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27.0 『肛門鏡』


 ナーコがノックをして声をかけた。


「タロットちゃーん、大丈夫~?」


「はい、鍵は開いているのでどうぞ」


 すぐにニールの優しい声が響き扉を開けた。

 ベッドにタロットが座り、その前ではニールが床に膝をついてタロットの手を握っていた。


 タロットの横には救急箱のような木箱が口を開け、中には医療器具などが見える。


「お疲れッスぅ~! 全然だいじょぶだからマジで心配いらないッスよ?」


 強がりには見えないが、気遣いなタロットの事だから信用ならない。

 この子は自分の弱みを、俺たちに絶対に見せない確信があった。


「本当に大丈夫そうです、麻酔も効いているので痛みも無い筈。このまま小一時間も続ければ全快すると思います」


 ニールのその言葉に、俺は安心して腰を落とした。


「良かった……お前が言うなら信用できるよ……」


 その言葉に頬を膨らませたタロットは、俺に突っかかってくるのだ。


「ちょーっと! それどういう意味ッスかぁ!」


「あはは、タロットちゃん絶対強がるもんね~こういうの、わかるわかる~」


 ナーコも笑いながら、足元でへたり込んでる俺の頭を、ぐりぐりと撫でた。


「アタシは嘘つかないッスよぉ! もぉ!」


「タロットさん、あまり動かないで」


 タロットが手を振り回すと、ニールからお叱りが飛んだ。


「は~い……」


 タロットは不貞腐れ、片手でニールの医療箱をゴソゴソ漁り、器具を取り出しては物珍しそうに眺めて遊んでいる。

 俺はその光景で気が楽になった。


「いいのかニール、オモチャにされるぞ絶対」


「ハハッ、大丈夫ですよ。当分使わないものばかりですし」


 ニールも苦笑いが見えたが、ギャーギャーと喚かれるよりこっちの方が楽なんだろう。

 養護施設の頃、幼児の相手をしていたエリコ先生を思い出した。


 ふと、タロットは銀色に輝く半円筒状の器具を取り出した。


「これなんスかぁ?」


 片側の筒は窄まっていて、持ち手が付いている


「あ、あぁ……それですか……えっと……傷の具合を確かめるものといいますか……」


 ニールが少し言葉を濁して目を泳がせた。


「へー、どうやって使うんスかぁ?」


 タロットは窄まった側の筒を、ニールの頬にぐりぐりと押し付けて遊んでいる。


「えっと……名前で察して頂けると助かるのですが……『肛門鏡』という名称でして……」


 俺は、ニールのその言葉で背筋が凍りついた。

 口内に、眼球に、俺の粘膜に刃を突き立てた少女が、今それを手にしているからだ。


 そして俺の思考は加速していく。



――『肛門鏡』、おそらく医療器具としては必需品だろう、腸内の傷を診る目的としても、間違いない形状なんだろうな、それはわかる。それはわかるが! それを持たせてはいけない人物が、今それを手にしているのではないか? 『ハルタローの腸内って傷つくんスかねぇ?』とか思ってないだろうな? いいや流石にないよな。このまま『肛門鏡』を置き、別の器具に興味を示す筈だ。さぁ置け、すぐ置け、今すぐに『肛門鏡』を置くんだタロット!



 そしてその願いは叶わず、少女は手に持った医療器具を、舐めるように見回し、ゆっくり口を開いた。


「へぇ~、『肛門鏡』スかぁ」


 この時の少女のニタついた笑みは生涯忘れられないだろう。

 使用用途を既に見出しているような、そんな禍々しい微笑み。


 さらに俺の思考は加速する。



――まてまてまてまて、確かに腸内は粘膜だ。だが流石にそこまでの研究意欲は無いだろう。俺は既に口内、喉、眼球まで差し出している。もう十分な筈だ。そもそもこんな金髪美少女が、そんな恐ろしい使い道を思いつく筈がない。きっと、「そういう名前なんだ~、へ~、じゃあこれは~?」と無邪気に次の器具を出してくるのだ。そうだ、そうに決まっている。



 そしてその願いはまたも叶わず、器具を握りしめたまま、少女の視線がゆっくりとこちらに向けて動き始めた。


 さらにさらに俺の思考は加速する。



――お前のその目線の先はどこだ? ニールか? いや違う、ニールは逆方向にいる。その先には俺かナーコしかいないぞ? 大丈夫か? こっちを見るな! ナーコを見ろ! もうナーコでいい、ナーコを生贄に捧げる。いや、ひょっとして壁か? 壁にその先端をぐりぐりして遊びたいだけか? 俺の確率は三分の一。壁、ナーコ、俺だ。その目線の先が俺でなければそれでいい。これはギャンブル。三分の一の純情な肛門だ。



 そしてこの願いも叶うことはなかった。


 俺は少女と目があった。

 ニッタリと口元に笑みを浮かべた少女と目があったのだ。


 さらにさらにさらに俺の思考は加速する。



――いや待て落ち着け、まだ慌てる時間じゃない。目があったからなんだというのだ。いつも楽しく目を合わせて話しているじゃないか。むしろ目が合って嬉しいと思う事もあった。大丈夫だ、目があったからといって声をかけなきゃならない理由なんてどこにもない。とにかくお前は口を開くな。黙っていればお前は紛うことなき美少女だ。今だけは口を開くなよ? いいか? 信じているぞタロット!



 この最後の願いも叶うことはなかった。

 少女は口を開いてしまった。



「ねぇハルt……」


「嫌だぞ俺はぜったい!」


 俺は少女の言葉を遮り、自分の尻を押さえた。

 何も言わせてはならなかった。

 俺は決して自分の保身ではなく、こんな美少女に 「『肛門鏡』を使って試したいことがあるから尻を出せ」 などと言わせたくなかっただけだ。


 俺に言葉を遮られた少女は、キョトンとした顔でこっちを見ている。



――キョトンじゃねーよ。



 すぐに頬を膨らませてきた。


「まだなんも言ってないじゃないッスかぁ!」


「言ってんだよもう既に! その器具を持ってニヤついて、俺を見て口を開いたら、それはもう言ってんだよ!」


 それを聞いた少女は突然上目遣いになり、切ない声色でこう言った。


「どうしてもダメなのぉ……?」



――ここぞとばかりにぶりっ子してくるなこのメスガキ……! いや、とはいえようやく終わった。俺は自分を守り切った。このくらいは我慢しろ。



 そこに最悪の追い打ちが来る。

 純真無垢な秘密兵器が首を傾げて牙を剥いた。



「ねぇ、タロットちゃんは何を望んでるの?」



 それを聞いた俺は戦慄し、思考は加速し冴えわたった。



――おい今コイツなんて言った? 『タロットちゃんは何を望んでるの?』と言ったか? そういえば前にも似たような事を言っていたな。『あの子に望みがあるなら叶えてあげたい』確かそう言っていた。いや、いくら望みとは言え『肛門鏡』を使った望みを、こんな純真無垢な女が協力するだろうか? いや、協力するんだろうなぁ……。『タロットちゃんに言われたら迷いなく死ねる』とか言ってたもんなぁ……。はぁ、とてもまずいぞ。タロットだけなら誤魔化せても、この盲信女が付いてくると話は別だ。よし、あの手で行こう。全てを捨てて、自分の尊厳を守ろう。



 そして幼馴染の問いかけに、少女が医療器具を指さして答える。


「望みならハルタローの肛……」


「おいタロット! 金は欲しくないか!?」



――あっぶな! 今こいつ『望みならハルタローの肛門』って言いかけたぞあっぶな!



 と、とりあえず言葉を遮る事には成功した。

 問題は次だ。


 少女は首を傾げた。


「そりゃ欲しいッスけど、くれるんスかぁ?」


「お、俺は『魔王討伐』から帰ったら、この体質を活かして『殴られ屋』をやろうと思っているんだが……」


 それを聞いた少女は、一気に目を輝かせた。


「おぉー! いいッスねぇ! それ絶対儲かるッスよ!」


 よし食いついた。


「その取り分は飼い主であるお前にも渡すべきだと思ってるんだ。その為にはまず、その医療器具をニールに返すんだ。できるかタロット?」


「もっちろんッスよ~♪ いや〜優秀な奴隷を持ってアタシは幸せ者ッスねぇ〜」

 

 そう言うとタロットは『肛門鏡』をニールの小箱に置いた。



--よーーーーーやく終わった。



「あの、それでタロットちゃんの望みって……」


 ナーコに俺は手を突き出して言葉を制止した。


「ナーコ大丈夫だ、その話は今しがた終わったんだ。だから大丈夫だ! なぁタロット!」


 そしてタロットは満足そうな笑みを浮かべるのだ。


「えぇえぇもう! またお金が儲かるッス~♪」


「ふふっ、よかったね~タロットちゃん」


 タロットをニコニコと見守るこの盲信女こそ、最大の敵なのだと確信した瞬間だった。


 ニールは微笑みながら黙っていたが、あの汗の量はしっかり事態を把握していただろう。


 そしてタロットは区切りをつけようと口を開く。


「とりあえず二人は先に休んでていいッスよ~! アタシもニールくんも手首が治ったら寝るッス~!」


「そうですね、まだもう少しかかりそうなので。ハルタくんも気に病まず休んでください」


 タロットの手を握り、眩い光を当て続けるニール。


「あぁ……わかった! そうさせてもらう! ニール、タロットを頼むよ!」


「もしなにかあったらすぐ呼んでね!」


 そう言って俺たちは、二人を残して部屋を出た。


 するとナーコは首を傾げて、再度俺に問いかけるのだ。


「ねぇさっきのって結局なんだったの?」



――世の中には知らなくていい事もあるんだよ……ナーコ……



読んでくれてありがとうございます。

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