21.0 『偽王国』
早朝からの作業だったというのに、帰路につく頃には日が落ちかけていた。
集合住宅の便槽の大きさを甘く見ていた。
「つっかれたねハルタぁ…!」
脱衣所を貸してもらい、服だけ着替えさせてもらった。
腕で汗を拭う笑顔のナーコは、タロットに盲信的になっているとは思えないほど爽やかだ。
「いやーほんと、これをサボって朝から酒飲んでたらと思うと……」
「あっはは! そ、そんな事あるわけないよねぇ! あは、あっはは」
目線を送ると、笑いながら逸らしてくる。
「でもまぁ、これは一応タロットにも報告して……」
「あ、ハルタぁ!! 飲み物!! 喉渇いたでしょ!! しょーがないからナーコさんが飲み物奢ってあげますよ〜!!」
ちょっとした脅しをかけたら、思った以上に効果覿面。
俺は労せず、果汁酒を手に入れることに成功したのだ。
「ナーコ、成長した?」
「はい……」
皮肉を言われると肩を縮めて反省していた。
--こうやって見てる分には普通なんだよなぁ、今朝のナーコが冗談と思えるくらいだ……。
そんな事を考えていた時、ナーコは口に運んでいた果汁酒をボトッと落とした。
足元には赤色の果汁が飛び散り、側溝に向けて流れていく。
「おいナーコ、お前何して……んぐッ!」
「シッ……!」
声をかけて、コップを拾おうとすると、ナーコに口を思いっきり押さえつけられた。
ナーコは表情を強張らせ、横にある路地をジッと見つめている。
口を塞いでいる手の震えが伝わってきた。
ナーコの視線の先に目をやるとそこには、刺青まみれのぶっとい腕の男が、小さな子供を抱えていた。
「ネロズ……」
ナーコがそう呟いた。
忘れもしない、タロットを押さえつけ、暴行を加えていたあの凶悪な大男。
俺はあの光景が頭を過り、今もそれを止めるためと叫ぼうとしてしまった。
ナーコはそれを察していたんだろう。
俺の口を懸命に押さえつけ、足を絡めて膝をつかせる。
「ハルタ……ダメ……私が魔術で撃つ……! 私なら手足を撃ち抜いて無力化できる……! いい……? 絶対に声を出さないで……もし見つかったらすぐに逃げるよ……」
そうやってナーコは冷静に小声で告げてくれた。
俺はその言葉を受けて、落ち着きを取り戻し、コクコクと首を縦に振り、ゆっくりと自分の果汁酒を地面に置いた。
俺が頷いたのを確認すると口から手を離し、深呼吸するように集中し始める。
「スーーッ……」
たくさん訓練したのだろう、ほとんど光らず、熱を帯びた風の刃が、小指に嵌めた指輪の先に集まっていく。
耳を澄まさないと聞こえないほどの、モスキート音が響く。
薄い橙色の刃は圧縮され、ビー玉ほどの球体が出来上がる。
それを真っ直ぐに、ネロズの方へ向けて、
「ハァッ……!!!」
声を殺してナーコが力を込めた瞬間。
上下、二筋に分かれた光の矢がネロズに向かう。
そしてネロズの腕と足、両方を貫いたと確信した、が、
「痛ってぇなッッッ!! おい誰だゴラァッッッ!!」
矢の当たった手足は少し焦げただけで、二筋とも辺りに散り散りになった。
「うそ……なん……で…………?」
全力の魔術が効かなかったことに絶望して、ナーコがその場に崩れ落ちた。
ネロズの目線ががこちらに移る。
とにかく考えるのは後でいい。
「もう無理だッッッ!! いいから逃げるぞッッッ!!!」
頭より先に行動する脊髄反射が初めて役に立った。
ナーコの腕を引っ張り、一目散にコリステン邸に向けて駆け出した。
追ってくる気配はない、俺たちは必死に、脇目も振らず、あの太い腕に抱えられた子供も見捨てて、とにかく走った。
--人通りッ……! とにかく人通りの多いところを通って逃げるッ……!!
噴水広場に逃げるか迷ったが、屋敷の方が距離が近い、そしてあの家には最上位魔術師のザルガス侯爵がいる……!!
俺もナーコも体力の限界を超えて、ようやくコリステン邸の敷地に足を踏み入れ、扉を壊す勢いで思いっきり開き、邸内に転がり込んだ。
嗚咽をもらしたように息切れしながら、玄関で倒れ込んでいる所を、タロットが見つけてくれた。
「ちょーっとちょっとちょっとぉ!! なーになになになに、どーしたんスか二人共ぉ!!!」
この飄々とした声に心から安堵すると、息も絶え絶え事情を説明し、ザルガス侯爵も交えて食堂に移った。
あまり俺たちが使わない食堂は、赤い絨毯で覆われて、真っ白なテーブルクロスに燭台、手前に暖炉、優雅で上品な広間だった。
ザルガス侯爵は大まかな事情を聞くと、すぐに詰所に連絡してくれるとのことで、屋敷を後にした。
いつも思うが、この人に毎回お使いをさせていいのだろうか?
とはいえ衛兵からしてみれば、ザルガス侯爵は信頼性が抜群なのは確かだ。
「へーぇ、ネロズが子供を誘拐ッスかぁ……」
「あと……私の全力の魔術が……効かなかった……」
ナーコが落ち込んでいるのはそれだ。
あの日、魔術が暴走して腕を切り飛ばした時よりも、格段に成長している筈であろう魔術で、ネロズに傷一つ付けられなかったことに絶望している。
「あれは間違いなくネロズだった、正直ナーコが諌めてくれなかったら俺が飛び出して、大変な事になってたと思う……」
最近反省したばかりなのに、なんで俺はいつもこうなんだろう。
差し出されたコップの水を一気に飲み干し、ナーコとタロットにおそるおそる視線を向けると。
「でもハルタローいなかったら逃げれなかったみたいじゃん? 今回はいいんじゃないッスか?」
「ハルタ……本っ当にありがとう……!」
二人の言葉には心が救われる思いだった。
あの時、本当はネロズに立ち向かってしまうか悩んだ自分がいた。
そうしていたらきっともう手遅れだ。
これが正解だったと思う事にした。
見捨てた子供だけが唯一の心残りだが。
「それにしても許せませんね、子供を誘拐、先日のタロットさんへの暴行。『偽王国』は他にも、危険薬物まで手を広げていると聞いています」
いつも冷静なニールが苛立ちを含めて、眉間に皺を寄せながらそれを語った。
「へぇ〜薬物ッスかぁ……アタシはそこまで聞かないッスけど〜」
「ネロズ筆頭に、『偽王国』はこのギブリス王国に巣食うゴミです! 駆除すべき害虫だと僕は思っています」
ニールがここまで言うって相当だな。
「えっと……『偽王国』って??」
「あぁ〜、ギブリス王国で悪さしてる裏組織みたいなモンッスよ〜! とはいえアタシとしては、二人の無事が一番嬉しいッス〜」
ナーコの疑問に答えたタロットは、俺たちに水を注ぎ足してニッコリ笑ってくれた。
「それより、腕は切り飛ばされた筈では? 両腕共にあったんですか?」
ニールの言葉にハッとした。
そうだ、アイツはナーコに左腕を切り飛ばされた筈だが、あった気がする、ナーコが狙ったのは左腕だ。
「あったよ、私はその腕と左足を狙って魔術使ったの……でもぜんぜん効かなくて……!」
「チッ……! あの時に再起不能にしておけば良こんな事には……!!」
ニールがここまで憎しみを込めるのも珍しいな。
「ちょーっとニールくん! ナコちゃんを責めないでくださいよぉ!」
「す、すみません。決してそういう意味では……。カナコさん申し訳ありません、貴女とハルタくんの判断は素晴らしかったと思っています」
そう言ってニールは優しく微笑んでナーコの手を握った。
「でもネロズとなんかあったのか? ニールがここまでの反応するって珍しいぞ」
「あぁ……昔『偽王国』にですね……知り合いが酷い目にあわされた事がありまして……」
「なるほどね、俺たちにとってもそれは同じだから、気持ちはわかるよ」
俺もアイツは許せない。
タロットの腹を蹴って、壁に叩きつけていたアイツだけは。
「そうは言っても、毒には毒なんスよねぇ〜……アイツらも治安の維持に一役買ってるってゆーかぁ、他国のシンジケートが入りづらくなってるってゆーかぁ」
「そんな考えではギブリスが、偽王国に毒されてしまうだけですッ!!」
タロットが自分の頬をぷにっと戯けた直後、ニールがそうやって声を荒げた。
俺たちはこんなニールを見るのが意外すぎて唖然としてしまった。
「す、すみません……『偽王国』の事になるとつい……」
「まぁまぁまぁ〜、『魔王討伐』が成ってからでも遅くないッスよぉ! つーかアタシらが関与する余地も無いと思いますし〜」
ニコニコしながらタロットはニールの背中を叩いて、怒りを諌めていた。
確かに魔王がこの国を守ると言えば、これ以上の治安維持は無いだろう。
「ナーコ、さっきの魔術って、前の暴走の時より強かったのか?」
水を口に運び、空のコップを指で傾けながら隣に顔を向けた。
「た、たぶん……あの時の事は覚えてないけど……今のが強いと思う……先生の指導もあったし……」
ナーコが不思議そうに左手の指輪を見ている。
「ハルタロー、新しい指輪買ったげたらどッスかぁ?」
こちらに目線を送ってくるタロットの提案には賛成だ、今なら銀貨1枚分くらいは捻出できる。
「あーそれいいかもな! 俺も今日、果汁酒奢ってもらったし!」
そう言った瞬間、二方向からの視線を感じた。
「はぁ!? アンタら仕事帰りに酒飲んできたんスかぁ!?」
一方のタロットが立ち上がり、身を乗り出して問いただしてくる。
「あれ、なーんで俺、ナーコにお酒奢ってもらったんだっけなぁ〜?」
思い出せない振りをして、もう片方に見やると、今にも殺しかねない目つきでナーコが睨みつけていた。
--こっわ〜! うそだよ? うそだからね?
ナーコはすぐに笑顔に戻って、
「あはは、ありがとー、でも私はこの指輪がいいんだ〜、たぶん他の指輪じゃこんなに上手くいかない気がする」
そう言ってギュッと指輪を握っていた事が、とても嬉しかった。
俺が初めて買ったから、だろうか。
あの白衣の男に言われたから、だろうか。
とにかく前者だと自分を言い聞かせた。
「でもさっきニールくんの言ってた危険薬物ってのは、ちょーっと気になるッスねぇ〜」
「私もッ!! 私もそれは絶対に許せないッ!!」
タロットが頬杖をつきながらニールを見ると、ナーコも立ち上がって続いた。
ナーコの養護施設に入った理由は、母親の薬物乱用だ。
俺としてはこの世界でまで、ナーコをそれに関わらせたくないんだが。
ニールは苛立ちを押し殺すように口を開く。
「偽王国は、腹に薬物を詰めて密輸していると聞いています」
「なにそれ……! ねぇそれ……! この国にもう入ってきてるって事だよ……!」
それを聞いたナーコは瞳を潤ませながら悔しそうな表情を浮かべている。
「まー証拠があるなら取り押さえたいトコッスけど〜……それよりもぉ、ウチらはご飯を食べまっしょー!」
タロットは元気な声を出してナーコをヨシヨシと撫でている。
そういえば俺も腹ペコだ。
ナーコは少し不服そうに席に座っていた。
夕飯のリゾットが運ばれて来たが、食卓の雰囲気は少し重たかった。
元気なそぶりを見せるタロット、若干の苛立ちを見せるニール、トラウマの一つを掘り起こされたナーコ、見捨ててしまった子供が気がかりな俺。
この中の誰かに対して不満がある訳ではないが、空気というのは変えようの無いものだと思った。
そんな時、扉が開いた。
振り向くと、ザルガス侯爵が立っていた。
「あ、父様ぁ〜! どーでしたぁ?」
リゾットを溢さぬように、丁寧に食べていたタロットが大きな口を開けた。
「子供は無事に保護されていたよ。ネロズ手足を引き摺って逃げていったそうだ」
「おぉ〜♪ よかったッス〜!」
「ほ、本当ですか!!」
「よかった! ありがとうございます!」
「あぁ……良かった……!」
ザルガス侯爵の淡々とした言葉に、タロット、ニール、俺、ナーコと一様に感嘆の声をあげた。
ナーコの魔術はしっかり効いてた。
この収穫が大きい。
次になにかあった時に、ナーコの魔術が効かないとなると手の打ちようが無い。
このパーティの最大火力は間違いなくナーコだろうから。
この一旦の解決で、場の空気がようやく和やかになった。
タロットはタイミングを見計らっていたんだろう。
皿を空にして、その上でスプーンを立てるように横着しながら提案してきた。
「そーーだっ!! 明日みんなで山犬退治行こーと思うんスけどぉ、どーッスかぁ?」
「犬退治って……北の森のやつか……?」
完全に俺はトラウマになっている。
ただ、これに慣れない事には『魔王討伐』などと言ってられないのも事実。
おそらくそんな不安な顔をしていたのがバレたんだろう。
「ハルタロー、無理しなくていいッスよ? ナコちゃんいるからこないだみたいにはならないと思うッスけど……」
俺はこの子にその顔をさせたく無いだけなんだ。
「ハルタぁ、私が絶対に血は出させない。約束するよ」
「あぁ、大丈夫、次は大丈夫、ごめん心配かけて……本当に大丈夫だ」
リゾットを平らげ、水を一気に飲み干した。
不安な表情をしないように、心配をかけさせないように、みんなの目をまっすぐに見てそれが言えた。
「ぼ、僕はどうしたらいいでしょう? 敷地から出れるのでしょうか……?」
ニールがスプーンを置いてタロットを伺う。
「さすがに許可証もらうから大丈夫ッスよ〜! アタシの監視付きッスけど〜♪」
「ありがとうございます、であれば僕も是非お供させてください」
ニールが居てくれる事は心強かった。
タロットやナーコに万が一があっても治癒魔術でどうにかしてくれる。
その万が一を起こさせない、役割が明確になると、雑音が無くなったように感じられた。
山犬はナーコとタロットが倒してくれる、大丈夫、大丈夫だ。
「無理って思ったらすぐ言うッスよ〜! ナコちゃんもッス!」
「あぁ! すぐ言う、ありがとう」
「私も! タロットちゃんはやっぱり頼りになるね〜!」
ナーコがタロットにギュウギュウと抱きついている。
--こうして見てる分にはただの百合なんだけどなぁ……
「なーに見てるんスかぁ?」
「い、いや別に何も……!」
抱き合う二人の視線がこちらに突き刺さってきた。
「ごちそーさまでしたっ! さて〜、ちょーっと稽古して、お風呂入りましょー!」
俺もようやく、この屋敷の風呂に入れるのか。
◇ ◆ ◇
稽古の時間が始まった。
俺とタロットは庭で剣の稽古。
ナーコとニールは広間で、ザルガス侯爵とマナの稽古。
ニールはザルガス侯爵の指南と聞いて、目を輝かせていた。
「さって、ハルタローぼっこぼこにするッスよ〜!」
剣を高々と上げて宣言しているのを見て、不安が頭をよぎり、おそるおそる手をあげてこう提言した。
「あのー……粘膜はやめてね……?」
「えー! 眼球もダメッスかぁ?」
「ダメに決まってんだろーが!!!」
目を隠しながら懸命に訴えた。
部屋を出て行くタロットにニールが声を掛ける。
「タロットさん、麻酔しておきましょう。ハルタくんがタロットさんの華奢な体に遠慮してしまっては、稽古にならないかもしれません」
ニールの掌が光はじめると、タロットの頭からつま先までゆっくりその光を当てていく。
あの日も同じ光景を見た。
ナーコが暴走した日に見た光景。
「あっは〜♪ やーっぱすごいッスね〜! 麻酔術! 『魔王討伐』終わったら、これをウチで飼えると思うとゾックゾクするッス〜!」
自分の腕をペチペチと叩いて感覚を確かめているようだ。
「ははっ、お手柔らかにお願いします。とりあえずこれで多少は大丈夫。明日からもお任せを」
「いいッスね〜! 助かるッス〜!」
そう言ってニールは小走りに広間へと戻っていった。
「いや〜、すげーなぁアイツは」
「麻酔術師保有できることなんか滅多にないッス! このまま何もなければボロ儲けッス〜♪」
歯を見せながら笑ってお金を指で作っている。
「なんかそのポーズが一番似合うよお前は」
そう言いながら庭に出るとタロットは、剣をクルクルと回しながらニタリと笑みを浮かべた。
「さって〜、これでハルタローも遠慮なく出来るッスねぇ♪ 負けたら潔く、その眼球を差し出してもらうッスよ〜?」
そしてこの日、俺は仰向けに転がされて、剣の切先を眼球目掛けて突き立てられたのだ。
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