16.0 『治癒術士の帰還』
かれこれ三十分程度だろうか、俺は正座をさせられていた。
以前、ナーコが正座をさせられていたあの部屋で。
三人で朝食のパンを食しながら発した、俺の言葉が全ての原因だった。
『脚を斬り落とせは無ぇよな、なんも意味ねーじゃん』
それを聞いた二人は唖然とした表情をした後、溜息混じりに俺を責め立てた。
『お前それ本気で言ってんのか』
『流石に意味くらい分かるだろう』
――嘘でしょ? そんなの分かんなくない?
そして飼い主は、俺に正座を命じてすぐに、ニールの預かりに出ていった、というわけだ。
「ハルタぁ……国王様はね……タロットちゃんの脚を斬り落としてでも、『魔王討伐』に行かせたくなかったんだよ?」
椅子に座った幼馴染は、不憫な子供を見るような顔で語りかけてくれる。
「そ……そーだよな……! 実はそうだと思ってたんだよ!! だから正座はそろそろ……」
「飼い主様からのご命令だからダメです!」
幼馴染は悲しいことに、既に飼い慣らされてしまっていたようだ。
姿勢を正し、そっぽ向いて、こちらを見ようともしない。
ようやく元気な足音が近づいてくると、勢いよく扉が開いた。
「ニールくんのご帰還ッス~♪」
「あ、えっと……やっぱり……この部屋ってそういう部屋なんですか?」
久しぶりのニールの第一声はそれだった。
以前正座していたナーコを思い出したのだろう。
この日からここは『正座部屋』と呼ばれるようになった。
「もう正座はいいから作戦会議ッス~! たぶん色々聞きたい事もあると思うッス!」
痺れた脚を引きずり、以前と同じ席に座った。
「いやぁ、お城の牢屋にぶち込まれた時は驚きました」
ニールは不安を口にしながら頭をかいている。
「あはは、私たちもすっごい心配したんだよー!」
「ほんとだよな! でも無事帰ってこれてよかったよ」
「いやコイツらニールくんの存在、忘れてたッスけどね~」
痛い所をつかれて、俺たちは苦笑いしながら視線を逸らした。
「と、とはいえ、本当にありがとうございました。あの場は横で見ていることしか出来ず、面目ありません」
「いやいやイイんスよ~! 余計な事しないのが一番なんスから~! ほんっと……余計なことしないのがねぇ……」
ニールが礼を言っただけなのに、なぜ俺が睨まれなければならないのだろうか……。
ニールには一通り説明をした。
タロットの同行から、ナーコの成長、そして俺の無敵体質。
「なるほど、国王の剣を受けれたのはそういう事でしたか。ですが、すぐタロットさんに蹴り飛ばされてませんでした?」
「そうなんだよ、俺もそれが気になってた! あれどうやったの?」
ニールの言葉に俺も身を乗り出した。
不思議な感覚で、自分でも何が起こったのかわからなかった。
記憶に残っているのは、一瞬だけ見えたタロットの白い下着だけだ。
「押しただけッスよ! 蹴ったんじゃなくって、脚で押したんス。ハルタローは押せるんスよ、粘膜も傷つけなければ押せるッス」
タロットが俺のおでこを押しやってきた。
粘膜と聞くと、あの恐ろしい表情で、剣先を口内に突き立てられた事を思い出しゾッとする。
「そういうことか、だから寸止めされた隙にパンツ……じゃない。す、すぐにふっ飛ばされたのか」
「ハルタぁ、パンツがどうかしたの?」
「まーた正座させられたいんスかぁ?」
二人は訝しげな表情で睨みつけてくる。
俺は身を引いて目線を逸らし、パンをちぎりながら誤魔化した。
--俺がいつパンツなんて言いましたかね?
「『蹴り飛ばす』事は出来ないが、『押し飛ばす』事は出来ると、確かに触れる事は出来ますね」
「俺自身もよくわかんねーんだよな~」
ニールも俺をペタペタ触り、少し押したり叩いたりしている。
男に触られても何も嬉しくないが、ニールとしても興味深い体なのだろう。
「きーっとそのうちわかるッスよー、それより『魔王討伐』の話がしたいッス!」
「それ、一番気になるのは……『魔王を倒さない』って所なんだけど……『魔王討伐』に行くんだよね?」
俺もそれが聞きたかった。
『倒したらヤバい』とタロットは言っていた。
『お願いしに行くだけ』と。
「そうなんですか? 僕も討伐するものとばかり……」
「それねー、ちょーっと複雑なんスけど~、世界全体として『魔王討伐』は悲願ッス! これは間違いないッス!」
「イ・ブラファ皇国にいるときも、そう聞いています」
「でも、魔王を倒しちゃうと、ギブリス王国が中立国じゃいられなくなるって事なんスよ」
「あぁ、そういうことですか!」
「あ、そういうことね〜」
身を乗り出して聞いていた二人は、そこで納得したように身を引いた。
――うん、どういうことね?
「な、なるほどな……そういうことだな……!」
この場の空気に合わせて、必死にわかったふりをしたが、タロットは疑うように、こっちをジッと見てくる。
ナーコまでもが、疑念に満ちた表情をしていて心苦しい。
「わかんなきゃ『わかんない』って言っていいッス! 今のはアタシの説明も不足してたと思うッス」
以前にもタロットから同じ言葉を言われたことがある。
でもあの時はもっと優しくなかった?
タロットはコーヒーに口をつけてから説明を始めた。
「ギブリス王国が『魔王討伐』を悲願としているのは建前。本当は魔王がいなくなったら困るッス! つまり王国の真の願いは、魔王との『和解』ってことッス!」
「……それで?」
「んもぉ! ナコちゃんコイツどーにかしろッス!」
タロットが俺に指をつきつけ、ナーコに迫っている。
「え〜……」と苦笑いを浮かべる幼馴染の表情が俺の心をナイフで抉る。
――今ので説明終わりだったの? マジで?
「あ、あのね……魔王がこの国にいる限りはね、他国は怖がって攻めてこれないの。だからこの国は中立国を認められてるの。ここまではわかる……?」
「わ、わかる! それはわかる!」
物覚えの悪い子供を諭すような幼馴染。
――すんませんッッッ!!!!
「つまりね……実質、この国は魔王に守られてるって事なの。これもわかる……?」
「なるほど……! わ、わかってきた!!」
「でも魔王は、『守る』なんて一言も言ってないの。ただ居座ってるだけなの」
「で、でもそれなら、討伐なんて行ったら魔王の怒りを……」
「だーかーら!! 『魔王討伐』を口実にして、魔王とお友達になりに行くんスよッッ!!!! もぉ!!!!」
「あ、なるほどね!!!! かんっぜんに理解した!!!」
三人が同時に溜息をついた事は一生忘れないだろう。
付き合いの浅いニールまでもが苦笑いしている。
「はぁ……で、最近は『魔王討伐』が『生贄』とまで揶揄されてきて、周りの国々は疑ってるッス! 『ほんとは魔王を倒す気なんてなくね?』って思ってるッス! まぁ事実なんスけど……」
「そこでイ・ブラファ皇国の僕ですか。視察も兼ねられるし、倒せたら手柄も出来て丁度いいと。死んでも所詮は脱走兵だ」
「そッスそッス! そーゆーことッス! 実力も示せたし、王国としても皇国としても異議は出ないッス!」
この会話を聞いてキョロキョロしていると、 「あとで私が説明するからね」 と幼馴染が目配せしてきた。
――よし、誰もいない時にナーコに聞こう。
「ちょっとタロットさんの手腕が凄すぎますね……絶対に敵に回したくないというか……」
ニールは苦笑いしながら、タロットを見ている。
そしてタロットは元気なく宙を見上げて呟いた。
「だからリーベンには申し訳ないことしたッス~……アイツも王国の意図を汲んで、『無し人』投げ入れてただけなんスよね~……こんどお茶菓子でも持ってこ~……」
タロットはリーベンの事を認めている。
あれだけ舌打ちされたり、文句を言われたりしていたのに。
「気になってたんだけどタロットちゃん! 『マナの壺』とか、『不可逆の扉』って?」
確かによくわからない単語がわんさか出てきていた。
でもかっこよくてワクワクしてしまった、おそらくナーコもそうだろう、少し目が輝いて見える。
「えっとー『マナの壺』はでっかい切り株ッス! 昔は世界樹があって、それが世界を守ってたんスけど折れちゃって〜、今はそこからマナがドパドパ出るようになったって言われてるッス!」
「なんか……めちゃくちゃかっこいいね!!」
ナーコが身を乗り出してそれを聞いている。
--わかるぞナーコ。
「で、その近くの神殿に『不可逆の扉』があるッス! 壺が生贄用、扉が勇者用、そんくらいの感覚でいいッス! そこから魔王のとこに行けるッス!」
人差し指を立てて自慢げにしている。
「ウチらは扉から入るって事でいいんだよな」
「大正解ッ! ハルタローもやれば出来るじゃないッスかぁ~!! ヨシヨシ」
「すごいね〜ハルタぁ」
答えが当たると頭を撫でられた。
ナーコが笑顔でパチパチと拍手をしている。
――さすがの俺でも、そのくらいはわかるよ? バカにしてる?
「不可逆というからには戻れないんですよね? 出口などはあるのでしょうか……」
「戻った人がいないってだけッスけどね。でもホントーにやばくなったらぁ、これがあるッス」
ニールの疑念に対し、タロットはペンダントを取り出した。
金色のチェーン、トップには涙型の真っ赤な宝石がキラキラと輝いている。
「それは?」
「転移石っていうんス〜! これにマナを思いっきり込めたら……」
「ウソだッ……! そんなものが実在するなんて……!」
タロットの言葉を遮るようにニールが声を荒げて立ち上がった。
冷静なニールのイメージからは想像も出来ず、俺たちは呆然としてしまった。
それに気づいたニールはすぐに冷静さを取り戻して席につく。
「す、すみません……ですがあまりに現実味がなく……」
そこまで珍しい物、という実感が無かった。
マナのあるこの世界でも、転移は難しいのだろうか。
「嘘じゃないッス、王様にもらったんスよぉ、これにマナを思いっきり込めたらぁ、ウチのお城にワープ出来るッス!」
「あ、あぁ……国王ならば納得できるが……しかしこれを民に渡すなど……」
そうだ、ニールはあの場にいなかった。
国王がタロットに隕石を落としたあの場に。
でも俺たちならわかる。
あの国王ならどれだけ貴重だとしても、こんな物があればタロットに渡すだろう。
「でぇ、これはナコちゃんにつけてて欲しいんスけど〜?」
「え、わ……私? そんな大事な物を……? タロットちゃんが付けたほうが……?」
「だーってだってぇ、アタシやハルタローが付けても意味なくないッスかぁ? ニールくんに持たせる訳にもいかないしぃ」
首を傾げて頬を指で押し込んでいる。
タロットのいつもの癖。
俺とタロットは『無し人』だ、マナが使えない。
ニールは立場上罪人だ、渡せるわけがない。
ナーコ以外の適役はいないだろう。
「確かにそうだ、というかナーコ以外いない。危なくなったらお前が使ってくれ!」
「ナコちゃんが身の危険を感じたらぁ、すーぐこれ使って欲しいッス。お風呂でも外しちゃダメッスよ〜? 大事な大事なお守りッス〜」
タロットは優しい声でそう言いながら、ナーコの首にそれを付けた。
その光景があまりにも絵になって、俺は少し見蕩れてしまった。
「わかったよ〜、ありがとねータロットちゃん」
付けてもらったペンダントを大事そうに眺めてから、タロットを自分の胸に抱きよせた。
「あいっかわらずクッション性の無い胸してるッスね〜」
バチンッッッ!!
◇ ◆ ◇
「つーわけでぇ、ハルタローが攻撃をバシーッと受け止めて、アタシが剣でブシュブシュってして、ナコちゃんが後ろからビュービュー撃って、ニールくんが回復サポートって、感じにしよーと思うんスけど〜、どッスかぁ?」
頬に平手の跡をつけたタロットが、パーティ編成を提案した。
--タンク、アタッカー、後衛、ヒーラーって感じでワクワクするよそういうの……!
「いいと思います、僕は中位魔術までなら、火と水も使えるので、手持ち無沙汰にもならないかと」
「おぉ〜♪ めーっちゃ優秀じゃないッスかぁ〜! そりゃ戦争連れてかれるッスよ〜」
--タロットさん? 戦争の話はデリカシー無いよ?
「戦争は置いといて、ホントにすごいなニール……! ちょっと気後れするレベルだ……」
「いえ、僕は全ての魔術を駆使しても、国王の一撃は受けきれない。すごいというならハルタくんの方が圧倒的です」
「良かったね〜ハルタぁ♪」
腕を叩きながら謙遜するニールに、ニコニコと笑いかけてくれるナーコ。
この優秀な人たちと肩を並べられる日が来るとは思っていなかった。
これは涙が出るほど嬉しかった。
「あとなんか気になる事あるッスかぁ? 一通り話せた気になってんスけど〜〜〜……」
グイ〜っと首を傾げて聞いてくる。
「あの、転移石で少し気になるのですが、お城のどこに飛ばされるんでしょう?」
--そんなんどこでもよくないか?
「確か玉座の上ッスよ? てかそんなんどこでも良くないッスか?」
「あ、いえ……空中だと着地が怖いなと思いまして……」
--なるほど、確かにね
「大丈夫! そうなっても私が風でボワッと、うまく受け止めるからねっ!」
「あっは〜♪ ヘタクソのくせに言いますね〜!」
「ナーコ、間違ってもボワッと炎で包まないでね?」
「あはは、少しだけ火傷しちゃうかも」
フワフワと首にかかったネックレスのトップを浮かせながら、テヘッと舌を出している。
「とりあえず、ハルタローは剣の稽古! ナコちゃんはニールくんとマナの稽古! ちょうどいい討伐依頼あったら拾っとくッス〜♪」
指でお金のマークを作ってニコニコしている。
討伐依頼と聞いて胸が躍った。
念願の討伐依頼、編成を組んでの討伐依頼。
そしてニールが思い立ったように、一つ提言する。
「治癒魔術はカナコさんに教えてもいいのでしょうか? そこまで難しいわけでもないと思いますが……」
「んー、でもケガ人いないと出来なくないッスかぁ?」
「あぁ、それでしたら治癒術師は皆、こういう小さい針を使っていますよ。僕の指で試すのがいいかと」
ニールは小さい安全ピンのような物を取り出した。
「い、いやいやいやっ!! それなら私の指でやるからいいよぉ!!」
他人の指を傷つけることに抵抗を持ったナーコが必死にそれを止めているが。
「いや、それいいッスねぇ!! ナコちゃんを絶対に傷つけないって条件なら許すッス〜♪」
「だからそれは私が嫌なんだって……!」
「飼い主からの命令ッス!」
ピシャリと指を突きつけられると、ナーコは渋々ニールの指で練習をする事を承諾していた。
「カナコさん大丈夫です、僕はこれに慣れています」
ニールは笑顔でそう言うと、自分の指を少し刺し、そこからぷくっと血液が湧いた。
「そんで、今からハルタローには害獣駆除に行ってみてほしいんスけど〜……北の森の山犬、だいじょぶそーッスかぁ?」
「え、いいのか?? 全然大丈夫だ!! たぶんこの体なら大丈夫……!! 服はボロボロになるかもだけど……」
めちゃくちゃ嬉しかった。
体質もあって、恐怖心はかなり薄れている。
というか、あの日のタロットより怖いものなんて無いと思っていた。
「え、私も行くよ?? てゆーかみんなで行ったほうが……」
「なーんで二束三文の依頼料のために、上位術師駆り出す必要があるんスかぁ。それにナコちゃんは夜のお仕事があるッス!」
ナーコの心配を遮り正論が飛んできた。
--あと『夜のお仕事』は語弊があるからやめてね?
「タロットの言うとおりだ、たぶん大丈夫!」
「でもさぁ……あそこはハルタにとってさぁ……」
ナーコが本気で心配した表情をしている。
トラウマと言いたいんだろう。
俺たちはこの世界に来て、すぐにあの森の狼に襲われた。
ナーコの心配もわかる、あの日に俺たちは絶望を味わった。
でも今の俺なら……。
そんな事を考えているとタロットが深い溜息をついた。
「一人で行かせたりしないかは大丈夫、アタシが着いてくッスもん。これでいいッスかぁ?」
「うんッ!! タロットちゃんありがとう!!」
「はいはい、ナコちゃんは心配性ッスね〜」
タロットはナーコにとても甘い。
歳の近い女の子の友達が今まで少なかったんだろうか。
この時はまだ、こんな浅薄な考えを持っていた。
「いやでも、俺はかなり恐怖心も消えてるから一人でも……」
「そーゆー事じゃないんス、一人では行かせられない。行けばわかるッス! ナコちゃんは広場の事務局一人で行けるッスか?」
「行ける行ける! ウチのハルタをお願いします!」
ナーコがぺこりと頭を下げた。
周りに迷惑をかけている自覚がある。
ナーコに心配させて、ニールに配慮させて、タロットに気遣わせて、ここまでしてもらってようやく俺が討伐依頼に行ける。
ナーコが一人で事務局に行く事に、誰も不安を口にしない。
余りにもかけ離れた、俺とナーコの信頼性。
俺はこれを十年間、味わわされてきた。
「ニールくんはお風呂入って、お湯抜いて、隅々まで洗っとくこと! 敷地から勝手に出たら、父様に瞬殺される事も覚えといてほしいッス〜!」
「はは……ザルガス様に殺されるのなら……苦しまずに済みそうですね……」
ニールの苦笑いには、皮肉がたっぷり詰まっていた。
--あれ? でもお風呂抜いたら俺の入るお湯無くない?
「じゃーハルタロー、害獣駆除に行くッスよ〜! ナコちゃんは先に戻ったら、ニールくんとマナの稽古しててほしーッス〜♪」
「わりーなみんな、俺もなるべく早く強くなるよ」
「べっつに強くなんなくてもイイんスけどね〜」
剣を腰に下げると勇ましい気持ちになれた。
これで勇者になれると、この時は本気で思えた。




