55.0 『王の頭』
和室のあのスペースで、泣きべそをかいたナーコに寄り添っていると、ノックがして魔王が入ってきた。
「途中から置いてけぼりにしてしまったな、すまない」
足を引き摺りながら、そう言って俺たちの向かいの椅子に腰掛けた。
「いや……! それよりもう大丈夫なのか? 俺たちはいいからアヤネ様に……!」
少し焦りながらそう言うと、魔王は優しく笑って言った。
「さっき寝たよ、今はブエルとタロットが見ている。まぁタロットは横で寝ているだけだがな」
「アヤネちゃんは……明日は目覚めるのでしょうか……?」
「俺もそれを心配したが、ブエルが大丈夫と言っていたから大丈夫だろう」
「良かった……!」
ナーコの不安が払拭されて、胸を撫で下ろし、また少し涙を溢した。
そして魔王は真剣な顔で俺たちに向き合って言う。
「俺はここの王でな、これまで何があっても、誰に対しても頭を下げたことがない、が……」
そしてすぐに、テーブルに両手をつき、魔王が深々と頭を下げた。
「あれは俺の『全て』だ、そして悪魔たちの『全て』にもなっていた。俺自身と、悪魔たち全員を代表して、心から礼を言う。本当にありがとう」
「いい、いいよ王様やめてくれ……! たまたまだ……! 王様やタロット達に比べたら何もしてない!」
「そうです……! 一緒に遊んだだけ、本当にそれだけです!」
そして頭をあげてから、少し背にもたれて魔王は言う。
「ここで礼を言えない王など、王ではない。本当に感謝しているんだ」
「あぁ……なら気持ちはありがたくもらっとく」
「結局なにが原因だったんでしょうか? 私たちは先生を負かそうと思ってたんですけど……」
それを聞くと魔王が少し笑みを溢した。
「王様そうやって笑うんだな」
ふとそんな事を言ってしまった。
ずっと無愛想で気怠げだったのに、アヤネ様が意識を戻してからは頬が緩むようになっていた。
それは絵になるというよりも、ずっと見ていたくなる優しい顔だった。
「たぶんこういう事なんだろう、笑ったのなんか本当に久しぶりだった」
「せ、先生が笑う事……ですか……?」
ナーコがそう言うと、魔王は頬杖をついて足を組んだ。
俺はいつからか、この人の仕草や動きを目で追ってしまっていた。
きっと本当に憧れている。
この人のようになりたいと、仲間になりたいと、この頃には真に願っていた。
「笑うだけではないと思うが……おいネビロス! そこにいるんだろう! 酒三杯とつまみを持ってきてくれ! ノックはいらない!」
「ハッ!」
魔王がふいに扉に向けて大きな声を出すと、奥からの声がした。
すぐに扉が開き、ネロズがサキュバスを連れて部屋に入ってきた。
ヤラセだったとわかっていても、この腕の太い悪魔を見ると、まだ少し足がすくんでしまう。
ナーコも俺の服をキュッと握った。
「お待たせ致しました」
ネロズは大きな盆に木製ジョッキの果汁酒を三杯、サキュバスは盆に干し肉、フライドポテト、ドライフルーツを山盛りにしている。
「ありがとう、下がっていい」
俺達も二人に礼を言った。
だがネロズは下がらなかった。
「少しだけお時間をください」
そう言ってから俺たちに目線を移す。
やっぱり怖いという感情は拭えなかったが、ネロズもそれを察したのかもしれない。
その場ですぐに両膝をついて、そこに手を乗せて言った。
「本当゛にッ! あ゛り゛がとうござい゛ま゛しだッッ……!!」
ネロズが涙を溢して、俺たちに頭を下げた。
「や、やめてくださいネロズさん……私達本当に……」
ナーコがオドオドしていると魔王が言う。
「受け入れてやれ、言ったろう、悪魔たちの『全て』なんだよアヤネは」
すぐにネロズは続けた。
「アスタロト様もまだ礼を言えず、心苦しく思っております。明日にでも、お時間をとってあげてください」
「そりゃもちろんだよ……そもそもタロットがいないと、俺たち何も出来ないまであるんだ」
「そ、そうです! だから顔を上げてください……!
「ありがとうございます、大変失礼致しました」
ネロズはそう言って、サキュバスと共に部屋から出ていった。
それを見送ってナーコが果汁酒に口をつけながら言う。
「び、びっくりしたぁ~……」
「ネビロスはな、アヤネと遊ぶのをずっと楽しみにしていたよ。猫の刺繍を見ただろう、布団や服についていたやつだ」
「え……まさか……」
魔王のこの言葉に、俺もナーコも言葉を失ってしまった。
「あいつが一針一針刺繍したんだ。自分の顔は怖いから、猫のほうがいいと言ってな」
「ネロズさん……!」
ナーコは泣き虫だ、すぐに涙が溢れてくる。
でもここにいたら、誰でもそうなってしまう気もしていた。
「自分たちがどれほどの偉業を成したか理解してきたか? 本当に俺達の『全て』なんだ、アヤネは」
魔王はそう言って城下町を見下ろした。
アヤネ様が意識を戻した事は既に通達されたのだろう。
悪魔や人間混ざって、大騒ぎしているのがわかる。
「はい、恐れ多いですが……」
ナーコのそんな言葉を遮って魔王は聞いてくる。
「俺達がこんな生活を何年続けてきたと思う?」
「き、気になってたんだ……それ……! 色々と計算が合わなくて……!」
王様は「そうだろうな」と言うと両膝に肘を置いて、俺達を見て言った。
「百年だ」
「は……?」
俺たちはつまみに伸ばした手を止めて、呆然と王様の顔を見た。
「俺がこっちに来たのがちょうど百年前、アヤネはその五年前からこっちにいるんだよ」
「ま、待ってください……! 歳は……! 歳を取らないということですか……!」
「そうだ、その言葉の通りだ。『成長しない』ではなく『歳を取らない』 だから俺は三十歳だし、アヤネは六歳。そしてタロットは十六歳だ」
「それは哲学みたいな話ではないんだよな……」
魔王は「違うな」というと、また足を組んで気怠げに、自分の頭を指さして続ける。
「記憶や経験は蓄積されるが、精神や肉体は歳を取らない。ブエルと会ったならわかりやすいだろう」
「なんで……」
「アヤネは誕生日が嫌いなんだ、おそらくそういう理由だと解釈している」
「こ、この世界の人全員ですか……!?」
ナーコのその言葉にゲームのNPCを思い浮かべたが、それも否定された。
「違う、俺たちのような『異物』や悪魔だけがそうだ」
「私たちも……ですか……?」
「その可能性が高い、一年やニ年では気付かないかもしれんが……まぁ十年くらい経って『あれ、俺たち歳取ってなくね?』と思うのもいいんじゃないか?」
少しだけ魔王が薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
「でもそれ……周りに気づかれるだろう……! 十年も経てば周りからは……!」
「大丈夫だ、自分から言わない限りは違和感すら持たれない。お前たちも経験している筈だ」
この魔王の言っている意味がわからなかった。
隣人が百年も歳を取らなければ、違和感を持たれない筈がないだろう。
「私たちが経験しているって……どういう事ですか……? タロットちゃんの事ですか……?」
「違う、やはりここまで言っても気づかないな。俺もこれに気づくのは苦労したからな、仕方ないんだろう」
「ほ、本当にわかりません……! もったいぶらずに教えてほしいです……!」
俺もナーコと同じように焦れったく感じていた。
どうも魔王は明確な答えを避けて、少しずつヒントを出していくように感じた。
だがその疑問は、酒をすする魔王がすぐに答えた。
「もったいぶっているのは確かだ、どこまで情報を与えれば気づくのか、実験中といえばわかりやすいな。もう少し付き合ってくれ、大事なことだ」
「は、はい……」
「これはヘタクソに答えてほしいんだが……『サワタニエリコ』と言えばどうだ?」
「エ、エリコ先生とはこっちの世界で会ってないです! 本当です!」
「ヘタクソの洞察力は俺から見ても優れている。それでも未だに気づかない、果てには今のように見当違いな返事。何か強制力があるのかもしれない」
ナーコが汗を垂らし、必死に思考を巡らせているのがわかった。
——こいつがここまで考えてもわからない事なんてあるのか?
魔王はナーコに質問を重ねていく。
「ではサワタニエリコの年齢はいくつだ?」
「二十三歳です……!」
「ではお前たちはサワタニエリコといつ出会った?」
「小学校二年生で出会いました……養護施設に引き取られてすぐです……」
「その時もサワタニエリコは養護施設で働いていたんだよな?」
「も、もちろんです……!!」
そこまで言うと魔王は深い溜息をついた。
頭をボリボリと掻いて、焦れったい表情を浮かべて酒を飲んだ。
『焦れったいのはこっちだ』と言ってやりたくなったが、実験というのだから仕方ないんだろう、ナーコもそれは受け入れている。
魔王は天井を見上げて愚痴を溢すように言う。
「『もちろんです』と来たか……たぶん気付けないんだろうな。では次に答えを言うが、それでも俺が意味不明な事を言っていると思ったら教えてくれ」
魔王は指をたてて「では一つ一ついこう」と言ってから続けた。
「お前たちが出会った時のサワタニエリコの年齢は?」
「二十三歳です」
「では、十年後のサワタニエリコの年齢は?」
「三十三歳です」
簡単な算数の問題だろう。
「では今のサワタニエリコの年齢は?」
「二十三歳……? あ、あれ……?」
そして王様が問い詰めるように目を見てこう言った。
「なぜ出会った頃も現在も、同じ二十三歳の認識なんだ?」
——エリコ先生が歳をとっていない……?
「おかしい……! なんで!? なんで歳とってないの!! それよりなんで私たちはそれを当たり前に受け入れて……」
「そうだ、エリコ先生は二十三歳という認識しかなかった……! 違和感すらなかった……!」
ナーコが汗を頭を抱え、俺も頭をガシガシ掻きながら、エリコ先生の違和感にようやく気づけた。
「とはいえこれで確定だ。サワタニエリコはこの世界に関わっている」
「先生は……どうやってこれに気づけたんですか……? 一人じゃ絶対に気づける気がしない……」
「お前たちより情報が多かっただけだ、察しの良い悪いではなく情報量の差だ」
「私は……情報だけで気付ける気がしません……」
魔王はドライフルーツを齧って酒を一口飲むと、また城下町を見下ろして気怠げに言う。
「まぁこれでわかっただろ、周りの人間からはそう見られる。違和感すらもたれない」
「私たちは不老不死なんですか……?」
そう言ってナーコが確信をつく質問をしたが。
「寿命はおそらく無い、が、殺したら死ぬ。生きるのに飽きたらタロットに言えばいい、あいつならお前たちを苦しませずに殺してくれる」
「タロットちゃんにそんな事はさせません。私は生き続けます」
「俺もだ……! この世界なら楽しい! 前の世界は嫌だったけど……」
俺たちの答えを聞いた魔王は嬉しそうに笑って、立ち上がった。
「ならまぁ、精々タロットにこき使われてやってくれ。とりあえず最低限必要な情報は渡せたな、俺もこれで楽になれる。じゃあまぁ、楽しく生きろよ」
そして付け加えるように「あ、そうそう」と少し真面目な口調になって言う。
「アヤネにピストル関連は見せないでやってほしい、水鉄砲もできれば避けたいな、明確なライン越えはエアガンだ」
「それは……先生たちが養護施設に行った事と関係あるんですか?」
魔王は、真剣な顔つきのナーコを見下ろして言った。
「そうだ、あれは痛いからな」
そして気怠げに杖を肩にかけ、足を引き摺りながら部屋を出ていった。
廊下に出ると、またカチッカチッと音を響かせる。
少し気を取り直して立ち上がり、ナーコに声をかける。
「とりあえず、俺達もあの宴、行ってみよーぜ!」
「いいですねハルタ選手ぅ! 私も気になってたんだぁ」
久しぶりにナーコと二人で『小さき鍵』の街に足を伸ばしてみるのだ。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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