69.0 『耳鳴り』
国王はナーコを見上げ、声を堪えながらボロボロと涙を流している。
それを無視するように、ナーコは振り向いて声を上げた。
「ガンド、命令です! アナタはこの者に生涯仕えなさい!」
ガンドはその光景を、ただ呆然と眺めるばかりで返事をする様子がない。
ナーコが業を煮やしたように、もう一度声をあげた。
「ちょっと聞いてますか!? カッコつけた私がバカみたいじゃないですか!! 国王命令ですよガンドさん!! このジジイに仕えろって言ってるんです!! 反対したら死刑にしちゃいますよ! いいんですか!?」
ここでようやく我に返ったガンドは、慌てたように片膝をついた。
「は……ハッ! 拝命承りました!」
「よろしい!」
そう言って、腰に手をやるナーコのドヤ顔は、とても『王の器』とは思えない程に、無邪気なものだった。
ガンドはすぐに国王の前で、同じように膝をつく。
「私はアナタに危害を加え、あろうことか剣を向けました。決して許される事ではございません……不敬極まりない言動の数々……誠に申し訳ございませんでした……」
「……あの時の儂は王ではないのだ、不敬などある筈も無かろう……ガンド、また儂に仕えてくれるか?」
「も、もちろんであります……! これからもお側で支え」
「そうではないだろう……前国王がお前に言いつけた命は他にもあった筈だ……?」
そして国王は、従者であるガンドに頭を下げてこう続けた。
「また儂が平穏を脅かしそうになったら……その時はまた殴ってくれ……! たのむ……!」
「……ハッ!! 必ず……必ずお止めいたします……!!」
「そうですよ〜、思いっきりぶっ飛ばしちゃってください! それどころか、もっとこう……ボッコボコのギッタギタに……!」
国王に対する不平不満が募っていたのだろう。
感動的とも言える主従関係に、そうやって口を挟んだナーコは、自分の手のひらに拳をグリグリと押し付けている。
そんな中、国王が俺たちに声をかけた。
「勇者、ヘンミ・カナコ、タロット……」
俺たちが顔を向けると、国王は深く頭を下げる。
「疑いに暴言の数々……本当にすまなかった……! お前たちのお陰で、今いる民の平穏が保たれるだろう……!」
それを見た俺たちはお互いに顔を見合わせ、少しだけ頬を緩めた。
「別にいいよ、俺も言いたい放題言って悪かった」
「私はまだ根に持ってますけどね〜」
「いいんスよぉ国王様ぁ!」
俺は頭を下げ、ナーコはプイッとそっぽを向き、タロットはヘラヘラと笑っていた。
国王はそんな俺たちを見て、少しの笑みを浮かべたが、すぐに顔を強張らせてこう言った。
「勇者よ、ソロモン王と連絡を取ってくれ……! 号砲は儂が鳴らす、少しでも儂に背負わせてくれ……頼む……!」
背負わせたくない、という意図も含まれるのだろう、特にナーコに対して……。
だが連絡手段など最初から無いのだ。
「あぁ……それ実は」
「メッセンジャーというのは、私の出まかせであります……礎となった者も、既に一人二人ではないでしょう……申し訳ありません……」
ガンドがそう答えた。
「……そうか……そうであったか……! すまぬ……不甲斐ない王で……! ……すまぬ……ッ……!」
国王は歯を食いしばり、そう言って涙を溢していた。
これは犠牲になった者への謝罪なのか、他人に任せてしまった事への謝罪なのかは分からない。
俺はチラリとガンドを見て声をかける。
「やっぱアンタ、気絶してなかったんだな」
「えぇ、私は自分に言い訳をし、本当に全てを丸投げにした卑怯者なのです……!」
自分への怒りを押し殺すように、そう答えたガンドだった。
だがすぐにナーコの前に立つと、膝から崩れ落ちるように両手をついた。
「カナコ様……申し訳ありません……! 全てを委ね……辛い決断を強いてしまった……! その小さな身体に……それがどれ程の重みか……! どれ程……心に傷を負わせてしまったか……!」
「えええ、もういいですって! 私そこまで重く考えてないですからホント! あれ? てゆーか作戦って終わったんですかね?」
ナーコはガンドの言葉を逸らし、悩むように首を傾げた。
確かにそれなりの時間が経っている、あまり想像したい物ではないが、今現地はどうなっているのだろうか。
そもそも全世界に見せつけるってどうやって……。
俺のそんな心を察したのか、タロットが偉そうに人差し指を立てた。
「多分まだ始まってないッスね〜! ベリトの『仕込み』って相手任せだから、人によって時間かかるんスよ、だからちょっと時間に余裕持たせてからになる〜……………」
ここまで我が物顔で解説しておきながら、タロットは冷や汗を垂らして固まった。
そして苦笑いを浮かべ、こう付け足してきたのだ。
「………って、言ってた気がするッス!」
——気がするってなんだよ、お前そろそろ正体バレるからな。
「そうか、あの悪魔にも謝らねばならんな……不当な疑いだったであろう……」
国王は申し訳なさそうにそう溢したが、俺たちの返事はというと、
「いや、ベリトはいいんじゃねーかな」
「ベリトさんには必要ないと思いますけど」
「アレに謝るとか時間の無駄ッス」
俺もナーコも曖昧な返答に留めたが、タロットからの扱いの悪さには、流石にベリトが可哀想になってしまう。
「仲間ではないのか?」
そうやって国王から投げかけられた当然の問いかけに、俺は少し考えてしまう。
ベリトが仲間かどうかについては、もちろんあやふやな部分ではある。
だがそれよりも、魔王たち、悪魔たち、そしてタロットは、俺の事を仲間と認めてくれているのだろうか。
そんな疑念を振り払い、ベリトに対してのことだと割り切って、またも曖昧な答えを返そうとした、その時。
——ふと強烈な耳鳴りがした——
キーンと鳴り響くそれは次第に大きくなり、周囲の物音を掻き消していく。
「痛ッッ……! な……なんだこれ……!」
久しぶりに感じた『痛み』に抗えず、必死に両耳を押さえて周りを見ると、ナーコ、国王、ガンドも同様の反応だ。
眉間にシワを寄せながら大声で何かを叫んでいる。
だが、その声が聞き取れない。
するとその耳鳴りは、次第に小さくなり、すぐにプツッと消えたのだ。
それと同時に、耳には違和感だけが残った。
まるで、世界から雑音が消えてしまったような違和感。
不自然な静寂に脳が混乱しそうになったが、タロットの叫び声によってすぐに理解する事となった。
「キタキタキタァーッ!」
目の前で両手を上げ、大はしゃぎしているタロット。
だがその声があまりに小さすぎる。
これは雑音が消えたのではない。
耳に届く全ての音量が、一様に小さくなっているのだ。
そんな静かな世界の中、耳の奥で、低く気だるい声が響いた。
———よぉ人間ども、聞こえているか?———




