59.0 『望みの対価』
「どもーッッ!! おっつかれさまでーーーーッスぅ!!」
「遅いぞ、何分待たせるんだよ」
魔王は変わらず、いつもの気だるい声で苦言を言ってきていた。
部屋の中心には長方形のテーブルが一つに椅子が四つ、奥には壁に沿って机が置かれ、難しそうな本が積まれている。
所々に悪魔のぬいぐるみが置かれているのは、アヤネ様が遊びに来ているんだろう。
「いやすみませんッス~、あっは~」
「まぁいい、座れ」
魔王も腰掛け、ベリトがその後ろで壁にもたれて立っている。
「あっれぇベリト、お前も呼ばれてたんスかぁ?」
「ボクはァそこの二人の見張りだよォ、王様に危害を及ぼすかもしれないだろォ?」
ベリトが嘯くように俺達を見ながらそう言った。
どう考えても今更そんな事あるわけないと思い、俺も椅子に腰掛けながら苦言を言うのだ。
「いやさすがにそんな事思ってないだろ……また悪巧みってやつかよ?」
「まァそんな所さァ、四人で続けてくれェ」
「それはそうとアンタそのツノだいじょぶッスかぁ? 最近アヤネ様に思いっきり引っ張られてるじゃないッスかぁ! アタシは『そのツノへし折ってやれー!』って応援してるんスけどね~♪」
「おィおィ物騒なこと言わないでくれるかァ? でもォそれでアヤネ様が喜んでくれるならァ、ボクァ本望だけどねェ」
タロットがそう言うと、ツノをスリスリと触りながら苦笑いしている。
そしてようやく魔王が、「さて……」と言って、席についた俺達三人を見回した。
「タロット、そしてハルタロウにカナコ。アヤネが意識を取り戻し、笑い、喋ってくれている。君たちのお陰だ。改めて感謝する。本当にありがとう」
そう言って、再度俺達に頭を下げてきた。
「いやいや~、いいんスよぉ! もぉ! たまたまッスよぉ! たまたまぁ!」
「俺たちそこまでのことしてないんだって……ほとんど悪魔たちのおかげだ。俺たちはたまたまその場に居合わせたに過ぎないよ……」
「そうです先生、私たちよりも悪魔たちの支えがあったからだと何度も言っています……!」
魔王は頭を上げ、「では本題だが……」と言うと、タロットはそれに被せるように大きな声でおどけながら話し始めた。
「そんでそんでぇ? 今日はなんの相談ッスかぁ? ウチの奴隷使ってなんかするんスかぁ?」
タロットは俺の肩をバンバン叩いてくる。
魔王の言葉を遮るタロットの不自然さに、言葉を出せないでいると、ベリトが残念そうな表情でタロットを見て言う。
「もォ無理だァ、諦めろアスタロトォ」
「い、いやッスねぇ……! 怖い顔しないでくださいよぉ! もぉ!」
タロットの声は震え始め、目には涙が浮かんでいる。
そんな事には耳を貸さず、魔王が気怠く口を開いた。
「契約は履行された」
この魔王の言葉に、タロットとベリトはビクッと身体を震わせた。
――『契約は履行された?』 なんだ? アヤネ様が目覚めた事か?
ナーコを見たが首を振ってわからない事を伝えてきた。
その言葉にタロットは食い下がっていく。
「そ、それなんですけどぉ……! アタシ気づいちゃったんスよぉ!」
笑顔を取り繕って、必死に何かを言おうとしているタロットを魔王が睨みつけていたが、タロットは気にしないそぶりで続ける。
「いやぁ……ちょっと考えてほしいんスよぉ! アヤネ様が意識を取り戻したのってぇ、ハルタローとナコちゃんの功績だと思いませんかぁ?」
タロットは人さし指を立てて、眉をひそめて、いつもの自分になりきって提案するが、魔王はそれをはねのけるように、頬杖をついた。
「違うな、お前たちはさっき『たまたまだ』 『悪魔たちのおかげだ』 『悪魔たちの支えがあったからだ』 と言った。ならば契約は履行されている。違うか?」
これで何かに気づいたナーコが口を開く。
「それって……アヤネちゃんが目覚めたから、先生から悪魔たちに対価を払うとかっていう……そういう話ですか……?」
「そういう事だ、タロットから順番に、七十二柱全員に『望みの対価』を聞いていく。俺が差し出せる物ならなんでも差し出す。最終的にみんなで分け合えばいい」
タロットはそれを聞いてすぐに人差し指をたてながら、涙を浮かべて笑顔を取り繕って言う。
「そ、それならアタシはソロモン様の好きな料理おしえて欲しいッス……!」
「嘘をつくな」
「う、嘘じゃないッスよぉ……ッ……! ずっとぉ……ッ……ずーっと知りたかッたんスよぉ……?」
タロットがボロボロと涙を溢し始めた。
そして魔王は。
「お前は俺を喰いたがっていた筈だろう、俺は本当に『望む対価』を差し出したいんだよ」
--は? なにを言ってる?
「おい、喰いたがってたってどういう意味だよ……?」
俺は意味が理解できず、ようやく言葉を絞り出して後ろのベリトに目を向けた。
「言葉の通りだァ、ボク達ァ王様を喰いたくて願いを聞き入れたのさァ。魔王の名に恥じない膨大なチカラだァ、あの時は誰しも垂涎だったよォ」
「今は違うッッ……!!! 今はそんな事誰も思っでないッズ……アダジは……っ……好きな料理を教えでもらえれば……本当にッ……それでいいんスよッ……ッ……」
涙を流してそう言うタロットに、魔王は大きな溜息をつき、白衣のポケットをゴソゴソと探り始めた。
それを見たタロットは目を見開いた。
ガタガタと震え、立ち上がり、魔王に向けて手のひらを突き出した。
「やめろソロモン王ッ!!! 止まれ!!! 動くな!!! それをつけるな!!! それを付ける事をアタシは許さない!!! これは反逆だ!!! 動けばアタシの最大限の魔力をもってお前を殺す!!! アタシの最大魔術だ!!! お前も!!! この世界も全てを滅ぶぞッッ!!! 止まれッッ!!!」
タロットは金色の瞳から涙をこぼし、声を張り上げ、小さな身体からは黒く禍々しいオーラが立ち上っている。
そんなタロットを気にする素振りもなく、魔王は「あったあった」と言わんばかりのしぐさで、ポケットから一つの指輪を取り出した。
その指輪は金色で、全体に斜めの格子柄の彫られていた
「ナーコと同じ指輪……?」
その指輪を見たタロットは悲痛な表情で、首を振りながら訴える。
「イヤ……いやだ!!! その指輪を付けないで……ッ!!! お願いだから……ッッ!!」
ベリトはもう諦めたように肩を竦めて魔王に言う。
「『ソロモンの指輪』を消さずに取っておいたのァ、この為かよォ……ならもうどーにもならねェんだなァ」
そして魔王は『ソロモンの指輪』を右手の人差し指にはめて口を開いた。
---「七十二柱全員、嘘をつくな」---
魔王はそれだけ言うと、その指輪を外し、またポケットに仕舞った。
タロットからは、あの禍々しいオーラはなくなっており、床に座りこみ、涙を流してそれを眺めている。
ナーコが震えた声で尋ねた。
「その指輪は……強制力か何かが……あるんですか……?」
「そォいうことだァ、これでボク達ァもう嘘がつけなィ。これがあるなら最初からァ、詰んでいたんだァ」
そう言ってベリトはまた肩を竦めた。
そして魔王はタロットに優しく問いかける。
「タロット、本当に望んでいる対価を教えてくれ。俺に出来ることならなんでもする」
「アタシはッッ……!! アタシはソロモン様に……生きて欲しいッス……」
「ダメだ、次の望みはなんだ」
嘘をつけない筈のタロットの望みを、魔王は冷たく一蹴した。
「なんでッッ!!! アタシは本心でこれを望んでるッッ……! 嘘じゃないのにッ……どうしてぇ……ッ!!!」
「俺を喰いたがってる奴の望みが叶えられなくなるんだよ、次の望みを言え」
「アタシは……ソロモン様に幸せになって欲しいッス……」
「ダメだ、つぎ」
「ソロモン様とこれからも一緒にいたいッス……」
「つぎだ」
何度も何度も、タロットは似たような望みを口にし、それを魔王が悉く一蹴していった。
ナーコは俯いて、汗を垂らし必死に解決の糸口を思案しているようだ。
そしてついに、タロットが涙を流し、唇を噛み締めて、そこから血を流しながら、声を絞り出した。
「アダジは……ッッッ……!!!! アナタの……!!! 血を!! 肉を!! 脳を!!」
ーー言わせたくない。
「知識を……魔力を……」
ーータロットにこんな事言わせたくない。
「喰って……取り込んで……そしてアナタと共に……」
『死にたい』『滅びたい』、たぶんそんなニュアンスの事を言おうとしたんだろう。
でもこの子にそんな事を言わせたくなかったんだ。
だから俺は立ち上がって……。
「先に俺の願いを聞いてくれよッッッ!!!」
魔王に向かって大声で叫んでいた。
呆然と驚いたようにこちらを見る三人。
「いいネェ……」
ベリトがニヤリと笑ってそう呟いた。
「なんだ? お前の褒美は後でやる」
--ここで引き下がったらダメだ。
「いいやダメだ! よく考えれば俺達がいなければアヤネ様は目覚めなかった! なら俺達からだろう! なんでこれまで何も出来なかったタロットから対価を聞くんだよ? ズルいだろ! 俺達の褒美が先だ!!!」
精一杯の虚勢を張った言葉に、魔王は初めて苛立ったような表情になったが。
「まァいいじゃないか王様ァ」
ベリトはそう言うと、魔王の肩に後ろから手をかけ、顔を近づけた。
「確かにこいつらの功績あっての今だァ。俺はこれでもコイツらに感謝をしているんだぜェ? よォやく念願の対価が王様から頂けるんだァ。少しは優遇してやってもいいさァ。これは俺の本心だァ、俺は今ウソをつけなィ、そうだろォ?」
「お前の入れ知恵かベリト」
嘯くベリトに不機嫌な声で返す魔王。
「ちがゥちがゥ言いがかりだァ、ほら言えたァ、ウソじゃなィ」
肩から手を離し、両手を広げてコツコツと歩きながらベリトは続ける。
「そもそもタロットを見てみろよォ、可哀想にィ……こォんなに追い詰められたらァ本心なんて言える筈もないだろォ? コイツらの願いを聞いてる間にィ、考えさせてやろうじャないかァ? ボクの順番は最後でいいからさァ」
涙と鼻水、唇からは血を流しているタロットを見ると、魔王はめんどくさそうに俺たちに言う。
「もういいわかった、お前達からでいい、俺に出来る事ならなんでもしてやる、さっさと言え」
勢い任せで立ち上がった俺だが、それでどうにかなる筈も無かった。
できるのはただの時間稼ぎ。
そう思っていると、ベリトが珍しく真面目な顔をして俺たちに伝えてくる。
「良く聞けェ。アスタロト達はこの男に生きてもらう事を望んでいる。だがァ、この王様は『それを叶えられない状況』を作り出したァ。お前らがそれを叶えさせろォ、『それを叶えられる状況』を作り出すんだァ」
横からタロットに服を掴まれた。
「だのむッズ……おねがぃ……ッ……!!」
両手で裾にしがみつき、涙をこぼし、俯き、こんな俺なんかに『頼む』と言った。
最強の悪魔大公爵アスタロトが俺たちなんかに『お願い』と言った。
それを聞いていたナーコも立ち上がって、タロットに言う。
「タロットちゃんいいの? 私達は嘘をつくよ? タロットちゃんが大好きな人に対して嘘をついて否定するよ。それでもいいの?」
そう言うとタロットは顔をあげた。
まるでもう願いが叶ったかのように嬉しそうな顔をしていた。
毎日この顔で過ごしてほしい。
この顔で、魔王と、アヤネ様と、七十二柱と、悪魔みんなで過ごしてほしい。
たぶんそれが俺の願いだ。
その中に俺が含まれなくたっていい。
目をゴシゴシと拭ったタロットが力強く叫んだ。
「赦す!! この場に限り全てを赦す!! この不器用でイジワルな男への嘘を!!! 否定を!!! 悪魔大公爵アスタロトの名において全てを赦すっ……!!! だからッ……魔王を倒して……ッ……!! お願いだからぁ…………!」
タロットは言い終える前に泣き崩れた。
そして大好きな魔王を『不器用でイジワルな男』と言った。
ベリトがそれに続いて俺たちを鼓舞してくる。
「ボクァこの王様が負けた所を一度も見たことがなイ。勝ってみろよォ、勇者なんだろォ?」
「当たり前だ、勇者は魔王を倒してナンボだろ」
「私たちがタロットちゃんに恩を返せるなら、ここしか無いもん」
「ククク……そうかァ、期待しておくよォ」
ベリトが煽るように覗き込んで、俺は自信満々に答えてやった。
それを見た魔王は、頭をガシガシ掻きながら言う。
「はぁ……面倒だ」
そして魔王は、俺たち勇者を見据えて、更にこう言うのだ。
「いいだろう、相手になってやる」
ついに、『魔王討伐』の火蓋が切って落とされた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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