46.0 『悪の根城』
転移門を抜けると、目の前にはボロボロの教会が建っていた。
屋根が無く、壁も崩れかかっているが、中から明かりが漏れている。
それに月明かりが合わさり、ようやく周囲が見渡せた。
広い広い砂漠のど真ん中、他に建物は一つも見当たらない。
中からは人の気配がした、複数の男の話し声。
魔王は教会を見上げると「やっぱりココか」と呟いて、教会の扉をノックした。
俺は気が気ではなかった。
タロットやベリトのような悪魔が一緒ならまだしも、ここにはただの日本人が三人。
魔王とはいえ、単純な戦闘力としては悪魔たちのが上な事は明白だった。
ナーコは震えなどなく、ペンダントを握りながら、覚悟を決めた顔つきをしている。
ノックが響くと教会から声が聞こえなくなった、返事もしない。
「入るぞ」
魔王がそう言ってゆっくりと扉を開いた。
ボロボロの礼拝堂で、絨毯はなく、両側には多数の参列席
そして白い小包のような箱が、所狭しと積まれていた。
おそらくこの中に薬物が入っているのだろう。
全て合わせれば何百箱にもなりそうなほど。
それを見て俺は眉間に皺を寄せた。
これでどれだけの中毒者を出す気なのかと、拳をギュッと握りしめた。
その周りには、魔法使いが持っているような杖を携えた男たちがたむろして、皆一様にえんじ色のコートを身にまとっている。
十人程度が参列席。そして一人、黒のコートを身にまとった、赤い長髪の男が祭壇に足を組んで座っている。
魔王の後に続いて中に入ると全員がこちらを向いて不思議そうな顔をしてきた。
参列席の中の一人がドスの効いた声を投げてくる。
「てめぇらはどちらさんですかねぇ?」
「話をしに来たんだが……会話ができる程度に教養のある奴はいるか?」
話をしにきたとは思えない挑発めいた言葉で、俺もナーコも信じられないという表情で魔王を見る。
「おいアッシュルさんよ、なんですかいコイツ!?」
その参列席からの言葉に、祭壇の黒コートの男が口を開いた。
この男がアッシュルだろう。
「あぁ! ようやくですかッ! アナタがソレを見つけてくれたって事でいいんですよね?」
アッシュルはナーコのペンダントを指さしてから、嬉しそうに手を叩いた。
そうだ、コイツらは薬もそうだが、このペンダントも狙っていた。
百人以上が皆殺しにされたらしいが、コイツらはその事を知らされていないのだろうか。
魔王がめんどくさそうに答える。
「見つけたといえばそうだが、勝手に座らせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる『シクラメン』達のど真ん中、絨毯の無いバージンロードをカチッカチッと杖をつきながら進んでいく魔王。
俺達は理解が及ばず、魔王の袖に掴まり、隠れるように足を進めることしか出来ない。
そしてこういう輩が、足の悪い人間に対してすることは一つだと思い、足元に注意していたが。
やはり一人の男が魔王の杖に足をかけてきた。
「王様……ッ!」
俺がそう声をかけた時にはもう遅かった。
男の足が魔王の杖にかかってしまった。
そしてすぐ、鮮血が足元に広がった。
「いぎぃいいいあああああッッ!!!」
足をかけた男のくるぶしから先が綺麗に無くなり、そこからバケツの水をぶちまけたように血液が流れ落ち、男は椅子からずり落ち転げ回った。
俺は注意深く見ていたからわかる。
魔王の杖に触れた瞬間、その軌道にあった足先が消えたように見えた。
アッシュルはその光景を目で捉えると、訝しげな目つきでこちらを睨みつけてくる。
「アナタ……いま何をしたんですか……?」
すぐに周囲の『シクラメン』も、俺たちから距離を取るように離れ、魔法杖を構えて動こうとしない。
足先の無くなった男は蹲り、壁際まで這うように離れていった。
それを目にした魔王は、這いずる男に嘲るような視線を送る。
「良かったじゃないか、もう次から同じ間違いを犯さなくて済むぞ。成長できたな、おめでとう」
魔王はそう言って参列席に腰を下ろした。
あまりに味方の少なすぎるこの状況、俺たちは魔王に頼る事しかできなかった。
そして、ナーコがなにかを見つけたように祭壇の奥を凝視している。
そして、その方向を震えながら指さした。
「あ、あれ……」
そこには傷だらけの男が二人、手錠で動きを封じられ、両手を上げたまま、腰を地面にべったりとつけて俯いている。
見覚えのある二人だった。
別れてからまだ、丸一日も経っていない、旅をした仲間。
「ガンドさん!! アイゼイヤさん!!!」
俺が名前を呼んだ事が意外だったんだろう。
魔王は少し驚いたようにこちらを向いた。
「なんだ? 知り合いか?」
「あぁ、『不可逆の扉』まで送ってくれた人たちだ……王国の騎士長と、イ・ブラファ皇国の大使で……」
「そうか、『偽王国』の護衛を解いた事が要因だろうな」
それを聞いたナーコが涙を浮かべ魔王を見て言う。
「そんな……! 先生……どうにかなりませんか……? とても良い人たちなんです……!」
魔王の言葉で察する事ができた。
『偽王国』の護衛は、俺たちを扉に送り届けるまでだったのだ。
その後、おそらく二人はペンダントを狙った『シクラメン』に襲われ、今は人質のような扱いを受けている。
傷の深さから拷問に似た事をされたのだと感じ、悔しさに俺は唇を噛んだ。
魔王は気だるげな口調を変えず、平然とアッシュルに質問した。
「そこの二人は生きているか?」
「は……? あぁ、この二人のお仲間ですか……ではそのペンダントと交換といきましょう……」
臨戦態勢のアッシュルは口元を緩める。
人質が人質として機能するのだから当然だろう。
魔王の攻撃が不可解だったことも踏まえてだろう、この場を交換で済ませる提案してきたが、魔王からの返事は否定にも似た言葉だった。
「なぜ交換をする必要があるんだ? 俺はお願いをしに来ただけなんだよ」
「お願い……? ではまずそれを伺ってもいいですか……?」
「そうだな、まずここの白い小包を全て貰い受けたい。そして周りの猿全員を自首させてやってくれ。お前はウチまで来てもらう、何かしらの情報は持っているだろう。その上で、そこの二人の解放。お願いは以上だ」
「バカにするのも大概にしろぉッッッ!!!!」
魔王の一方的すぎるお願いに、アッシュルが初めて感情を顕にした。
本当にただのお願いで、こちらから差し出すものが何一つ無い。
だが、魔王はそれを聞いてため息をつくと、足を組み、杖をアッシュルに向けながら諭すように言う。
「あのなぁ、俺がお願いをしているんだぞ? これ以上に何を求めるというんだ? もういいだろう、俺たちは疲れている、さっさと帰らせてくれないか」
「アナタ……本当に生きて帰れると思っているのですか……? ここにいるのは全員上位魔術師、そしてワタシは最上位ですよ……?」
「じゃあなんでその上位様がそこで転がっているんだ? 戦いたくないんだよ俺は、わかるか? 今とてもめんどくさいんだ」
本当にただめんどくさがっているように背にもたれ、宙を見上げて独り言のように呟く魔王。
すると周囲の上位魔術師が剣を構えてブツブツと詠唱を始めた。
風が少しふいて、光が『シクラメン』たちに集中していくのがわかる。
そしてアッシュルがニヤニヤと魔王を見て嘲笑う。
「アナタはそれなりに強いのかもしれませんがねぇ……そこの二人を守りながら、ここの全員を相手に出来るのですか? ましてやその脚、思うように動けますか?」
俺もそれは気がかりだった。
脚以上に俺達の存在。
悔しいが、特に俺なんかは足手まとい以外の何者でもない。
そう思っていると、魔王が深く溜息をついてナーコに語りかけた。
「いいかヘタクソ、特別授業だ。マナにこんな詠唱なんてのは本来いらん。コイツらのやっているのは念仏みたいなもんだ。こういう長い時間をかけて、一生懸命に集中しようとしている。だから少し集中力が欠けるとマナが霧散してしまう、つまり隙だらけって事だ」
そう言って魔王が杖をカチッと床につけると同時に、周囲の魔術師からパキパキッと小枝が折れるような音がした。
「ッッッあああ……っ……アアッ……いっづぁぁぁッッ……!!」
周囲の魔術師が悲鳴を次々にあげ、その場で手先を押さえて膝をついた。
「き、貴様なにをしたぁ……ッッ!!!」
「小指を折っただけでいちいち騒ぐな、うるさいんだよ」
アッシュルの叫びに気だるい返事をしてから魔王は、ナーコへの特別授業を再開する。
「俺はこの杖を地面に突くのが結構ラクに集中できる、お前もそういう簡単な集中方法を作っておけ。技に名前をつけてそれを口にするのは良いかもな。日本語のかっこいい名前を、横文字でかっこよく読むんだ。お前らなら言いたい事が伝わるだろう」
おそらく日本人にしか伝わらない事だ。
『稲妻槍〈ライトニングスピア〉』のような意味合いだろう。
ナーコは楽しそうな笑顔を魔王に向けてこう答えた。
「はいっ! かっこいい名前を付けてみます!!」
そして魔王は更に、杖をカチッと突いて授業を続ける。
「勘違いしているかもしれないが、マナは魔術の下位互換という訳ではない。マナはあればあるだけ強大になる、面白いエネルギーなんだよ」
そう言うと、夜が明けたかのように、ゆっくりと明るくなっていくのがわかった。
そして、『シクラメン』が皆、俺たちの頭上を見上げて恐怖に震えている。
俺はその目線の先を追うように空を見上げると、真夜中の夜空に太陽が浮いていた。
直径200メートルはありそうな真っ赤な火の玉、それが空高くに浮かんでおり、テレビで見たようなフレア現象まで起こっている。
「な、なんだ……これは……? なんだこれはぁッッ!!!」
アッシュルがそれを見上げて何か叫んでいるが、俺達も同じ感想しか出てこない。
あまりにも、これまでと次元の違うマナの強大さに俺は言葉を失い、ただただ口を開けて眺めることしかできなかった。
ナーコも同じだったのだろう、震える唇で言葉を絞り出していた。
「これ……マナなんですか……」
「そうだ、そしてこれではただの迷惑な火の玉だ。マナは圧縮して威力を強大にできる、お前がやってるビームだよ」
そう言って杖を火の玉に向けて、ゆらゆら動かすと、ゆっくりと収縮し始めた。
まるで魔王が指揮をとっているように、それに合わせて火の玉が小さくなって降りてくる。
テニスボール大になって魔王の手元に降りてくると、辺りから明るさが消えて真夜中に戻る。
「これ……さっきの……」
「同じマナ量なら必要な大きさに圧縮した方が使いやすい、あんなどでかい火の玉使いづらくてしょうがないからな」
その小さい火の玉は、礼拝堂の中央まで移動した。
そして、そこから『シクラメン』たちに向けて、さらに小さな火の玉が飛びかかっていく。
その火の玉がシクラメンの男達が触れると、叫ぶ間もなく一瞬で燃え尽きた。
肉の焦げる匂いすらもなく、真っ黒な人形が出来上がる。
そしてすぐ、それは灰となり風に攫われて消えてしまった。
「え……? なに……まって……」
アッシュルはその光景に言葉を失っているようだった。
そして自分に向けられて進んでくる火の玉に首を横に振り、涙を浮かべて逃げ惑っている。
魔王はこの男を殺さずに、城まで連れていく筈だ。
おそらくこの行為も屈服させるための脅しなのだろう。
この頃には既に魔王の強さに疑いを持っていなかった。
最上位魔術師が魔王に手も足も出なかったのだから当然だ。
そう思っていた時、アッシュルが大声で叫んだ。
「ケ、ケリスさん!!! ケリスさんお願いしますッッ!!!!」
ここで、ニールの言っていた傭兵の言葉を思い出した。
最上位魔術師と、とても傭兵がいると。
それでも俺は、この状況を傭兵一人で打破できるわけないと、軽く考えていた。
そして祭壇の奥から、若い女の声が聞こえた。
現代で言う、ギャルっぽい喋り口調。
「えーなぁにぃー? あーしまだ寝てるんですけどぉー」
「な、ななななんでも差し上げますッッ!! こ、コイツらを殺してくださいッッ!! いますぐ、いますぐですッッ!!!」
「へぇー、気前いいじゃないですかぁー♪ それならあーしにまかせてくださーぃ」
そう言って、裏から薄いピンクの髪をした女が姿を現した。
髪は右側だけで束ねたサイドテール。
遠くからでも分かるほどの真紅の瞳。
黒いノースリーブのセーターには縦のラインが入っている。
真っ白のミニスカートはフリルが大きくうねり、網タイツを履いた、160センチほどの美少女。
そして驚くべきは、天を貫くように真っ直ぐ伸びた二本のツノ。
腰から生えた妖艶な真っ黒の翼。
そしてお尻からは先がハート型の黒い尻尾。
「あ、悪魔……?」
俺がそう呟くと、ケリスと呼ばれる悪魔はスカートの両端を持ち、丁寧にお辞儀した後、自分の頬を、人差し指でぷにっと押し込んで自己紹介した。
「アッハー♪ あーしは魔王・オノスケリスでーすぅ! ケリスって呼んでくださいねぇー」
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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