29.0 『離脱症状』
「何度も言うけどパン揚げただけッスからね……?」
タロットはニールの膝の上に座り、呆れ顔をこちらに向けてきた。
「いやそれでもいいんだ、そしてこの家には砂糖がある。ならもう他に何もいらないんだよ」
したり顔を二人に向けて、揚げパンの食べ方を講釈してやった。
そして、なぜもっと早く気づかなかった。
――この家でも作れたじゃないか……ナーコに作ってもらうなんて容易かった筈なのに何故……!!
膝の上のタロットにくすぐられながら、ニールも口を開く。
「この街にもあるのは知りませんでした、皇国ではよく食べていたので楽しみです」
「路地にあるから知ってる人少ないのかもッスね~、うりゃうりゃ」
「ちょっと……はは、やめてくださいよ」
「おい、あんまニールいじめんなよ~」
そう言ってニールをイジるタロットにツッコミを入れた。
自分勝手な話だが、今朝からタロットとニールにモヤモヤしている自分が居た。
昨日までより明らかに距離が近く、そしてスキンシップが多い。
手首の治癒で仲良くなったのは間違いないが、その原因が自分にあることで、一層のモヤモヤが積もっていた。
「俺ちょっと木人叩いてくるよー!」
――『いいッスね~! アタシも行くッス~!』
たぶんこんな言葉を期待して言ったんだと思う。
「あんまムリしないようにするッスよ~! うりゃあ!」
俺をそう見送ったタロットは、ニールの脇腹を突いていた。
◇ ◆ ◇
庭に出て、タロットに貰った焼灼刀を片手で握ると、少し落ち着く。
他の剣よりも軽くて段違いに振りやすい。
左手でガードしつつ、右手だけで剣が扱える。
モヤモヤを払拭するように、俺は木人を左腕で押しやり、右手の刀で斬りつけた。
もし敵が出てきたとしたら、一番慣れている戦法で戦う方がいいだろう。
俺は無理して攻撃しない、あくまでタンク役。
トドメはナーコかタロットに任せるべき。
とにかく三人に敵を近づけさせない事が最優先だ。
あの日に見た『金色の蛇』を頭に思い浮かべる。
その軌跡と木人の間に入るように動いた。
決して蛇の攻撃を邪魔しないよう、その上で敵の攻撃を受け止められる位置を思い浮かべ、左腕を押しやり、刀を振った。
最小限の動きで、邪魔にならない位置取りをイメージして、繰り返し刀を振った。
上手に動ければ、後ろから精神安定剤に声をかけてもらえる気がして、何度も何度も刀で木人を斬りつけた。
時間も忘れて、雑念を振り払うように刀を振った。
すると後ろから声をかけられたが、それは欲しかった声ではなかった。
「あれぇ? ハルタぁ、がんばってますね~」
振り向くと幼馴染がしゃがんでこちらを見ていた。
後ろめたい気持ちが顔に出ないように笑顔を作った。
「あぁ、明日だし多少は動けるように……ってナーコ!? なにそれ!?」
ナーコの横には紙袋いっぱいに、三十個程の揚げパンが詰め込まれていた。
「あっはは……」
苦笑いしながら頭をポリポリとかいているが、どう考えても四人で食べ切れる量に見えなかった。
「いやいやいやいや、嬉しいけど絶対食べきれないぞこれ……!!」
そう言うとナーコが弁明のように手を顔の横で振りながら言う。
「と、とりあえずみんなのトコ行こ!!」
そう言って山盛りの揚げパンを抱えて屋敷に戻った。
俺は正座部屋の扉を開けながら呆れた口調で言う。
「ちょっと聞いてくれよ、ナーコがさぁ……」
「カ、カナコさんに何かあったんですかッ!?」
タロットを膝に乗せながら、ニールが身を乗り出して声をあげた。
その勢いに呆然とした表情を送っていると、後ろからナーコが大量の揚げパンを抱えて入ってきた。
「あっはは……こんな事になっちゃった~……」
ナーコがドサっと紙袋を置くと、タロットも声をあげる。
「ちょ、ちょーっとナコちゃん! なにしてんスか! 食べきれないッスよぉ! もぉ!」
「ち、違うんだよ~……? 揚げパン屋さんも『ボワッと』観ててくれたみたいでね……なんかこんなに貰っちゃったっていうかぁ?」
テーブルにその紙袋を置くと、目線を逸らして舌を出した。
――なるほどそういう事情だったか。
「それにしても多すぎッスよぉ! どーすんスかこれぇ……」
それは俺も思っていたので一つ提案をする。
「もうこれさぁ、ガンドさんに期待するしかなくね? アイゼイヤさんは食も細そうだしさぁ」
「おぉ~! それいいッスねぇ! あのでっかいカラダにぶちこんでやりまっしょー♪」
タロットはそう言ってニールの腹をグイッと押し込んでいた。
「そ、そうですね……でもカナコさんがご無事で良かった、少し遅かったので心配していました」
そう言われて気づくと日を跨ぐ時間になっていた。
それを受けてナーコが申し訳なさそうに笑いながら、布袋をテーブルに出してきた。
「あっはは……ごめんねぇ、実はおひねりも結構貰っちゃって……」
中には沢山の銅貨と銀貨がジャラジャラと入っている。
タロットは目を輝かせてそれを手に取った。
「ななな、ナコちゃんすっごいじゃないッスかぁ~!!」
「いやこれマジですごいな!! 便槽の汲み取り何回分だよこれ」
例えがそれしか出てこない自分が情けない。
それをどうしたらいいかわからず、オドオドとしているナーコを気遣い、タロットがニッコリと笑顔で言う。
「これは戻ったらナコちゃんが使っていいッス、だから絶対一緒に帰るッスよ~」
それを聞くと嬉しそうにネックレスを握りながら「うん!!」と答えていた。
「じゃあ私はもう休むね~、ハルタはぁ?」
「あぁ、俺も休む、明日早いらしいからな」
「おっやすみッス~♪」
ナーコと揚げパンを頬張りながら部屋を出た。
もしかしたらナーコも何かに配慮して、部屋を出るよう促したのかもしれない。
タロットとニールに見送られながら二人で部屋を出た。
◇ ◆ ◇
部屋についてベッドに潜った。
少しすると二人の足音が聞こえてきた。
そしてそれは隣の男の部屋の前で止まった。
扉が閉まると同時に声が聞こえてくる。
きっと俺に気を使ってくれているんだろう。
出来るだけ聞こえないよう、タロットとニールが囁くように仲良く話している。
明日のルートの話、治癒魔術の話、ニールの依頼の話。
きっとそういう類の内容だと、自分に言い聞かせた。
会話が終わればすぐに出ていく、それまで我慢すればいい、そうすれば俺はすぐに眠れる。
それでも眠れなければ庭に出よう。
きっとタロットが、俺の金貨をせびろうと待ち構えている筈だ。
二人の声はすぐに聞こえなくなった。
部屋が静まり返り、ようやく安心できた。
これですぐに扉が開いてタロットは出ていくさ。
そう思った直後。
『ギシッ 』とベッドの軋む音が聞こえた。
その軋音は、男の息遣いと共にゆっくりと大きくなっていく。
耳を塞いでも壁を通じて響いてきた。
一気に俺の体温が下がった。
信じたくなかった。
あの飄々とした少女が男を受け入れている事を考えたくなかった。
俺は吐き気を催し、すぐに部屋を出た。
廊下を走り、階段を駆け下り、精神安定剤を求めて庭に向かった。
きっと何かの間違いで、すべては俺の幻聴で、少女はニッコニコの笑顔で待っててくれるのだと、そう願って庭に飛び出した。
でも、そんな願いは叶わなかった。
庭には木人と数本の剣が転がっているだけだ。
そしてゆっくりと振り返った。
みんなで衣食を共にした見慣れたお屋敷。
そしてゆっくりと目線を上に移した。
ニールの部屋の窓には、明かりが灯っていなかった。
それを見て、すぐに胃液が逆流してくるのを感じ、側溝に胃の中の物を全て吐き出した。
鼻の奥に酸っぱい匂いが突き刺さり、手足が震えて目が眩んだ。
他の男に精神安定剤を取り上げられた苦しみは、想像以上に耐え難いものだった。
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!
剣を握り木人を斬りつけた。
自分の役目も忘れ、両手で力いっぱい握って叩きつけた。
ドス黒い感情を吐き出すように、声を上げて剣を振った。
同じ場所を何度も何度も打ち付ける。
そして気づいた頃には、空は青みがかっていた。
剣を地面に落とすと、息を切らして、俺は声を殺して泣いた。
依存先を失った離脱症状は、想像を絶していた。
俺は毎晩この苦しみを味わうのだろうか。
部屋に戻るとあの音と振動は止んでいたが、隣の部屋で二人がどうなっているのか考えてしまい、眠る事なんて出来なかった。
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