45.0 『元の世界』
ここの風呂は最高だった。
コリステン邸の風呂も豪華で優雅だが、この魔王城の風呂は厳かで品があった。
まさかこの世界で、日本の露天風呂を模した岩風呂に入れるなんて、誰が想像できただろうか。
特に今日は、朝方まで吐瀉物まみれで木人を殴り、砂漠を越え、玉座でベリトと死闘を繰り広げた後の風呂だ。
俺はこの世界に来て、自分が風呂好きなのだと改めて実感できた。
もう二度とあの用水路、もとい大浴場には戻れない。
この魔王城は魔王にとってのグレーゾーンなのだろう。
現代知識とまではいかないが、脱衣所には馴染み深い形のうちわまで置いてあった。
そして勝手に呼んでいるが、ここの呼び方は魔王城でいいのだろうか?
浴衣を用意され、寝床は和室に通された。
きっとあの魔王は和風が好きなのだろう。
タロットたっての希望で、『みんなで雑魚寝がしたいッス』という願ってもない言葉が飛び出したので、俺は今、風呂上がりの女性二人を待っているのだ。
旅館の窓際によくある、小さいテーブルを挟むように椅子が二脚置かれた『あのスペース』で頬杖をついている。
『あのスペース』からは街の景色が見渡せた。
おそらく悪魔の街なのだろう、どう考えても地下な筈だが、夜空が見えた。
紫の街灯が多かったが、所々にオレンジや白などの明かりも灯っており、夜景スポットとして人気を博しそうな景色だった。
悪魔のイメージが変わる程に、みんな人間らしい格好で、人間らしく買い物などを楽しんでいるように見える。
まるでこの魔王城とその城下町が別の世界になって見えた。
ギブリス城下町より大きいのではないかと思うほどに、遠くを眺めても街の終わりが見えない。
そんな物思いにふけっていると、タロットの元気な声が響いた。
「おっつかれさまッスーーッ!!」
大きな声のタロットが果汁酒を抱えて部屋に入ってきた。
そしてその後ろから気怠げな声が響いた。
「入るぞ」
麻色の浴衣に濃紺の帯を巻いた魔王が入ってきた。
裸足で畳にあがり、少し胸元が空いていて、男の俺でも見蕩れる程似合っている。
正直、俺なんかよりベリトと並べたいと思えてしまうのが情けない。
部屋の入口では鼻血を必死に抑えるナーコが立っていた。
息荒く、頬を染めて、鼻血を垂らし、魔王の浴衣姿を舐め回すように見るナーコは、もう変態にしか見えなかった。
「先生……私……出血多量で死んじゃうかもしれません……」
「そうか、そりゃ静かになってなによりだ」
この冷徹な魔王の一言でこの場は収まった。
タロット、ナーコ共に、頭の上部でポニーテールを結んで、お揃いにしているようだ。
タロットは黒にピンクの差し色、ナーコはピンクに黒の差し色で双子のようになっていた。
胸の大きさで差が出るかと思ったが、浴衣はあまり胸が目立たない。
タロットのうなじは、俺の鼻血が出そうになるほど色っぽかった。
女性二人はいそいそと果汁酒を並べ、干し肉を広げて、魔王をもてなそうとしている。
「やはりこのスペースはいいよなぁ」
魔王はそう言って俺の向かいの席に、腰をずらしダラリと座った。
「王様は白が好きなのか? 白衣もそうだけど」
「汚れがわかりやすいんだよ、どうしても血腥い事をするからな。アヤネの部屋に入る前にすぐ気づける」
——そうか、本当にアヤネ様が『全て』なんだな。
「そ、そうだ。ココはなんていうか元の世界っぽい……グレーゾーンって奴か……?」
「そうだ。悪魔だけでそれっぽく作って楽しんでいる。構造なんて知らないからな、畳も風呂もそれっぽいだけだ、糸はすぐに綻ぶし、湯も漏れる。和風風だ、この世界の職人を巻き込みたくない」
ダラダラと喋りながら、胸元をうちわで仰ぐ姿が様になる。
「ほらほらぁ! ソロモン様も飲んでくださいよぉ! ハルタローもぉ!」
そう言ってタロットに果汁酒を渡された。
「俺は話が終わったら出て行くからあまり気を使うな」
そう言って魔王は酒を受け取った。
すぐにナーコが魔王の横にピッタリとくっついて猫撫で声で聞く。
「先生はここで寝ないんですかぁ~?」
「寝るわけないだろう、あと先生でもない」
「そーんなぁ~!」
ナーコが魔王の肩に縋りながら落ち込んでいる。
「あとタロット、お前はそこまで興味のない話だ。気を使わず寝ていいからな、ここ数日働きすぎだ、どう考えてもお前は疲れている」
「いやいやぁ、アタシはソロモン様と一緒に過ごせる事がご褒美ッス~!」
それを聞いた魔王は溜息をつき、真横のナーコを見て言う。
「おいヘタクソ、喋りづらいからハルタローの横に行け」
「はぁ~い……」
渋々と、俺の横にもう一脚椅子を持ってきて座った。
その隙を見逃さず、タロットが魔王の肩にピッタリとくっつく。
魔王はいつものように鬱陶しがるかと思ったが、今日は多目にみているようだ。
ナーコを退かせたのは、タロットの為に横の席を空けたようにも見えた。
「たぶん色々聞きたい事も多いだろう、ダラダラ話そう、一気に話さなくても、明日に持ち越したっていい」
「あ、あぁ……たぶんまた聞きたいことも増えると思う」
「私もそうなると思います」
魔王はそれを聞くと酒に口をつけながら口を開いた。
「先に俺とアヤネの事を少し話しておくが、両親は同じ、歳は四つ離れた実の兄妹だ」
「よ、四つ!?」
俺とナーコは衝撃すぎて言葉を失った。
少なくとも十五歳以上は離れて見える。
「アヤネは六歳の頃にこっちに来てな、俺は三十歳でこっちに来たんだ」
「それって……時系列とか生い立ちとか、詳しく聞いてもいいんですか……?」
「別に隠してないが長くなるからな、今度ベリトあたりにでも聞いておけ。アイツなら余計な気遣いせず教えてくれるだろうよ」
魔王はそう言って、肩でウトウトしているタロットを見た。
俺もその顔を見て頬が緩む。
「そうだな……たしかにこっちは気を使いそうだ」
「なんスかぁ~……?」
——本当に疲れてたんだな。フルカス戦の前で寝たと言ってもほんの十分程度だ。
つぎに魔王が尋ねてきた。
「お前たちは養護施設と言っていたな、どこの養護施設だ?」
「富山だよ、富山チューリップ児園ってとこがあってさ」
「そうか、そこにサワタニエリコがいたのか」
この魔王の言葉で俺達は言葉を失った。
酒を口に運ぶのも忘れ、手が止まって口を開けたまま魔王を見て、俺は言葉を振り絞った。
「は……? なんで今……エリコ先生の名前が出てくるんだ……?」
「私たちがこっちに来た日の話を……聞いたとかですか……?」
——『シクラメン』の一員と言われていた、北の詰所の衛兵には確かに話した。拷問でその情報を聞いたって事か? だとしたら俺たちまで疑われて……。
「き、聞いてくれ……! 隠してたわけじゃない……! 必要な情報と思ってなかっただけで……」
それを聞いて、魔王は安心させるように手をダラッと肘おきから外に出して口を開く。
「わかっている大丈夫だ。それで、こっちに来てからは、サワタニエリコを見てないんだな?」
「み……見てない……! 森には俺とナーコ二人だった……!」
「私もです! 一切隠し事はしてません!」
魔王は焦る俺達を見ると、干し肉を齧りながら言う。
「俺もアヤネも養護施設に預けられていた事があってな、そこにもいたんだよ。サワタニエリコが」
「な……!? 待ってくれ……!! 王様たちも俺達と同じ施設だったのか!?」
「まぁ聞け、俺は一度ハルタロウのスマホで写真を覗いた事があったろう」
「あぁ……コリステン邸の話だよな……たしかその写真にもエリコ先生が……」
「あれは俺の知っているサワタニエリコと同一人物だった」
「こ、この世界に関わってるのか……? エリコ先生が……」
「俺は無関係ではないと思っている、お前たちに関わっていた事もそうだが……」
魔王はそう言うと酒をテーブルに置き、少し険しい顔つきになってこう続けた。
「俺たちの養護施設は、東京にある『シクラメン児院』だ」
「『シクラメン』って……ニール達の組織か……!!」
「ここまで大事にした理由がわかってきただろう、きっとあの女が関わっているんだよめんどくさい」
魔王はそう言うと、肩でスヤスヤ眠るタロットを抱きかかえて布団まで運んでいく。
それを眺めながら、俺は魔王に尋ねた。
「エリコ先生がこの世界を作ったってことか……?」
「それは無いな。あんな面白みの無い女が、こんなに面白そうな世界を作れるとは到底思えない」
「け、結構嫌いなんですね……エリコ先生のこと……」
そして魔王はタロットに布団をかけると、思い出したように言った。
「さて、タロットも寝たことだしそろそろ行くか」
「は……? 行くってどこに……?」
「ニール・ラフェットが言っていただろう。『シクラメン』の根城だよ」
耳を疑った。
ナーコもそうなのだろう。
「タ、タロットちゃんと行くんじゃ!?」
「コイツと一緒だと話し合いが出来ないだろう、丸ごと壊滅させてしまう」
「い、いやでも危険って言ってたぜ……? なんか最上位魔術師もいるとか……」
「別に戦いに行くわけじゃない、話をしに行くだけだからいいんだよ。お前らも来い、タロットの元に居続けるなら研修が必要だろう」
魔王がそう言うと、客間の扉の方に黒い粒子が集まっていく。
その粒子は数と密度が増していき、高さ二メートルほどの大きさとなった。
まるでゲームでよく見る転移門のように粒子が渦巻いている。
「わ、私は行きます!!」
ナーコが立ち上がって浴衣姿のまま歩きだす。
「ハルタロウ、お前はどうするんだ?」
「あーもう……! 行くよ! 行けばいいんだろ!」
ヤケクソのように俺もそう言って、酒をグイッと一気に飲んで立ち上がった。
魔王は一瞬でいつもの白衣に戻り、転移門に入る。
それにナーコ、俺と続いた。
「怖すぎるだろこんなの……」
愚痴を溢しながら転移門をくぐり、一歩踏み出すと目の前には崩れかけた教会が建っていた。
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