20.0 『仲直り』
「いつまで寝てんスかぁ!! ほらちゃっちゃと……」
「ん?」
早朝、タロットが叩き起こしに来たが、俺は既に身支度を終えていた。
正座部屋でナーコと顔を合わせた。
常にタロットが俺たちの近くにいて、ギャーギャーと喚き散らしているおかげで、気まずい空気は流れなかった。
そして朝食を食べ終えると、すぐに二人揃って屋敷から叩き出されるのだ。
その頃には、気まずかった空気がなくなっていた。
——タロット、やっぱり気遣いの天才だよお前は。
「あはは、なんか今日のタロットちゃんは一段と凄かったねぇ」
「あれは……あいつなりの気遣いなんだよ……きっとさ……」
ゆっくりお互いに、相手のタイミングを探りながら街を歩いた。
「ナーコ……昨日の事なんだけど……」
俺はどうにか言葉を捻り出したが、
「あ、謝らなくて大丈夫! 私はハルタをわかってるって、前にも言った筈だよ?」
歩きながら前屈みになって、俺の顔を覗き込んでくる。
以前、露天市の日にも同じことを言われたっけな。
でも、それでも。
「いやでも……!」
「さてハルタぁ、どこ行こっかぁ?」
突然ナーコが突拍子もないことを言ってきた。
「え? 便槽の汲み取りに行くんじゃないのか? サボったら流石のナーコでも殺されるぞ」
「あのねぇ! こんな明け方から、こんな都合よく、便槽の汲み取り依頼なんてある訳ないでしょ! タロットちゃんの気遣いだよ!」
タロットの癖を彷彿とさせるように、歩きながら人差し指を立てて、タロットの意図を説明してくれた。
「そうなのか……? いやでも一応さぁ……」
「んー、まぁそうだね! じゃあ一応行ってみよっか! そしてジュールを賭けましょう! 朝からお酒を飲むのです!」
「あ、あぁ! そうだな! そうしよう!」
そうだ、一応行って、タロットに責任を押し付けて、酒場で昼からナーコとゆっくり話そう。
これが本当ならアイツの気遣いには、本当に脱帽させられる。
そしてここで「私も聞いてほしい話があって」と前置きするしてナーコが話し始めた。
それは人生で一番と言ってもいい、衝撃の一言が放たれたのだ。
「私はねぇ、タロットちゃんが好きなのだよ」
突然のとんでもないカミングアウトに、俺の頭は大混乱した。
——好き? タロットって女だよな? あれ? ナーコも女だよ? いや待て待て待て……?
「えっと……あの……それってなんていうか、やっぱ百合……」
「百合じゃない」
立ち止まり、俺の言葉をピシャリと遮ったその目はじっとり睨みつけていた。
——どう考えても、今のはそう思われますよ!?
「いや勘違いするだろそれは! 友達としてなら、もっと言い方あるって……」
「ん〜、友達でもないんだよね〜。なんて言うんだろうなぁ〜」
「いや友達でもないって……それ聞いたら泣くぞアイツ……」
流石にタロットが少し可哀想になった。
あんなに甘々に可愛がっているナーコに、友達でもないと言われるのはかなりキツイだろう。
「いや〜、こればっかりはなぁ……友達って喧嘩したりすると思うんだよー、昨日の私とハルタみたいな事もあると思う」
「まぁそれはそうだな、昨日のは俺が百パーセント悪いんだけども」
「あっはは、そんなこと無いんだけどね〜!」
ナーコが俺の頬を指で押し込んでくる。
タロットと余りに同じ仕草で驚いた。
いや、全然悪い気はしないんだけどね?
「それってナーコとタロットは、上辺だけみたいな? なんかそんな感じ?」
そうあって欲しく無かった。
二人は心から仲良しでいて欲しいと思ってしまっていた。
いっそ本当に百合でもいいというか、むしろそれなら感謝したいというか、いっそ拝みたいというか。
「例えばさ、私が『あの水、美味しいよ』って言ったら、ハルタは飲む?」
下水から繋がる側溝、そこに溜まった泥臭い水を指して、ナーコが言った。
「い、いやいやいやいや! 飲む訳ないだろ、なに言ってんだ? 下手したら死ぬぞあんなの」
「だよね〜! でも私はタロットちゃんに言われたら飲むんだよ。そりゃもうゴクゴクいきますとも! だってタロットちゃんが言うなら絶対に美味しいもん!」
両手で器を作り、美味しそうに口に運ぶ仕草をしている。
理解が追いつかない。
可愛い表現とは似つかわしくない、余りにも極端な主従関係。
「は……? お前それ本気で言ってる??」
「言ってる言ってる〜! ね? 友達とも違うでしょー?」
確かに友達とは言い難い、異様な信頼に少し怖くなる。
いや、信頼というか……
「なんかそれ……宗教的っていうか……」
「あーそれだー! いや〜、私ずっと無宗教だったんだけどな〜! この世界で変わってしまいましたかぁ〜」
後頭部に両手を当てて、少し戯けたように話しているがこれは……。
「なんかそれ、ちょっと大丈夫なのか? もしタロットから『死ね』とか言われたら……」
「死ぬよ、私は」
恐れていた答えが即座に返ってきた。
「え……? 本気か……?」
「タロットちゃんに言われたら、私は迷いなく死ねる」
会話が止まり、チリチリと虫の音色が聞こえた。
早朝の誰もいない噴水広場で、真剣な眼差しで、深い黒髪を靡かせながら俺を見てくる。
それが、タロットの輝く金髪とは対照的に映った。
「それ……大丈夫なのか……!? アイツは結構……そういう冗談を言うタイプだぞきっと……」
「さっすがに冗談と本気の区別ぐらい、つきますよー私にも!」
「あぁ、まぁ……それならいいのかな……アイツは死ねとか本気で言ったりしない」
「だからね、今日謝るのは、私の方なんだよハルタ」
「は? いやどう考えても……!」
また少し立ち止まり、俯いて、言いたくない事を言わなきゃいけない子供のように。
「私は血が苦手、大量に浴びたら発狂するかもしんないくらい苦手、これは本当だよ?」
直後、後ろで噴水があがり、少し吐き気を催した。
「あぁ、昨日色々考えて……たぶんそうだろうなっておもった……『一緒なら大丈夫』って言ってくれたのも……」
「きっとそれも、タロットちゃんが気付かせてくれたんだよね?」
あぁ、もう全てお見通しだ。
俺が答えに行き着けるなんて思われていない。
「あぁ、そうだ、情けないけどその通りだ」
「タロットちゃんの言動は、全てに意味があると思うんだよ。私はそんなあの子が大好き。あの子の期待に応えたいし、あの子に望みがあるなら叶えてあげたい」
そう言って、赤い宝石の輝くネックレスを握りしめた。
「あぁ、でもそれでお前が謝る必要なんてないだろ。昨日のはどう考えたって……」
「私はね……タロットちゃんに言われたら、どれだけ苦手な事でも、淡々とこなせる自信があるの……それこそ、『努力を踏み躙って先に進む』かもしれない……だから、昨日私は嘘をついた。ゆっくり一緒に出来ないかもしれない。ごめんなさい」
謝罪の言葉とは似つかわしく無い素振りだった。
ナーコは片足で地面を、ぐりぐりと踏みつけている。
きっとそこで潰されているのは俺だ。
「洗脳では……無いんだよな……?」
「あの子は『成長してほしい』っていつも言ってる。洗脳なんて一番嫌いな行為だよ」
確かにそうだ、俺も何度言われたか分からない。
この言葉で俺は安堵できた。
悪魔的とも言えるこの盲信を、この時はまだ軽く捉えていたんだと思う。
すぐに気づけていれば、少しはナーコの未来も変わったのかもしれない。
「あーもう! それ聞いてとりあえず安心したよ! 大丈夫だナーコ! 勝手に前に進まれても、裏切られたなんて思わないから、安心してくれ!」
「あは、よかった〜! 昨日からこれ謝らなきゃ〜ってね、ずーっと思ってたんだよ〜?」
ナーコもナーコで悩んでくれていた。
タロット教祖様を崇めすぎるのはどうかと思うが、あの子は決して悪人ではない。
ならナーコは道を踏み外さないだろう。
タロットを信じてるのは俺だって同じだ。
——側溝の水は飲まないけどね?
「そんだけ信じてても、早朝の依頼は疑ってんだなぁ」
「いやいやむしろ逆! タロットちゃんの意図を汲み取ったの! 便槽の汲み取りだけに?」
自分の頬に指を押し付け、舌を出してきた。
——なにそれ、ぜんぜん面白くないよ? 可愛いけどね?
◇ ◆ ◇
そして依頼者の集合住宅をノックをすると案の定、
「おい誰だッ! こんな時間にッ!!」
寝間着の管理人が、怒鳴りながら扉を開けてきた。
ナーコはドヤ顔でこちらに目線を送り、少し顔を近づけて囁く。
「こ・れ・が、『意図を汲み取る』という事なのですよ?」
——すげーな、盲信するとここまで意図を汲み取れるのか。便槽の汲み取りだけに。
そしてすぐに管理人が言った。
「あぁそうだった! 汲み取りだったな! すまない忘れてた、今開けるよ!」
この言葉を聞くや否や、すぐに俺から目線を逸らし、脂汗を垂らしていたあの顔は忘れられないね。
一生これで揶揄ってやろうと、心に決めたよ。
「えーっと……ナーコ……さん……?」
「ほ、ほらハルタ……!! 便槽の汲み取り、頑張りますかぁ!!」
——教祖様の意図の汲み取りも頑張ろうね?
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