65.0 『必要な犠牲』
「なら今日一日、私をギブリス国王にしてください」
「なっ……!?」
国王はナーコの言葉に驚愕の表情を浮かべて声を漏らす。
言葉の意味を理解した俺は一気に青ざめて声をあげていた。
「ダメだナーコ!! ナーコが何をしようとしてるかは大体わかる!! でもそれは国王の罪だ!! ナーコが背負う必要なんてどこにもない!! そこで呆けてる無能のツケだ、ソイツにやらせればいい!!」
「私は大丈夫だよハルタぁ、てゆーか国王様ってカッコよくない? 一度やってみたかったんだぁ」
ナーコは笑顔でそう答えた。
――大丈夫なわけないだろ……! 『チカラの誇示』には犠牲が必要だ……人質だけじゃない、沢山の命を背負う事になるんだぞ……!
「最初からそうしとけばいいんだよ」
俺の考えが纏まらない内に、魔王はそう言って立ち上がり、カチッカチッと杖をついて国王の元に歩き始めた。
すぐさまガンドが俺の手を離し、魔王と国王の間に立つ。
「お、お待ちください……! それは……ふ、不敬であります! 見過ごすわけには……ぐがッッ……!」
言い終わる間もなく、ガンドはうめき声と共に、勢いよく後方に吹き飛ばされた。
そして壁に激突し、嗚咽を漏らしながら、立ち上がろうとするが。
「おィおィ不敬はどっちだァ? その人はボクたち悪魔の王様だぜェ?」
見ると、ベリトがガンドに指を向けていた。
そのままデコピンのように宙を弾くと、ガンドの鎧にヒビが入り、再度壁に叩きつけられる。
そしてそのまま、項垂れたように意識を失った。
それを見た国王は慌てたように叫ぶ。
「おいやめろ! わかった、今日一日その娘を国王と認める! だが見過ごせぬと判断したら止める! それでいいだろう!」
魔王はそんな国王の後ろに立つと、頭に乗った王冠を、両手でゆっくり持ち上げた。
「そんなに心配するなネザル、ちょっとした国民との戯れだろう。アイドルの一日署長みたいなもんだ」
その王冠を「ほらよ」と言いナーコに向かって放り投げる。
「わわっ!!」
ナーコは、そんな緊張感の無い声を漏らしてキャッチすると、すかさずそれを頭に乗せてVサインを見せた。
「あっは〜♪ ナコちゃん超似合うッス〜!」
--やけに静かだと思ったら、タロットはイチ国民になりきってんだよな……この状況でヘラヘラした国民が居てたまるかよ……!
そして魔王はナーコに言う。
「今日はお前がこの国の王だ、癪に障るが好きにやってみろヘタクソ」
「クッハハハッ!! いいねいいねいいねェそうこなくッちゃなァ!! 今日ここに来た甲斐があッたってモンさァ!! ボクがただの人間に従うなんて初めてなんだぜェ!? 上手く使ってみろよヘンミカナコォ」
そうやってベリトは、抑えきれない高揚を、声に出して叫んでいた。
「まっかせてください!」
ナーコが自信満々に胸を張る。
「おいナーコ……お前ほんとに……」
「大丈夫だってば、心配性だなぁ〜! ほらほら、ハルタは席に戻ってください、現国王からの命令なのです!」
ナーコはおどけたような素振りで、俺に恩赦をくだした。
席につくと、国王は呆れたようにため息をついて、ナーコを睨む。
「で、どうするつもりだ娘。お前たちが儂の指示に不満がある事は分かる。だがまさか、戦争を仕掛けるわけではないだろうな?」
国王の言葉にポカーンとした表情を浮かべると、すぐにそれを否定した。
「え、そもそも戦争させない為の今ですよね?」
「……それが分かっているならよい……」
国王はそう声を漏らすと、落ちていた南西諸島の見取り図拾いあげ、机に広げた。
そこには先ほど国王が記した、敵や人質の予測位置が記されている。
ナーコが拳にギュッと力を込めた。
眉間に少しだけ力を入れ、下唇を噛み締めている。
意思を強く持つよう、自分に言い聞かせているように見えた。
「ナーコ……やっぱり俺が……」
そう言うと、ナーコは人差し指を俺の鼻先に押し付けて言う。
「ダメだってばぁ、国王様は私なのです! それに」
そしてニッコリと笑ってこう続けた。
「それにハルタはお人好しだもん」
「……あぁ……そうだな……」
その通りだ、ナーコから見ればお人好しなのだろう。
俺はきっと目的達成が担保できる、ギリギリのラインを狙う。
出来る限り死者が少なく、出来る限り被害が少なく済む方法を探る。
生かすor殺すの二択を迫られれば、間違いなく生かす方法を模索する。
あれだけ国王を糾弾しておいて、いざ自分が判断する立場になれば非情になりきれない。
俺はそんな中途半端な人間なのだ。
ナーコは南西諸島の見取り図に手を置いた。
そこに記された情報を隠すように、指を広げてこう言った。
「全員殺して下さい」
「……なッ……!?」
国王が声にならない声を発するがそれを無視して、見取り図をグシャリと握り潰す。
「でもただ殺すだけじゃダメ、ツケが精算できない。逃げれば殺す、降伏しても殺す。抵抗すれば苦しみを与えてから殺す。圧倒的なチカラを見せつけながら、遊び半分に殺してください」
「クハハッ、そォだよなァ! そんくらいでイイんだよなァ! あーしろこーしろ言われて嫌気がさしてた所だァ!」
――こんな事言わせてごめんナーコ……。
「おい娘……ふざけているのか……? そこには返還待ちの人質がいる……それはどうするつもりだ……」
ナーコはチラリと国王を見たが、すぐに興味を失ったようにベリトに目線を戻した。
「次にアドリアス半島ですけど、基本的にはこっちも同じで……」
「人質はどうすると聞いているッッッ!!!!」
国王の怒鳴り声に、ナーコは呆れた顔を向けた。
「いやだから、全員殺すって言ったじゃないですか」
「ふざッッッ……ふざけるな……ッ!! 人質の命をなんだと思っているんだ小娘ッッッ!!」
「もぉーめんどくさいなぁ……足枷とかじゃないですか? 邪魔なだけですし」
ナーコは首を傾げ、ふざけたように悩む素振りをしてそう答えた。
国王はテーブルを叩きつけ、真っ赤な顔でナーコを睨みつける。
「キサマは……ッ!」
そう呟いてすぐ、腰に下げた剣に手をやった。
「ナーコ……!!」
俺の声と同時、それが引き抜かれたと思った瞬間、
「おーっとぉ、ウチの国王さまに向かって、それは不敬なんじゃないッスかぁ〜?」
タロットが国王の剣が抜かれぬよう、指一本で柄を押さえていた。
「タロット……ッ! お前まで何を……ッ!」
その光景を眺めながらナーコはタロットに指示を飛ばした。
「ありがとうタロットちゃん。ついでにその人、危ないから縛っといてくれる?」
「あっは〜♪ りょーかいッス国王さまぁ〜!」
タロットは慣れた手つきで、国王の腕を椅子の裏に持っていくと、両手首を重ねて括り上げた。
国王も抵抗しているが、タロットからすればどうという事もないのだろう。
「やめろタロット……!! おいソロモン王ッッッ!! やはりその娘はダメだッ!! 命の重みをまるで理解していないッッッ!! このままでは、国がめちゃくちゃにされてしまうッッッ!!」
「はぁ……あのなぁネザル、お前がギャーギャーと喚くせいで話が進まないんだ。最後まで聞いてやれよ。その時に見過ごせなければ俺が止める。ヘタクソもそれでいいな?」
大声を張り上げていた国王だが、そうやって宥められて渋々と頷く。
そしてナーコはピシッと敬礼したのだ。
「はいっ! ヘタクソ了解しましたっ!」
このふざけた少女の姿を、国王は歯軋りをしながら睨み続けていた。
◇ ◆ ◇
ベリトは円卓に足を組んで座り、ナーコの言葉に耳を傾けている。
「それでェ? 半島の方も同じでイイのかァ?」
「んー、ここは民間人が多くって……人質ってわけでもなさそうですし、ベリトさんちょっと相談してもいいですか?」
「あァ、もちろんだァ」
そう言って上機嫌に、ナーコの肩に肘を乗せた。
ナーコもベリトのそういった態度には慣れているのだろう、意に介する素振りも見せずに注文をつける。
「生き残った民間人に『魔王様ありがとう!』『ギブリス最高ー!』みたいに思わせたいんですけど……そういうのって出来ますか?」
「過程にもよるがァ……それァ民間人は殺すなって事かァ?」
「いやいやいや、半分でも生き残ったら良い方じゃないですかね?」
この言葉を聞いた国王はナーコに向かってまたも大声をあげる。
「半分だと……! そこに住む者は2万に及ぶのだぞッッッ!!」
「てめェちょっと黙ってろよォ、最後に王様が決めるっつッたろォ? ボクが最終的に従うのァ、お前でもヘンミカナコでもなィんだァ」
ベリトは睨みつけながらそう言った。
国王はチラリと魔王を見て、自分の感情を抑えるように呟く。
「ッ……! 儂は……絶対に認めんからな……ッ!!」
そんな言葉に聞く耳を持たず、ナーコはベリトへの相談を再開した。
「とにかく生き残りが、魔王とギブリスにポジティブな感情を持ってくれれば、なんでもいいって感じなんですけど〜」
「ちなみにィ、それが出来なかったらどうすんだァ? 例えばボクたちに恨みを抱くとかさァ……」
「そうなったら全員殺してもらう事になっちゃいますね」
ナーコはベリトの真似をするように頭の王冠をクルリと回し、あっけらかんとそう答えた。
国王が恐ろしい形相でナーコを睨みつけていたが、そんな事はお構いなしとばかりに、ベリトの笑い声が響いた。
「クハハハッ、だろォなァ! それも面白そうではあるがァ……問題なィ、でも倫理観には期待すんなよォ?」
「倫理観なんてど――ーでもいいです! さっすがベリトさんっ!!」
「おィ王様ァ、そォいう事だから『仕込み』がしたィ。アンタからGOが出るならすぐにでも動くんだがァ……?」
魔王はナーコを見据えて問いかける。
「ヘタクソの注文は以上か?」
するとナーコは人差し指を立てた。
「あ、最後に一つだけ! どこかに『魔王の爪痕』を残してほしいんです」
「なんか聞いた事あるな、なんだそれは?」
魔王の問いに対し、ナーコは指を立てたまま解説を始めた。
「えと……人間ってバカなんですよ……どれだけ丁寧に教えても、時間が経つと忘れるバカなんです。だからどんなバカでも、見るだけで脅威を思い出すような……そんな『魔王の爪痕』を世界に残したいなーって」
「クハハハハハッ! イイねェ、ボクが強烈なのを残してやるさァ。おィ、いいだろ王様ァ!」
「先生お願いします!」
「……ソロモン王……!」
ベリト、ナーコ、国王、それぞれが魔王を見て判断を仰ぐ。
魔王は顎に手を当て、ゆっくりと三人を見ると、最後に俺をジッと見てからこう言った。
「…………ダメだ」
「はァ!? ッんでだよォ!!」
「えぇ〜なんでですか先生〜!」
ベリトもナーコも予想外だったのだろう、声をあげて魔王に詰め寄っていく。
国王はホッとしたように息をついて言う。
「わかったか娘……こんな虐殺が許される筈無いのだ。タロットはさっさとこれを解け、ここからは儂が指示を……」
国王がそうやって苦言を呈していると、魔王はカチッと杖をついて立ち上がった。
珍しく白衣を脱ぐと、それを手元で器用に畳んで椅子に掛ける。
その直後、俺はビリビリと全身の皮膚が突き刺されるような感覚に襲われた。
「……ッ!」
ベリトもそれを感じ取ったのだろう。
すぐさま後方の壁まで飛び退き、睨むように魔王を見据えた。
タロットは立ち上がり、さりげなくナーコと魔王の間に入る。
平静を装ってはいるが、表情からは明らかな緊張が見て取れた。
――なんだこの空気……魔王が何かをしている……?
ベリトが一滴の汗を垂らして問いかけた。
「王様ァ……それァなんのつもりだァ……? アンタから洩れ出る魔力がかなりやべェ……」
魔王は自分の掌を見つめ、グーパーを繰り返しながら答える。
「あぁ、どうするか考えているだけだ。所謂イメトレってやつだよ、別に大した事じゃ無い」
「へェ……だがボクの認識じャ、アンタが動く程の話ァ無かった筈だァ……何のイメトレか聞いてもイイかなァ……?」
ベリトのこの問いかけで、この部屋が一触即発の空気に包まれた。
俺もナーコも現状を理解出来ず、オロオロと問答を見守る事しか出来ない。
タロットが少し腰を屈めた、何かあったらすぐに動けるようにしているのだろう。
魔王の掌に真っ黒い球体が浮かび上がった。
見ているだけで全てを飲み込んでしまいそうな、悍ましい漆黒が渦を巻いている。
ベリトの顎から汗が滴る。
タロットからは呼吸音が漏れる。
そして臨戦態勢を取るベリトに目を移して、魔王はこう答えた。
「『魔王の爪痕』だ」
突拍子もない言葉に、ベリトだけでなく俺たち全員が呆気に取られた。
「はァ……?」
すぐに魔王は掌から漆黒の渦を消すと、カチッと杖に体を預けながら言う。
「だから『魔王の爪痕』を残すんだろ? 魔王がやらずに誰がやるんだ」
「おィおィ……そいつァつまりィ……」
そして魔王は気だるくこう言ったのだ。
「俺がやるんだよ」
「ソロモン王ッ!!! 何を言って」
「クッハハハハハッ!! なァんだそういう事かァ! それならボクじャ役者不足だなァ! クハハハハハッ……ハハッ………はァ…………」
魔王の言葉を聞いたベリトは、国王の怒号をかき消す程の大声で笑った。
だがすぐに緊張の糸が切れたのだろう、その場でドサっと尻餅をついた。
「いやァ……勘弁してくれ王様ァ……殺されるかと思ったぜェ……」
タロットの反応も同様だ。倒れ込むようにテーブルに突っ伏して、ボソボソと独り言を始める。
(あ"ぁ〜……マジでビビったッスぅ……確実に寿命が縮んだッスぅ……!)
魔王はため息をつきながら、ベリトに呆れ顔を向けていた。
「あのなぁ……大袈裟すぎるだろ。お前を殺す要素がどこにあったんだよ」
「知らねェよォ! ボクァてっきり、とんでもなィ地雷を踏み抜いたと思ッたんだァ! 二度とその薄気味悪ィ魔力洩らすんじャねェ!」
「薄気味悪いとは失礼な奴だな。そして俺にそんな地雷はねーよ、アヤネ以外は全て些事だ」
「それが分かッてても怖ェもんは怖ェんだ! イメトレっつーならイメージだけにしとけよなァ!」
尻餅をついたままのベリトは、魔王を見上げて指を突きつけ、ギャーギャーと文句を言っている。
俺はその隙に、気になった事をこっそり聞いてみる事にした。
(なぁタロット……! 王様から洩れてた魔力って、そんなにとんでもない量だったのか……?)
(いや、それが分かんないから怖いんスよ……! 底が見えなくてめちゃくちゃ不気味ッス……! 言葉を選ばず言うと、気持ち悪いっていうか……)
「おいタロット、何か言ったか?」
「な、なんでもないッス! ただの雑談ッス!」
魔王の問い詰めに冷や汗を浮かべたタロットは、ナーコのマネをするようにピシッと敬礼してそう言った。
――なるほど……1か100かも分からなかったっつーことか……。
「おいソロモン王……! これはただの虐殺だ!! こんなものが正解だとでも言うのかッッ!!」
我慢の限界を超えたように、国王がワナワナと震えながら、魔王に向けて大声で糾弾していた。
「正解かは知らねーよ、だが現状の最適解だ。俺たちはヘタクソを支持する」
「あぁ先生……! 先生先生先生……ッ!!」
魔王から褒められた事が嬉しかったのだろう、ナーコは瞳を潤ませ興奮を隠しきれていない。
だがそんな情景に目もくれず、国王はさらに声を荒げるが、
「ふざけた事を言うなッッッ!! 民を切り捨ててまで作る国に……なんの………意味…………が………」
その言葉を言い終える事なく、国王は突然カクっと下を向いて気を失った。
「お、おいこれって……」
「ネザルには少し寝てもらったよ。それにしても、この国がまだ平和なのは奇跡に近いな……きっと側近が優秀なんだろ」
魔王はそう言って、壁際で横たわるガンドに目を移した。
「とはいえェ、これでよォやく静かになッたなァ」
そう言ってようやくベリトが立ち上がろうとした時、ナーコが恐る恐る口を開いた。
「あのぉ……でもこれって、ベリトさんだけでも十分お釣りが来るんじゃ……?」
「あァ、コストで考えりャそォなるなァ、リターンだってそこまで大きくァ変わらなィさァ」
「え、じゃあなんでわざわざ先生まで……」
「クハハッ! それはなァ、お前がノセたのはボクだけじャなかったッて事さァ。なァ王様ァ?」
魔王はしたり顔を向けるベリトを、横目でチラリと見ると、不機嫌そうな顔をナーコに向けて言う。
「知らねーよ。だが臨時国王にしては上出来だ」
「あぁ、、先生ッッッ!! あ、やばい……鼻血出ちゃいそ……!」
そう溢してナーコは俺に駆け寄り、服に鼻を押し付けてきた。
「ちょ、お前はいっつも……!」
――いや………こんだけ余裕あるなら大丈夫か……。
そう思っていると、ナーコから小さな声が聞こえた。
「……ハルタのおかげで、被害が最小限で済むんだよ……ありがとう……」
「はぁ……俺はなんにもしてないよ」
そう言って俺はナーコの頭をポンポンと叩いてやった。
『被害が最小限で済む』
それでも今日、数万人の命が失われるだろう。
生き残るのは推定、民間人の半数である約1万人、たったのそれだけ。
それでも尚、ナーコにとってこの被害は最小限だったのだ。
そして俺がやった事と言えば、『人質』の線引き程度の事。
――きっとナーコは民間人も全員、『人質』とみなして、殺す予定だったんだろうな……あんま無理しないでくれよ……。




