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28.0 『揚げパン』


「おっはよーございまーッスぅ!」


 翌朝、いつものように正座部屋に行くとタロットの大きな挨拶が響いた。

 椅子に座りながら、タロットがニールの膝の上に脚を投げ出している。

 ナーコはまだ起きて来ていないようだ。

 完治していることがわかりやすいように、左手をあげて挨拶してくる辺りタロットらしい。


「もう大丈夫みたいで良かったよ、すぐ治ったのか?」


 そう聞きながらタロットの向かいに座り、机の真ん中に置いてあったパンをちぎって口に運んだ。

 ニールはコーヒーをすすりながら少し苦笑いをして答える。

 

「えぇ、あの後、若干手間取りましたがどうにか……」


「え、思ったより傷……深かったりしたのか……?」


 少し不安をよぎったが、すぐに杞憂に終わった。


「いえ……あの後すぐにタロットさんが寝てしまって……腕をブンブン振るものですから本当に大変で……」


 タロットの手首を必死に追いかけて治癒をするニールの姿が目に浮かぶ。


「あっは~、朝起きたらニールくんが床に転がっててビックリしたッスよ~」


 悪びれずにタロットは投げ出した足先で、苦笑いを浮かべるニールの腹をぐりぐりと押し込み遊んでいる。


「転がってたというより……ベッドを取られたので床で寝たという表現をして頂きたいのですが……」

 

 なんとなく二人の距離が近づいたように見えるのはそういうわけか。


 そんな事を思っていると扉が開いて、目を擦るナーコがヨタヨタと入ってきた。


「おはよ~、タロットちゃんもう痛くない~?」


 そう言いながらナーコが座ると、タロットはナーコをじっとり睨んだ。


「言っとくッスけど、お前のビンタのが痛かったッスからね?」


「あは……あはは……今日のパンも絶品だね~……あはは……」


 目を逸らしながらパンを手にとり口に運んでいた。


 最近、タロットの距離感が少しずつ分かってきた。

 俺やニールとも仲良くはなったが、基本的な気遣いは崩さない。

 でもタロットは、ナーコに対してだけは素で接しているように見えていた。

 それを眺めるのが俺の至福の時間になっている。



――風呂とか最高なんだろうな。



 そしてタロットは立ち上がって、テーブルに手をついた。


「そんな事より明日ッスよ明日! どうします!? オヤツなに持って行きます!?」


 目をランランと輝かせて、俺たち三人を見回していた。


 少し呆れた俺は、身を乗り出すタロットのおでこを小突いてやった。


「なんでそんな遠足気分なんだよ、お前を見てると普通に帰ってこれるような錯覚に陥るんだよな」


「それわかる! 帰ったあとの予定とかも決めちゃうんだよ?」


 ナーコもそれには気づいていたようだ。

 仕事は保険をかけているが、『帰ったらコレしろアレしろ』と平気で言われるのだ。


「だーって、そっちのが楽しいじゃないッスかぁ!」


 そんな話を聞いていたニールが口を開く。


「そ、それよりも移動方法など知りたいのですが、時間の予定なども……」



――ほんとだよ! もっと言ってやれニール!



 「なるほどね」と言うように、手をポンと叩きタロットが人差し指を立てる。


「早朝からお城の馬車で北の砂漠に向かうッス! キシュって町で休憩、そこからはラクダ車に乗り継いで、砂漠を少し西に進むとあるッスよ? 夕方には着くと思うッス!」


 そこまで聞くとナーコはテーブルに身を乗り出す。


「『マナの壺』と『不可逆の扉』だよね!!」


 目を輝かせながらそう言った。

 この単語がカッコよくてワクワクしていたんだろう。


「そ、そうッスけどぉ……なーんでそんな興奮してんスか……?」


「だってカッコいいんだもん!!」


 ナーコは詰め寄るように、更に前にのめってそう言った。



――ほらね?



「まぁ朝は騎士長のガンドさんと、アイゼイヤ大使がお迎えに来てくれるッス!」


「アイゼイヤ大使も来るのですか!?」


 ニールが少し驚いたようにタロットを向いた。


「そりゃ処遇としては処刑みたいなもんッスからね~、イ・ブラファ皇国側も見届人が必要なんスよ~」


「そ、それもそうですね、なるほど」


 ニールもそれには納得したようだ。

 そして少しタロットが気になる事を言った。


「でもなーんか違和感あるんスよね~……見届人なんか下の人に任せりゃいいのに、アイゼイヤ大使が自ら志願したらしいんスよ~」


 席に座って頬杖をついたタロットは、窓から城の方角を訝しげな表情で見やった。

 その言葉に三人の表情が少し強張る。


 俺もちぎったパンを口に運ぶのも忘れ、自分を安心させるように言葉にした。


「おいおい怖いこと言うなよ……城では良い人そうに見えたぞ……?」 


 そしてタロットは俺たちを安心させるように、ニコッと笑いこっちを向いた。


「まぁまぁ、そんなイレギュラーはそうそう起こらないからだいじょぶッスよ~!」


 そう言って、また脚を投げ出しニールの膝に乗せ、グイーっと伸びをした。



――お前そういうのをさぁ……



「タロットちゃん……そういうのを『フラグ』って言うんだよ……?」


 盛大にフラグをたてたタロットは、三人の不安な表情を取り切れなかった。

 空気を変えるようにコーヒーをすすりながらニールが口を開いた。


「荷物などはどうしたらいいでしょうか? 結構大荷物なのですが」


「あぁ~、必要ない分は置いてっていいッスよ? みんなが死んだら父様が勝手に捨ててくれるから安心してほしいッス」


「ケロッとした顔で縁起でもない事言わないでくんない!?」


 俺もニールも苦笑いをしながらそんなタロットを見ていた。


「ま、まぁでも……最悪の場合は転移石がありますからね……」


 ニールのその言葉に、俺もナーコのネックレスに目をやった。


 するとナーコは苦笑いで返してきた。


「あはは、そうだね~……」


 そう言ってトップにある真っ赤な宝石をギュッと握っていた。



――おいおい『大切だから使いたくない』とか言い出さないだろうな……



 三人に一抹の不安を残しつつも、その日は和やかな時間が過ごせた。

 ご飯食べて雑談してお風呂入って雑談して。

 なんとなく、最後かもしれないと皆心のどこかで思っていたのだろう。

 

 そして夜、ナーコが『ボワッと』に出かける直前、タロットから衝撃の言葉が飛び出した。


「あ、そーだナコちゃん! 帰りに揚げパン買ってきてほしいッス~!」


 俺もナーコもその言葉を聞いて、同時に身を乗り出した。


「「揚げパンがあるの!?!?」」


 養護施設の配膳でも学校の給食でも、大好きだった揚げパンがこの世界にもあるのか、と胸が躍った。

 ナーコも恐らくそうだろう、いつも以上に目がキラキラとしている。


「あ、あるッスけど……な、なんスかぁ……? パン揚げただけッスよぉ……?」


「タロットちゃん! どこに売ってるの!? 私も食べたい!!」


「いくらだ!? ナーコ!! 俺にも頼む!! 明日のオヤツはそれに決まりだ!!」


 もし最後の食事になるなら、揚げパンは申し分ない。

 これ以上ないと言ってもいい、最適解だ。


「ネロズに襲われたトコの路地ッスぅ……ちょっと食いつき凄くて二人ともキモいッスよぉ……?」 


 そんな中傷なんて気にならないほど、一気にテンションが上がった。


「実は僕もそれは大好物です! ぜひ僕にもお願いします!!」


 ニールまでもが興奮してナーコに銅貨を託している。


「私に任せて!! 全員分!! 明日の分も余分に買ってくる!!」


 そう言うと、ナーコは鼻息粗く出かけていった。



――なんでもっと早く教えてくれなかったんだよタロットーーーッッ!



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