26.0 『最後の稽古』
「さーてハルタロー? 最後の稽古、覚悟はいいッスかぁ~?」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる少女を前に、少し脚を震わせながら庭に出た。
「少しは手加減してね? 二人の前でボコボコにされるの嫌だよ? 俺……」
ナーコ、ニール、共に今日は俺たちの稽古の見学。
流石にここで馬乗りにされて、粘膜実験に付き合う事だけはご勘弁願いたい。
「だーいじょぶッスよぉ! ハルタロー怪我しないじゃないッスかぁ!」
「だから怪我の問題じゃねーっつーんだよ!」
いつものようにニールが緑の光でタロットを包む。
「これで何かあっても痛くない筈です、ハルタくんも頑張ってください」
「あーりがとッス~♪」
「あぁ……! 一太刀くらいはいれたいモンだよなぁ!」
ニールの言葉に勇気をもらい、木人の並ぶ庭で、剣をクルクル回す金髪の美少女と向かい合った。
「ハルタロー、目瞑っちゃだめッスよぉ~? ちゃんとアタシの動きを目で追うッス〜」
タロットがそう言った瞬間、その足元の土が埃を巻き上げ一気に突っ込んできた。
「はや……ッ!」
――左手……!! とにかく左手を前に出してカウンター……!!!
「おそいッス~」
それを読んでいたタロットが身をかがめて、剣を平らに持ち、左から俺の喉を斬り払った。
「毎回この身体に頼りっきりってわけにも……ッッ!???」
「いかねーよな!」と、剣が止まった瞬間にカウンターをきめようとしたが、刃先が喉仏を押しやってきた。
支点が首にかかり、脚を投げ出すような体勢で、体全体が後ろに吹きとばされた。
「うわッ……ぶッ…!!! がッ……!! ハァ……ッッッ!!! ぶべッ!!」
視界が回転し、空がどちらかもわからない程に、俺はゴロゴロと庭を転がって、気づくとうつ伏せに倒れていた。
喉に当たった一枚の紙に投げ飛ばされたような感覚だった。
口の中が土でいっぱいになって、手をついて上体を起こす。
「ッべッ!! ペッ……!! ぉえ……!!! ゲッホ……!!!」
ナーコとニールが口をあんぐり開けてこっちを見ている姿が映った。
「おぉ~♪ 刃でもやさしーくすれば押せるッスねぇ~!」
実験に成功した声で喜ぶ少女が飛び跳ねていた。
すぐにニールが俺に駆け寄ってくる。
「ハルタくん! 大丈夫ですか……!!? これで本当に怪我がないんですか!? 間違いなく首元を、一刀両断されたように見えましたが……!!!」
「だいじょ……ゲホッ!! 怪我はない……!!! それよりニール先生、口に入った土を取り除く魔術とか、ないですかねぇ!? げぇっほッ!!! ぉええ……」
そう言って土を必死に吐き出す俺を見たニールは、少し笑みを浮かべた。
「本当にすごいですね……! 土はまぁ……自分でどうにかしてもらうしかないですが……ハハッ……」
本当に首を斬り飛ばされたように見えたのだろう。
俺ですらそう思えるんだからそりゃそうだ。
そしてナーコはタロットの方に駆け寄っていく。
「すごいすごい!! すごいよタロットちゃん!!! すごい!!!!」
タロットにしがみつきながら、俺の心配よりも教祖様の攻撃を大絶賛していた。
――いや気にしてないけどね?
俺は立ち上がるとタロットを見ながら言う。
「タロットこれ……俺の稽古じゃなくて……俺を倒す稽古じゃないだろうな……?」
そうとしか考えられない程、無敵対策が上達していた。
「あっは~♪ 日々研究してるんスよ~! あ、飛ばされたら口閉じないと、土入るッスよ?」
悪びれずにナーコの胸に顔を埋めて、舌を出して笑ってきた。
「それはもっと早く言ってくんねーかなぁ!?」
そんな会話を聞いて、ニールが感嘆の声を漏らす。
「タロットさんの動きも予想以上でした……! 『魔王討伐』もこれなら……なんとかなるかもしれません……!!」
目を輝かせながらタロットを見て、そう言ったニールの言葉は、希望に満ちて聞こえた。
でも、俺はまだ頼られてない。
タロットはいつも頼られて。
ナーコもニールも頼られて。
--俺だって頼られたいだろうが……!!!
そう自分を奮い立たせ、剣をタロットに向けて睨みつけ、叫んだ。
「タロットッッ!! もう一回だッッッ!!」
少しの間があり、呆然とこっちを向いたタロットがニコッと笑った。
「あっは〜♪ いいッスね〜ハルタロー! 成長出来てそうッス〜!」
そう言った瞬間に、今度は俺から走り込んだ。
きっとこいつに一太刀入れるには、カウンターだけを狙っちゃダメだ。
受ける隙、躱す隙、それに攻撃の隙も含めて、全てを見極めないと絶対にムリだ。
そして俺にはそんな事できない。
真っ向勝負なんかしてもダメだ。
「うぉぉぉおおおあああッッッ!!」
声をあげて右上から、タロットの肩に向けて斜めに振り下ろした。
こんなのはどうせ躱される。
コイツは動いてから反応するんじゃ追いつけない。
それなら賭けに出ればいい。
たまたま当たる可能性に賭けるしか手はない。
最初の一太刀は案の定、軽く避けられ、すぐに右に回り込んできたその時。
「おっと……!」
そうタロットが声を漏らした。
タロットは躓きよろけた。
俺は足をかけていた。
左でも、上でも、後ろでも負けていた。
タロットが動く前に脚を出し、右側に避けられる事に全てを賭けていたのだ。
「ここだぁぁあああああッッッ!!」
振り下ろした剣の遠心力を利用して、タロットめがけ、左から右に振り抜いた。
「いいッスねぇ」
そう聞こえた瞬間、振り抜く剣の腹を足場に、タロットはバク宙を決める。
その着地と同時、叫び声を上げた大口めがけて、剣先を突き立てた。
「あ゛ッッッ………ぁがッッッ……!!?」
剣が喉奥まで突き刺さり、嗚咽を漏らして尻もちをつく。
そして、よだれを垂らして震える俺を見ながら、タロットはニッコリ笑って言った。
「ハルタローの勝ちッス〜♪」
タロットが左手を見せてきた、その手首には少しだけ内出血ができている。
そして剣を口から引き抜いて、満足そうに笑った。
それを見た俺は必死に立ち上がり、むせ返りながら手首の内出血を見やる
「ゲホッ……ォェ……ハァッ……おま……大丈夫なのかそれ……ゲホッ……!」
「だーいじょぶッスよ~! ハルタローやるッスね~」
笑顔のままそう言うが、すぐにそのか細い手首が、太く太く腫れあがり、赤黒く変色していく事に気づく。
「タロッ………!!! ニ、ニール!!! タロットの、手首が………!! すぐ……!! すぐ治癒して……!!!」
呆気にとられていたニールはハッと気づくとすぐに駆け寄ってきた。
「は、はい!!! すぐに!!!!」
そしてすぐ、タロットの手首に緑の優しい光を当てる。
「痛ったた〜……ハルタローやるッスねぇ、合格ッス〜♪」
ニコニコのタロットは俺を撫でてくれたが、そんなの今は喜べない。
俺は悲痛な表情を浮かべていたのだろう。
足がすくんで腰をつきそうになりながら声をかける。
「い、痛い!? 麻酔……効いてたんじゃないのか……!? ニール……!!」
「効いている筈ですが……!! わかりません……!!」
「あ、あーちがうッスよ〜、反射的に言っちゃっただけッス♪ 痛くない痛くない、勘違いさせてごめんッス〜!」
ヘラヘラと戯けるタロットは本当に痛くないのか?
ニールの光が当たっても、腫れが引かないどころか、むしろ広がっていく。
すぐにニールも慌てて口を開く。
「絶対になんとかします! タロットさんはすぐに僕の部屋へ!」
それを聞くと一気に緊張が解けて、その場に崩れ落ちた。
脚の震えの理由が、怪我への罪悪感か、一太刀の武者震いかはわからなかった。
屋敷に向けて歩く途中、タロットは振り返り、笑顔で呼びかけた。
「ハルタローはマジで成長してるッス〜! こんなの気に病んじゃダメッスよ? アタシに一太刀入れた事を誇ってほしいッス〜! ナコちゃーん、ハルタローを褒めたげてほしいッス~!」
俺もその声に応えるように叫んだ。
「あ、ありがとう、わかった! ニール! 一生の頼みだ!! 絶対に完治させてくれ!!!」
「必ず治します! 僕も気に病む必要はないと思います。ハルタくんたちは落ち着いてから来てください」
ニールの自信に満ちた言葉に、少しだけ安心できた。
俺はまだ手が震えている。
あのタロットに一太刀。
搦手とはいえ、あのタロットに一太刀入れた。
震える手をギュッと握ってタロットたちを見送ると、後ろから突き刺さるような視線に気づいた。
そしてすぐに恐怖が襲ってくる。
憎悪の感情が俺に集中している。
全身の毛穴が開く。
背筋が凍り、身震いした。
脂汗が垂れて、鼓動が速くなる。
今すぐここから逃げろと身体が警鐘を鳴らしている。
--なんだ……なんだなんだなんだよこれ……
恐怖が全身を包み、息が上がり、奥歯がガチガチと震えだす。
そして。
「ハルタぁ」
その憎しみのこもった声に戦慄してすぐに振り返ったが……それは杞憂に終わった。
目をキラッキラ輝かせたナーコが、俺に向かってズイズイと乗り出してきた。
「ハルタぁ、すっごかったよ? あの動きについていけるなんてすごい、ハルタがいれば明後日も余裕だよきっと!」
さっきの視線は消え、いつもの可愛い声でナーコが褒めてくれた。
「あ、あぁ……いや……でも怪我はやっぱ……」
嬉しいし、自信にもつながったが、あの赤黒い腫れを見ると、どうしても手放しには喜べない。
ナーコはそんな俺を見ると、人差し指を俺の頬に突き刺し言った。
「ダメです! ハルタは誇るべきなのです! あのタロットちゃんにあそこまで言わせたんだよ?」
「あぁ、ありがとう、俺も少しは自信ついたけどさ……」
「すごいよハルタぁ、幼馴染のお墨付きです!」
俺の言葉をすぐに遮り、そう言って優しく撫でてくれた。
「ありがとう……お前に褒められて気が楽になったよ」
「ふっふーん、ナーコちゃんのお薬は強力なのです!」
両手を腰に当て、ドヤ顔で見やってくる。
「はいはいわかったよ、とりあえずタロットん所行こう! もう歩ける」
それを聞いたナーコはニッコリ笑って、ゆっくり前を歩き出した。
--なんだったんださっきの視線……。
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