、真っピンクの髪を揺らして駆け寄ってきた。
「ブエルお前なァ、猫撫で始めて動かなくなったのァ誰だよォ?」
「だってねこちゃんかわいかったでしょー?」
すぐに顔を上げ、そんな幼女を目を見開いて見つめるケリス。
その顎からポタリと汗が地面に垂れる、そしてまたも額を地面につける。
ケリスの土下座はそろそろ見飽きてくる程だ。
「ブブブブエル様……!? ああああーしあーし、あーしは、オオオオノスケリスという悪魔でして……!」
「おのすけ? これぜんぶおのすけやったのぉ?」
ブエルは土下座ケリスの前に立つと、広場中に転がる数百の上半身を見回した。
「ははははいぃ……! ああああーしなんかで上手く出来たか、じじじ自信ないってゆーかぁ……」
「どォだァ? ブエル」
ベリトがそう問いかけると、ブエルはニッコニコになって答える。
「すごーい! のーみそぜんいんぶじー! さいゆーしゅーしょー!」
「へ……?」
「最優秀賞だってよォケリィ、顔上げたらどォだァ?」
ケリスがおそるおそる顔をあげると、ブエルが頭に手を置いた。
「おのすけがんばったねー、いーこいーこしたげるー!」
笑顔でそう言うブエル、それと目を合わせたケリスは、ボロボロと涙を溢し始めるのだった。
「そ、そんな……恐れ多いってゆーかぁ……ありがとうございますブエル様ぁ……ありがとうございますぅ……!」
「あとはエルにまかせてねー!」
ブエルはそう言うと、血の海をパシャパシャと走っていき、広場の中央に立った。
そしてケリスに向けて大きな声をだした。
「おのすけー、すきなどーぶつおしえてー!」
「動物ですか……? ウ、ウサギですぅ!! あーしぃ、ウサギさん好きってゆーかぁ!!」
少し首を傾げたケリスだったが、すぐに立ち上がってブエルにそう答えた。
「うさちゃんかわいいよねぇ、エルもすきぃ!」
ブエルはそう言ってニッコリ笑うと、血の海を両手で掬い上げる。
それはフワフワとゆっくり浮き上がり、無数の水滴に分裂していく。
その水滴の一粒がこちらにゆっくりと向かってきた。
それは足元に転がる、ビッグの頭頂部で動きを止め、ゆっくりと落ちる。
頬に降り、そこから皮膚を伝って、鼻筋、目頭、そして眼球に染み込まれていったのだ。
「んん……?」
ケリスは首を傾げながら、その様子を見ている。
するとビッグの頭皮に亀裂が入った。
頭蓋骨が膨らみ、それに耐えられなくなった頭皮が、ベリベリと剥がれる音が響く。
爆発でもするのかと思われたが、そうはならなかった。
ポンッと可愛い音をたて、まるでアニメのように、コミカルな煙が頭頂部を包みこむ。
その煙が晴れると、そこにあった物は、
「ウサギさんのぬいぐるみぃ……ですかぁ?」
頭頂部は跡形もなく消え、ウサギのぬいぐるみがちょこんと座っていたのだ。
それはブエルと同じ髪の色、濃いピンク色のウサギだった。
頭には真っ赤なシルクハットを被り、プリムからは長い耳が垂れている。
真っ黒な大きい瞳、口は小さなバッテンで閉じられていた。
だがそれは、愛くるしい姿に似合わない、ゴツゴツとした太い棍棒を握っている。
周囲の兵士からもポンポンと、コミカルな音と共に、無数の同じぬいぐるみが現れていく。
ブエルはパシャパシャと、血溜まりを駆け寄ってくる。
「どぉー? かわいいぃ?」
「は、はいっ! とっても可愛いですぅ!」
ケリスはぬいぐるみの頬に指をやり、くすぐるように撫でていた。
するとぬいぐるみは、ピョンっと起き上がり、縛られる民間人の中にトコトコ歩いていく。
そして一人の男性の前に立った。
男性はその愛くるしい姿に表情が緩み、緊迫した空気が和らいだと思ったその時、
「ぐぺッ……!!」
棍棒で男性の頭部を殴打した。
頭蓋骨にグシャリとめり込むと、血飛沫が飛び散り眼球が垂れ下がる。
「キャアアアアアッ!!!」
「うわああああッ!!」
「な、なぜこんな事をッッッ!!」
「あーしは知らないですよぉー! えっとぉ、これってぇ?」
「隠れてる兵士を探してくれンだよォ。民間人に紛れられたらァ、ボクたちじャ見分けつかなィからさァ。一人一人問いただすのも面倒だろォ?」
ベリトが自慢げに手を広げながらそう説明した。
周囲にある複数の民間人グループでも、同様に殴打と悲鳴がこだまする。
「だから脳は傷つけるなーってご命令だったんですねぇ」
「そォいう事だァ」
ケリスはそれを民間人に向けて、「こういう事らしいですぅ」と伝えた。
民間人達にホッとする様子はあったが、そのギャップのある恐ろしさに震える者も多かった。
「よーし、いっけーうさちゃーん!」
ブエルがそう言うと、数百に及ぶウサギのぬいぐるみ達は、トコトコと大通りに向かって歩き始めた。
向かう先をよく見ると、猫やクマのぬいぐるみ達も、棍棒片手にウロウロと徘徊している。
兵士同士なら顔を覚えている、だから兵士の脳みそを媒体にしたと。
——ブエルちゃん……やる事やばすぎんだろ……!
俺は改めて、ブエルだけは怒らせまいと心に誓うのだった。
「さてェ、ケリィのもう一つの手柄がキミだァ」
ベリトはそう言って、蹲って震えるルーニーの前にしゃがんだ。
「こ、殺さないで……」
「それよりもォ、まずァおクスリ出してくれるかなァ?」
「こ、これ……これで……!」
ルーニーは懐を必死に弄り、無数の錠剤が詰め込まれた大瓶を取り出した。
「ふゥん」
その震える手から大瓶を受け取ると、蓋を開けて匂いを嗅ぐ。
少しため息をついたベリトは、それをブエルに手渡した。
「おくすりこれだけぇ? おうちにまだあるぅ?」
「そ、それだけで……! 本当に……!」
「嘘ァついてねェなァ」
すると、ブエルは一粒口に入れた。
カリッと口の中でそれを砕き、もぐもぐと咀嚼してから喉を動かした。
「どォだァ?」
「んん〜もってかえってもい?」
「珍しィねェ、この男ァ要るかァ?」
「いらなぁい、ころしていーよぉ」
ルーニーが悲痛な顔をあげた。
「やめてくれ……オレは女帝からの指示で仕方なく……!」
「女帝ィ? それがココのトップでイイのかァ?」
「そ、そうだ……! 第三皇女……! それ流行らせたのだってソイツの意向だ!! オレは仕方なく……!」
その命乞いを無視するように、ベリトはブエルとケリスに顔を向けた。
「あとァボクの仕事だァ、ケリィはブエル連れてってやってくれるかァ?」
「ももももちろんですぅ!! で、でもでもでも、どこに行けばぁ……?」
不安げに尋ねるケリスを見て少し悩んだベリトは、パチンと指を鳴らしてこう提案する。
「そォだなァ……じャあ女帝ッてヤツ探してくれるかなァ? 目的あッた方が動きやすィだろォ?」
「は、はいぃ……! ありがとうございますぅ……!!」
するとブエルは、ケリスの肩にピョンと飛び乗ってニコニコ笑った。
「おのすけよーしくね! じゃああっちからいこー!」
「は、はいぃ!!」
そう言ってケリスは、ブエルの指差す方向に走って行った。




