67.0 『対話』
「ねぇ〜もう納得してくださいよー、私たちが先生に怒られちゃうんですよー」
ナーコは円卓に座り、足をブラブラしながら、国王にめんどくさそうな顔を向けていた。
「納得するわけがあるかッ! 民を殺す王など居ていい筈がないッ!」
「だーかーらぁ、私が代わってあげたじゃないですか。感謝してほしいくらいなんですけどー」
「感謝だと……? 貴様も悪魔か小娘ッッッ!! すぐに奴らを連れ戻せッ!!! 民を殺すことは儂が絶対に許さんッッッ!!!!」
――ほらな、こうなると思ったんだよ……。
国王は魔王たちが出ていって、すぐに目を覚ました。
とにかく、寝起きの意識が曖昧なうちに説明し、そこからゆっくり理解していってもらおう、というのが作戦だったのだが。
魔王たちの姿がない事に気づいた国王は、起きて早々大激怒。
説明しようにも、話途中で怒号が響く、悪い部分ばかりが断片的に伝わり、補足しようとすると怒号が響く。
最悪の永久機関が完成してしまっていたのだ。
「おいガンド、どうにかしろ!! お前一人でも外に出られれば、危機を知らせる事が出来るやも知れぬ!!」
ガンド騎士長は、国王とほぼ同時に目を覚ました。
すぐにタロットが取り押さえようとしたが、抵抗する素振りが一切なかった。
俺たちも拘束は不要と判断し、国王の横で大人しく座ってもらう事にしたのだ。
「それは難しいでしょうな……二人だけならまだしも、タロット商の身のこなしは規格外であります。たとえ私に剣があったとて、逃げる事すら叶わないかと……」
「そゆことッス〜♪」
国王の拘束も最初は解くつもりだったが、それは落ち着いてからにしようと意見がまとまった。
とにかく冷静に話を聞いてもらう事が最優先だ。
国王はタロットを見上げながら声を漏らす。
「タロット……なぜお前までこの娘に加担している……! お前はずっとこの国が好きだっただろう……!」
「今だって大好きッスよ? だからこうしてナコちゃんを支持してるッス」
その言葉に悲しげな表情を見せると、何かを自分に言い聞かせるよう呟き始めた。
「帰還してからのお前たちは異常だ……向こうで洗脳されたか……! ソロモン王がこんな事をする筈もない……おそらくあのベリトとかいう悪魔が諸悪……きっとソロモン王もあの悪魔に……」
「それ以上、あの二人を侮辱するな……ッ!」
ナーコの怒りに満ちた声に顔を上げた国王は「やはりそうか……」と呟いて、力なく背に身を預けた。
ようやく落ち着いてくれたと安堵したかったが、別の問題が浮上していた。
それは国王が、『洗脳』という言葉を使ってしまった事。
この思考が根付いてしまえば、もう何を言ってもその一言で済まされてしまう。
俺はそうならない内に、どうにかその言葉から思考が遠ざかるように、なんでもいいから国王との対話を試みる事にした。
「なぁ国王様……いや、今はネザルさんのがいいんだったかな」
「そうだよハルタぁ、今日の国王は私なのです!」
腰に手をやりドヤ顔を見せるナーコの王冠がキラリと光る。
「ネザルさん、俺は自分で言うのもなんだけど、かなりのお人好しだ。どっちかって言うとアンタ寄りの価値観だと思ってくれていい」
「そこの狂人を支持している時点で、儂からしたら同じ事だ」
――狂人ね……。
ナーコを蔑称で呼ぶ国王への苛立ちを、どうにか隠しながら口を開く。
「あぁ……そうだな。俺はナーコが正しいと思ってる。俺じゃ絶対に真似できない、すげーよコイツは」
「ふっふーん!」
ナーコはさらに胸を張り、鼻を高くしているが、それを睨みつける国王の表情は対照的だった。
まるで目の前で家族が殺されるかのような、絶望と怒り、身動きの取れない身体が更にそれを際立たせている。
――やっぱこのままじゃダメだよな……。
「なぁタロット、ナーコに付いててやってくれ」
「へ? そりゃもちろんッスけど……」
タロットがナーコの横に寄り添うまでを見届けてから、縛られた国王の後ろに周った。
「ハルタ、まだ早いんじゃ……?」
「大丈夫だよ、それにこのままじゃ対話もなにもないだろ」
ナーコの不安げな声にそう答えた後、国王を縛る縄に手をやる。
「出来ればおとなしくしてくれると嬉しい、無理かもしんないけどさ……」
そう伝えた後、汗ばむ手をズボンにこすりつけ、短剣を抜いて縄に刃を当てた。
ジリジリと繊維が千切れる音がする。
暴れられては怪我をさせてしまう不安もあったが、国王は落ち着いている。
それが杞憂と安堵しかけた時、突然国王の腕に力が入り、縛る縄を引きちぎった。
すぐさま立ち上がり、大きな拳に遠心力を加え、俺の顔面に目掛けて振り抜いてきた。
「ハルタ危ない……ッッッ!!!」
ナーコがそう叫ぶが、その拳は俺の頬に触れると同時に動きがピタリと止まる。
国王は驚愕したように声を漏らした。
「なっ……どういうことだ……!」
「ただの体質だよ、俺が強いわけじゃない。あの日、アンタの剣を止めれたのもこれのお陰だ。騙して悪かったな」
「チィッッッ!!!」
すぐに大きな舌打ちをすると、次はナーコに目を向けた。
「ナーコはタロットが守るよ、状況はさっきと何も変わってないんだ。縄を解いたのはただの俺の自己満足だ」
俺なんかに耳を貸す気が無いのだろう。
国王はすぐガンドに声を張り上げる。
「何をしている、立てガンドッ!! どちらか一方でも外に出られればいいッ!!」
「不可能であります国王……そんな可能性があれば拘束を解いたりは……」
「臆したかッッッ!! ここで諦めれば民が殺されるッッッ!!! 儂がタロットを止めるからお前はすぐに……」
「不可能であります!!」
ガンドは大きな声を張り上げ、国王を見上げてこう続ける。
「説得する方が現実的かと思われます……対話を試みましょう……国王……!」
魔王の言った通り、ガンドは側近として優秀なのだろう。
相手との戦力差を見極め、現状の最善策を国王に提示している。
「そうッスよぉ〜♪ ほらほらぁ、座って座ってぇ」
にこやかなタロットに促されるまま、国王は歯を軋らせ、ようやく対話の席に腰をおろした。
◇ ◆ ◇
「アンタは『領土奪還と人質の保護』を指示してた。たぶん民間人にも被害は出したくない、って事であってるか?」
「当たり前の事を何度も何度も……時間稼ぎのつもりかッ!! こうしてる間にも民が殺されるかもしれんのだぞッッッ!!」
国王は声を荒げてテーブルを殴りつけた。
「アンタが騒ぐから時間がかかるんだ」と言いたい気持ちをため息に変え、どうにか落ち着いて言葉を返す。
「アンタ、本当にそんな事が可能だと思ってるのか?」
「出来ないのであれば、そう言えばいいだろうッ!! その上で別の案を……」
「いいや出来る」
俺はそうやって国王の言葉を遮った。
「出来る……? 今出来ると言ったか……?」
「あぁ、人質と民間人を全員保護して、領土も奪還するって事だろ? あの魔王だぞ、そんなの出来るに決まってんだろ」
精一杯の嫌味を込めて、肩を竦めながら当たり前のことのように俺は事実を告げた。
「待ってハルタそれは……」
「すぐにそれをしろッッッ!!! 今すぐだッッッ!!!」
ナーコから俺を止める声が響くが、それはすでに遅く、国王は立ち上がって宙を薙ぎ払うように、命令を下してきた。
――そりゃそうなるよなぁ……。
だが、国王から出される代替案を、一つ一つ潰していくよりも、最高の結果を敢えて取らない事を説明する方が、より建設的であり近道だ。
俺は怒号を響かせる国王に向き合って、出来る限り冷静に対話を続けようとするが、
「じゃあ、その後はどうするつもりだ? 人質を救うって事は人質に利用価値が」
「それは今考える事ではないッッッ!! 目の前に救える命があるなら、それが最優先だッッッ!!」
国王の興奮は最高潮に達してしまっていた。
俺の言葉なんてまるで無視、耳に入っているのかすら怪しい、それ程の剣幕で捲し立ててくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……! 話を聞いてくれ……! そんなんじゃなんの解決にも……」
「既に話は終わっているッッッ!! 全員を救う事が出来るのだろう!! ならばそれ以上の解決などありはしないッッッ!!」
――やばいやばいやばい……! これ絶対俺のせいだよな……? ナーコの視線が突き刺さってくんだよ……! あぁもう、最悪タロットに頼んでもう一度……。
俺がそう思って声を掛けようとしたその時、
「国王ッッッ!!!!」
腹に響く程の大きな声が響き渡った。
「……なんだガンド? お前も聞いただろう、人質も救う事が出来るのだぞ!」
「えぇ、ですがカナコ様とハルタロウ殿はおそらくメッセンジャー……お二人の説得なくして要望が通る事は無いでしょう……今は対話を続けるべきであります……」
ガンドがそうやって宥めると、国王は「クソッ……!」と溢し、歯を食いしばりながら席についた。
――あっぶねー……! ガンドさんが勘違いしてくれてて助かった……。
もちろん俺たちは、メッセンジャーなんかじゃない。
それどころか連絡手段なんてものは持ち合わせていないのだ。
この説得は、いわば事後報告に近い、既に死者は出ている事だろう。
だがこの勘違いは最大限に利用すべき。
「そういう事だ、ありがとうガンドさん」
「私は国王側、礼など不要である。続けるがいい」
腕を組むガンドにそうやって促されると、俺は国王に向き直り、テーブルの上の見取り図に指を置いた。
「アンタのやり方じゃ人質に利用価値が出来る。人質には1円たりとも……銅貨1枚たりとも価値を付けちゃダメなんだよ……」
俺はここまで、出来る限り順序立てて、国王の逃げ道を無くすように対話をしてきたつもりだったが。
それでも国王の返事は期待したものでは無かった。
「お前は何も分かっておらん。国の中心は民だ、民を見捨てた時点で、国は破綻している。救える民をまず救い、その上で対策を講ずるのだ」
「ほんっと無能なんですね……アナタって人は……!!」
ナーコが我慢出来なくなったのだろう、怒りに声を震わせながら国王を糾弾していた。
「人殺しのお前にだけは言われたくないわッ!! この狂人がッッッ!!」
そこからまた二人の言い争いが始まっていく。何も変わらない平行線、ただの同じ事の繰り返し。
――やっぱダメだなこれは……理論武装で済むなら、とっくに話はついてる。なんで魔王は俺なんかに託した? 俺にしか出来ないやり方……もうなんでもいいから、俺にしか出来ないやり方を……。
それ以上考えるのをやめた俺は、苛立つ国王に嘲笑を向けながら、こう言い放った。
「じゃあさぁ、明日からの俺の安全は保証してくれんのかよ」
「なぜ……! お前などの安全を保証する必要がある……!」
国王も歯を食いしばり、怒りが爆発する寸前のように俺を睨みつけてくる。
――ここで引いちゃダメだ、自分のドス黒い感情に身を任せればいい。
そう思うと気持ちがラクになった。
自然と口元がにやけ、肩を竦め、国王を小ばかにする態度になっていく。
「だって俺は平和に暮らしたいんだぜ? 全員助けたいなら、まずは俺の安全を保証しろっつってんだよ」
「キサマ仮にも勇者を名乗っておきながら……!」
「勇者だって自分が大事に決まってんだろ。俺は他人なんかの為に、自分を犠牲にしたくねーんだよ」
「この臆病者め……! もういい……キサマには今日から護衛をつけるッッッ!! だからさっさと」
国王は俺に軽蔑の視線を向けながら、諦めたように大声でそう言った。
だがまだ終わりじゃない。
「それならナーコとタロットにも護衛つけてやってくれよ、そんくらい出来るよな? 俺はコイツらも大事なんだ」
「次から次へと……! もうそれでいいッッ! だからすぐに」
「それにコイツらにも、大事な人くらいいるんじゃねーか? なぁナーコ」
国王に喋る隙を与えぬように、俺はそう言ってナーコに目をやった。
ナーコも俺の意図を理解したのだろう。
にこやかな笑顔でこう答えていく。
「もっちろん! 私は城下町の人たちみーんな大事! みんな優しくしてくれるんだ〜」
「貴様らいい加減に……!」
「ナーコは人気者だからな、タロットはどうだ?」
国王の言葉には耳を貸さず、つぎはタロットに問いかけた。
「あっは〜♪ そりゃもちろんお客様に決まってるッス〜」
「お前はそうだろうなぁ、それも城下町の人たちか?」
「ちょっとハルタロー、コリステン商会を舐めないでほしいッスね〜」
それは過小評価だと言わんばかりのタロットは、人差し指をたてて自慢げだ。
そしてそのままテーブルに身を乗り出し、国王に向けてこう続けたのだ。
「アタシの大事な大事なお客様は全国民……ギブリス国民2000万人に護衛をつけて欲しいッス」
国王も俺たちが何を言おうとしているのか、理解した事だろう。
タロットの圧からたじろぐと、どうにか言葉を返してくる。
「現実的に物を言え……全員に護衛など不可能だ……!! 調子に乗るのも大概に」
「なんでだよ、安全を保証してくれるんじゃねーのかよ」
「一人一人に護衛など無理に決まっているだろう!!」
国王はそうやってテーブルを叩き、身を乗り出し、感情任せの怒号を浴びせてくる。
だから俺は、代替案を提示してやるのだ。
「別に護衛じゃなくてもいいぜ? アンタはこれから起こる事を、ただ黙認するだけでいいんだ。たったそんだけで、2000万人の安全は担保される」
「何を言って……それとこれとは話が別だッッッ!」
ここに来てもまだ現実を見ようとしない国王に苛立ちが募っていく。
それを説き伏せるように俺も声を張り上げて立ち上がった。
「別じゃねーよ!! アンタがやろうとしてる事は、全国民を危険に晒す行為だ!! アンタが黙ってるだけで、皆んなが安全に暮らせる!!」
「ダ、ダメだッッッ!! それでは1万人以上が」
「だから1万を対価に、2000万を買えっつってんだよ」
「こ、国王がしていい事ではないッッッ!!」
この国王は自分の責任から逃げているだけだ。
「ちがう、国王がすべき事だ。ここの国民は全員が勇者なのか? 臆病者はいらねーのか? 他人の為に命を賭けさせんのかよ? 誰だって自分や家族が大事に決まってんだろ!!」
「…………」
そこまで言うと国王は俯き、それ以上言い返してこない。
――ここからは自分を抑えろ、自分の感情をコントロールしろ……!
俺はそう自分に言い聞かせ、深く息を吸い込み、落ち着いて国王へもう一度向き合う。
「なぁ、俺たちは人殺しがしたい訳じゃない……平穏な暮らしを守りたいだけなんだ……頼む国王様……今いる国民に目を向けてやってくれ……!」
「お、お願いします!」
「頼むッス!!」
俺はテーブルに手をついて頭を下げ、ナーコとタロットもそれに続いた。
国王は俯いたまま、ゆっくりと呼吸を落ち着けていく。
そしてようやく声を絞り出すようにこう言った。
「………分かった………」
その返事が聞けた俺たちはすぐに顔を上げ、お互いの顔を見合わせる。
ようやく長い戦いに決着がついた。
もちろん犠牲を払っている以上、手放しに喜ぶような事ではないだろう。
それでもこれ以上の被害は防ぐ事はできた。
今いる国民の平穏は保たれる。
ナーコは目に涙を浮かべ、タロットは腰に手をやり何故か得意げだ。
だがその時、
「お前たちの狙いが分かった……」
そんな思いもよらぬ言葉が、国王から続いてしまった。
これには理解が及ばず、声を漏らして呆然と国王を眺める事しか出来ない。
「は……?」
国王からはさっきまでの、興奮や焦りが一切感じられない。
顔を上げたその目は、まるで俺たちを憐れんでいるかのように見えた。




