70.0 『開戦』
『よぉ人間ども、聞こえているか?』
すぐに周囲を見回すが、魔王の姿はどこにも見られない。
皆、同様の反応を示していたが。
やはりというべきか、タロットだけは澄ました顔で目を閉じ、魔王の声に耳を傾けている。
——お前そういうトコだぞ! ぜってーいつかバレるからな!
そんな俺たちには関係なく、魔王の言葉は続いていく。
『俺は、お前らが【魔王】と呼んでいる存在だ』
そうやって魔王の声が静かに響く中、突然ナーコが俺にしがみついてきた。
「ちょ……ナーコ、なに!?」
俺の胸に顔をぐりぐりと押し付けてくる。
何事かと思っていると、ナーコが興奮したように大声をあげる。
「せ、先生が耳の中に住んでるっ!!」
「住んでねーよ」
よく見ると俺の服で鼻血を拭っていた。
——ホントにどーしようもないなコイツ……。
魔王の気だるい声が続く。
『俺はお前らに知ってもらいたいんだ、これは自己紹介と捉えてくれてもいい。お前らも気になる相手には、自分をアピールするだろう? それと同じだよ、俺はお前ら人間が好きなんだ』
「……す、す、好きってそれ……私の事……!?」
——いや何言ってんのこの子?
独り言を返すナーコに冷ややかな視線を送っていると、魔王の言葉は続く。
『これからお前らには目を瞑ってもらいたい。なに緊張する事はない、ちょっとした暇つぶし感覚で構わないんだ。好きな菓子でも用意して、怠惰にダラダラと目を瞑ればそれでいい』
「わ、私が先生の話をそんな……ダラダラなんて……! あ、あり得ませんよ……!」
ナーコはそうやって、また宙に返事をすると、俺の横で正座をして目を瞑った。
幼馴染としてほとほと呆れ、ため息が漏れてしまう。
前国王の振る舞いは、一体どこにいってしまったのだろうか。
俺はそのまま床に腰を下ろすと、魔王の言葉通り目を閉じた。
少し待つと、ゆっくり視界が開けてくる。
周囲は大量の蝋燭に火が灯り、その中心には禍々しい玉座が映る。
魔王城の玉座の間だ。
そしてそこでは、魔王がいつものように頬杖をついている。
だがその姿は、今までの印象と大きく異なるものだった。
透き通るように真っ白な髪をかき上げて、突き刺すような真紅の瞳をこちらに向けている。
今までの黒髪に黒い瞳、何より気だるい印象とまるで対照的だ。
そして頭には煌びやかな王冠を被り、着衣は金の装飾が贅沢に施された、真っ黒なコート。
襟や袖に使われた毛皮が艶やかにゆれ、その動きに目を奪われてしまう。
「かっ……かっ……かっこよすぎ……先生ッ……かっこよッッッ!」
ナーコの緊張感の無い声が会議室に響いた。
——ぜってーそうなると思ったよ! どうせ鼻血も垂らしてんだろうな!!
とはいえ、男の俺からでもその気持ちが分かる程だった。
真っ白の髪はアヤネ様が彷彿として、兄妹並べて写真を撮らせて欲しい。
魔王は人間が目を閉じるまで待っているのだろうか、退屈そうに欠伸をしている。
それより、瞼に映るこの映像にはどうにもならない違和感があった。
いや、映像と呼ぶにはあまりにもリアルすぎる、まるで本当に魔王が目の前にいるかのような違和感。
瞼の中の目の動きと視界が連動しているのだ。
目の動きだけじゃない、首を振れば周囲を見渡す事もできる。
魔王がこちらに向き直ると、足を組み替えて自慢げに両手を広げた。
『そろそろ気づいたか? 面白いだろう。所謂VR、バーチャルリアリティって奴だ。俺からお前らの事は見えていないから安心しろ、好きに動いてくれて構わない』
魔王がそうやって説明を終えた瞬間、ナーコが立ち上がった。
「ホ、ホントに……? じゃ、じゃあ遠慮なく……」
そう呟いてフラフラと歩き始め、ゆっくりと魔王のいる方角に遠ざかっていく足音。
――おいおいおいナーコ……何しようとしてんだよお前……!
『とはいえ、もちろん可動域に制限はある。極端に離れたり、近寄ったりは出来ないと思ってくれ。興味が無ければ目を開ければいいさ、そして普段通りの人生を謳歌してくれ』
「チッッ!!!」
魔王からの補足説明にナーコが大きな舌打ちを響かせ、ツカツカとこちらに戻りドシッと横に座った。
——お前マジで何しようとしたの? いや大体の想像はつくけどさぁ……つーかわざわざ歩かなくても……。
これがVRだと認識すると違和感が無くなった、前に進もうと思うだけで前に進める。
目線や顔の向きを自身と連動させつつ、移動は念じて行う。
そうやって区分けすれば、違和感なくここでも動けたのだ。
というか『バーチャルリアリティ』という単語はこの世界でも通じるのだろうか。
魔王としては、雰囲気が伝わればそれでいい思っているのかもしれない。
『だいぶ繋がったな、視聴率85%と言ったところか』
魔王は日本の言葉を交えながらそう呟いて、こちらを見据えた。
『さて、初めましてになるだろう。俺が【魔王】だ』
「わ、わ、私はヘンミ・カナコで……!」
「ナコちゃん! さっきっから独り言がうるっせーんスよ!!」
「で、でもタロットちゃん! 先生が私に話しかけてくれてて……!」
「いいから自意識過剰女は黙ってろッス!!」
「………グスッ………はい………」
——いいぞタロット、もっと言ってやれ!!!
魔王は自己紹介を終えると、めんどくさそうに天井を見上げてため息をついた。
『はぁ……魔王とは言ったが、俺はこの世界をどうこうしようなんて考えていない。お前らが必死に生きるのを、ダラダラと眺めてるぐらいで丁度いい』
魔王は王冠を指にかけてクルクルと回しながら話を続けていく。
『俺は怠惰な魔王でなぁ、とてもめんどくさがりなんだ、今だって死ぬ程めんどくさい。だからまぁ、基本的にお前らに干渉する気は無いから安心しろよ、良かったな』
そこまで言うと魔王は王冠を被り直し、そしてゆっくりとこちらに目を移した。
目つきが変わり、空気が変わる。
真紅の眼光が恐怖を掻き立てる、視線が突き刺さり毛穴が開く。
魔王は低い声でこう言った。
『だが、俺の物を奪うのなら話は別だ』
表情と声色に背筋が凍りつく。
コリステン邸の庭で、タロットに怪我をさせた直後の悪寒を思い出す。
魔王の目の前に居たくない、目を開けてこの場から逃げてしまいたい。
間違いなく、ここで視聴率は急降下しただろう。
『これはいわば、見せしめだ。『僕たちはこうならないように気をつけよう』とでも、心に留めておくといい』
魔王がその言葉を残すと、突然暗闇に包まれた。
それに驚く間もなく、すぐに視界は開ける事となる。
——なんだよこれ……!
◇ ◆ ◇
そこに広がっていたのは、真っ赤な軍服に身を包んだ者たちの姿だった。
何十人というそれらは、俺を取り囲んでニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている。
「次の演習だ、さっさとギブリン並ばせろ!」
隊長格だろうか、軍服の上に黒のコートを羽織り、長い金髪を後ろで束ねた男が、偉そうな声を響かせた。
するとズリズリと何かを引きずる音、そして叫び声が響いた。
「やめてくれッ……! 離してくれ……なんでこんな事……!」
「助けて…………お願い……イヤッ……!」
すぐにそちらに目をやると、背後手に括られた者たちが、縄に引かれながら歩いてきた。
皆、薄汚れた黄白色のつなぎ服を着て、それぞれ命乞いの言葉を叫ぶ。
そして俺の横まで連れて来られると、そこに並んだ無数の木人に、磔のように縛られていく。
出所を探ると、同じつなぎ服の男女が100人以上、絶望の表情で一箇所に固まり、順番待ちをさせられているようだ。
——今これが行われてるって事か!? じゃあここはアドリアス半島で、縛られてる人が民間人……?
目を逸らすように周囲を伺う、ここはだだっ広い広場だろうか。
地面は無機質な鼠色、セメントで雑に舗装してあるだけ。
背後は幅の広い大きな柱が逃げ場を塞いでいる。
広場の奥に目を凝らすと、所々に高い柱が見えて、その周囲にも兵士達が屯している。
突如、そこから悲鳴が聞こえると同時に火柱が上がった。
すると歓声が巻き起こり、兵士の笑い声が響いた。
民間人が複数にグループ分けされ、広場の各所で兵士から『演習』の的にされているのだろう。
——何が起こってんのか大体理解してきたぜ……! 胸糞わりぃな畜生……!
「なんでこんな事を……! 私たちはどれだけ虐げられても……ずっと我慢してきたじゃないですか……!」
縛られる男の一人が兵士に声をあげた。
すると、コートの兵士が舌打ちを鳴らして睨みつける。
「あ? 皇女殿下様のの命令だ、最期くらい俺たちの役に立てってよ、この穀潰しが!」
「何を言って……! ずっと女帝……皇女殿下の指示通り働いてきた……!! 強制労働だったじゃないか……!!」
——皇女殿下……女帝……? ここを収めてる人か?
するとコートの兵士は剣を抜いて、それを向けた。
その剣先には小さな炎が灯っている。
「口答えすんじゃねぇ、ギブリンが移ったらどーすんだ……」
静かにそう言うと、剣を地面に突き立てた。
直後、縛られている男の四方向に、炎の十字架が現れる。
それは次第に分裂し、男を捕える牢獄となった。
「やだ……やめて……ごめんなさ……」
男の命乞いを聞く間もなく、
「フレイムプリズン」
コートの男がそう呟くと、炎の牢獄は襲いかかるように収縮した。
「ぃあ"ぁぁッッッ!! ぁぁ……ぁ………!」
叫び声はすぐに止む。
気づくと炎の牢獄は、男を細切れにするように燃やし尽くしてしまっていた。
骨も残らず灰となり、風に運ばれ空へと舞う。
そして周囲の兵士たちが歓声をあげた。
「「イエェ——ィッ!!」」
「さすがルーニー隊長ですねぇ! 俺たちとは桁違いの威力!!」
「当たり前だろ! てめぇらが弱すぎってのもあるけどなぁ! ハハハ!」
ルーニーと呼ばれた男は、自慢げに高笑いをした。
だが、威力は本物だった。
牢獄の格子一本一本が、ナーコの圧縮ビーム……いや、それ以上の威力とも思える。
国王が言っていた最上位というのは、この男の事だろう。
それを見せられた民間人達は、ガタガタと震え、絶望に涙を流している。
そんな中、一人の民間人の男が立ち上がった。
足元には家族だろうか、若い女性と三歳ほどの男の子が身を寄せ合って震えている。
「ルーニー……なんでキミまでこんな事してるんだ……!」
「あぁピクトか、なんでってそりゃギブリンを粛正してんだよ」
ルーニーは民間人の男をピクトと呼ぶと、肩を竦めて当然のようにそう言った。
「キミは優しかった……僕たち家族に良くしてくれた……! パンを分けてくれた……一緒に笑い合った……それなのに……!!」
この言葉は俺の耳にグサリと刺さった。
ルーニーは、ベリトの『仕込み』によって変わってしまったのだろうか。
もしそうなら罪悪感で、胸が張り裂けそうになる。
「ハハハッ、何勘違いしてんだよピクト! 俺がてめぇらギブリンに、無償でそんな事するわけねぇだろバーカ!」
「何言ってるんだッ!! キミは何も求めたりしなかっただろッ!!」
ピクトがそう言うと、周囲の兵士たちがクスクスと笑い始めた。
「ルーニー隊長ぉ、まだバレてなかったんですかい?」
「ハハッ、俺だって驚いてるぜ! とっくに知ってるもんだとばっか思ってたよ」
兵士とルーニーは、ピクトに嘲笑を向けていた。
その光景を見せられたピクトは、戸惑いながら問いかける。
「何言って……どういう意味だ?」
「ハハハッ、わかんねーのか? ならテメーの女に聞いてみろよバーカ!」
ピクトはすぐに、足元で震える妻とおぼしき女性に目を向けた。
「リサ……どういう意味だ……!」
リサはピクトの足元で俯き、血が滲むほどに唇を噛み締めている。
「愛しのリサちゃんは、テメーら家族のために、俺らを慰めてくれてたって事だよ! ハハハハッ」
「それって……まさか……!」
ピクトが愕然としながら言葉を失うと、ルーニーは子供を、顎で指してこう言った。
「ウケるよなぁ、そいつが誰の子かもわかんねーのに、大事に大事に育ててんだからさぁ!」
「ハハハハハハハッ!」
胸糞悪すぎて吐き気を催してしまう。
確かにリサは若く、何より胸が大きい。
女っ気の無い兵士からすれば、欲情の対象として映ったのだろう。
そしてベリトの『仕込み』がどういうものか、少しだけ分かった気がした。
きっと心を操るものじゃない、そもそも魔王が人の心は操れないと言っていた。
『仕込み』とは、人の本性を暴くものではないだろうか。
つまりコイツらは……。
——元から腐ってたんだ……ッ!
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
泣きながら謝罪を口にするリサ、そして足にしがみつく子供を、ピクトは優しく抱きしめた。
「大丈夫だ……大丈夫……リサは何も悪くない……リックだって俺の子供だ……」
「どっちでもいいだろ、どーせテメーらこれから死ぬんだ」
ルーニーがそうやって口を挟むと、ピクトは立ち上がって飛び掛かろうとする。
「殺してやるッ!! 殺してやるぞルーニーッ!!! お前だけは絶対に……絶対に殺してやるッ!!!!」
だがピクトは近寄る事もできず、縄を持つ兵士に引っ張られ、後方にドサッと倒れ込んだ。
「クソッ……畜生ッ……許さない……!!」
ルーニーはそれを見飽きたようにそっぽを向くと、小太りの兵士を呼び止めた。
「おいビッグ、ギブリンもう100人とっ捕まえてこい。うるせーしコイツらは俺が殺すわ」
「了解です隊長ぉ、でもリサちゃんはちょっと惜しいですねぇ! ワハハハッ!」
ビッグと呼ばれた兵士は、そうやって胸糞悪い言葉を残すと、ニヤニヤしながら路地のほうへ歩いていった。
それを見送ったルーニーは、ピクトたち民間人の集団に目を向けた。
ピクトは家族に寄り添いながら、ルーニーを憎しみに満ちた表情で睨みつけている。
ルーニーは剣を抜き、切先に炎を灯すと、嘲笑を向けながら言う。
「残念だったなピクトぉ、オレを殺せなく……」
———ゴトッ———
鈍い音を響かせて、宙からそれは降ってきた。
そして、不規則にゴロゴロと転がると、ルーニーの踵に当たって動きを止めた。
すぐ足元に目をやるとそこには、ビッグと呼ばれた兵士の生首が転がっていた。
「は……?」
ルーニーがそう溢すと同時に、路地の方角から女の声が響く。
「やーっと見つけましたぁー!」
女はこちらを指差して歩いてくる。
ビッグの身体の足首だけを掴み、ズリズリと引きずりながら、嬉しそうな笑顔を向けていた。
黒地に白のレースの施されたワンピース。
そのミニスカートは裾が大きくうねり、太ももに目を奪われそうになるが、紛れもないメイド服。
そして背中からは大きな黒い翼、こめかみから天を貫くようにまっすぐ生えたツノ。
先がハート型になった黒い尻尾を、ぴょこぴょこと動かして歩いてくる。
その髪は、綺麗な薄いピンクが輝き、サイドテールに束ねられている。
——ケリス!?




