8.0 『現代知識』中編
「新規開発に投資などを行っているシェバードだ、まぁよろしく頼むよ」
白衣の男は気だるげな声でそう言った。
気怠げだが、とても低くて落ち着いた声に聞こえた。
「タナカ・ハルタロウです!」
「ヘンミ・カナコです!」
「「よろしくお願いします!!!」」
二人で大きな声でピシッと深々アタマを下げた。
——投資家ッッ!!!! 新規開発の投資家ッッッ!!! きた!! 完ッ全にきた!!!
俺とナーコはお辞儀をしながら、笑顔を見せ合った。
「おいタロット、こんな応対は求めてないぞ」
白衣の男はめんどくさそうにタロットを見やっていた。
「なんか勝手に緊張してんスよ~、私たちの色々が今日決まる~とかなんとか言ってるッス」
「まぁ緊張しなくていい。本当に適当でいいんだ、ダラダラと話そう」
男は無愛想だが、気遣いのある言い回しに聞こえた。
「は、はいぃ……」
二人で頭をあげた。
「ささ~♪ 座って座って~!」
男の左側にタロットが座り、ナーコが男の向かいに座った。
「カナコだったな、左手を見せてくれ」
男の意外な要望に驚いた。
ナーコは言われた通り左手を出すと、男はその手を取って小指に嵌った指輪をジッと見つめた。
「なんか露店で買ったらしッスよ~?」
「な、なんかマナが使いやすくなるって言われた……言われました……」
俺が慣れない敬語で、露店のおばちゃんに言われた事を説明すると。
「ハルタロウ、使いやすい言葉でいい。なんとなーく話して、なんとなーく終わろう。そのくらいで丁度いい」
ソファの肘置きで頬杖をつきながら、子供な俺を気遣った。
『気だるい』という印象が捨てきれないが、とても大人に見えてしまう対応だった。
「あ、あぁ……わかった、ありがとうござ……ありがとう」
「こんな感じの人なんスよ~」
「離せよ暑苦しい」
タロットが男の腕にしがみつき、男はそれを鬱陶しがるような素振りを見せていた。
——確かに仲は良さそうだ
「だがこの指輪にそんな効果は無いな、ただのアクセサリーだ」
と男はナーコの手を離すとそう言った。
——露店のおばちゃーーーーーん!!!
「だが素敵な指輪だ、とてもよく似合っている」
「はい……!」
そう言われたナーコは、嬉しそうに自分の小指を握りしめた。
対応が大人すぎて気後れする。
タロットが信頼するというのもわかる気がした。
「そ……それよりも、信じられないかもしんないけど……俺たちは『異世界』から来て……」
俺たちはとにかく、相手の反応も見ずに説明した。
バッグを開けて、中身を並べ、この男に信じてもらえるよう、理解してもらえるよう、必死に言葉にした。
とにかく信用をさせたかった。
【異世界】から来たという夢物語が、事実なのだという証拠を並べて。
俺もナーコも焦って、興奮して、言葉に詰まりながら、お互いの言葉を補い合いながら説明した。
ここがこの世界の分水嶺だと本気で思っていた。
だが男はあまり真剣に聞いているようには見えなかった。
変な事を言う変なヤツを見る目で、ソファに体重を預けながら退屈そうに聞いていた。
暇つぶしのように杖をぶらつかせながら、ダラダラと聞いていた。
時折聞こえる低い声の相槌が心地よく感じた。
きっと俺たちは同じ事を何度も喋っていたんだろう。
シェバードが見かねて声をかける。
「まぁちょっと待とうか、落ち着いて一つずついこう」
そう言うと、男は足を組んで続ける。
「お前たちが【異世界】から来たと言うのは、なんとなくわかった。その上でいくつか、こちらから質問させてくれ。返事も焦らなくていい、ゆっくりダラダラ進めよう」
——信用された? 信用してもらえた?
こちらとしてはまるで手応えがなかった。
ここまで男から、質問が一切なかったからだ。
興味を持って聞き返す素振りが一度もなかった。
そんな男がようやく口を開いてくれた。
そして背もたれに体を預け、頬杖をついて気だるげに質問を始めた。
「で、お前たちはその世界に帰れるのか?」
「帰れない」
「帰れません」
俺もナーコも同時に答えた。
もっともな問いかけだったが、そもそも帰ろうなんて一度も思ったことがない。
「では次だ、その世界には帰りたいのか?」
「俺は帰りたくない」
「私も嫌です、この世界に居たい」
帰る術があるのかは気になったが、率直な気持ちを伝えた。
俺が答え、すぐにナーコも続けて同じ答えを口にする。
そう答えた俺を見て、タロットが「へ~」と意外そうな顔をしてくる。
「そうか、では次。この世界は好きか?」
即答できなかった。
もしタロットと出会わなければ、今も危機的状況だった筈だ。
少なくとも、好きにはなれなかったと思う。
もしかしたら元の世界のがマシかもしれない。
少しの間を置いてナーコが答える。
「私は……タロットちゃんに会えたから、好きになれました」
それだ、俺の答えも完全にそれだった。
でもここで同じ答えを言ってもいいか悩んだ。
流されやすい男だと思われたくなかった。
気だるげなこの男に、失望されたくなかった。
俺が口を開きつつも声を出せずにいると、男は声をかけてきた。
「ハルタロウ、他人の印象なんてものは極々小さい。時間はある、焦らなくていいから本心を聞きたいんだ」
心を見透かされた気がした。
的確すぎて、心の声が漏れていたのではと錯覚するほどだ。
俺は「気遣ってくれてありがとう」と言ってから続ける。
「俺もナーコと同じだ。タロットと出会えたから、この世界が好きになれたよ」
男は「そうか」と呟き、タロットの頭にポンと手を置いた。
「なんスかぁ?」とタロットがヘラヘラしながら男を見る。
そして男は、そんなタロットに目線も合わせず気だるげにこう言った。
「これ以上ない働きだ」
それにタロットが「へ?」と返してすぐの事だ。
あのタロットが大粒の涙を流した。
俺は驚きすぎて言葉が出なかった。
ナーコも口を開けて、ただ呆然と涙をこぼすタロットを見ている。
出会って間もないが、タロットが泣くなんて想像も出来なかった。
あのネロズに暴行されている時も、常に気丈に振る舞っていたタロット。
怒ることはあっても、感情的になるなんてあり得ないとどこかで思っていた。
そんなタロットが涙を流した。
たった一言、この男に褒められただけで、ポロポロポロポロと涙を零している。
「そんな……もったいない言葉ッス……アタシは……そこまでの事……してな"い"ッス"……」
タロットのそんな姿は気にも止めず、すぐに手を離し、頬杖をついて俺たちに質問を続ける。
「キミたちはタロットの売奴隷だと聞いているが、その認識で間違いないか?」
「あ、あぁ……」
「そうです……」
俺もナーコも、タロットが気になって男の言葉が耳に入ってこない。
——タロットだぞ? あのタロットがたった一言で涙をこぼしているんだぞ?
そして男は、テーブルに広げた俺たちの荷物を指す。
「ではこれはタロットに所有権がある。そうだな?」
「あぁ……もちろんだ……」
ジャイアニズムでタロットに念を押されたのを思い出した。
『お前の物は俺の物』理論。
「そして、俺はこれをタロットから譲ってもらった。つまり今、この所有権は俺にある。ここまではいいか?」
そもそも渡すつもりだった。
タロットが信頼するというこの男に渡して、共に活用方法を見出すつもりだった。
「あ、あぁ……でも使い方を聞かないと渡せない……というか……渡したくない……」
理屈が通ってないのはわかっていたが、そう答えた。
タロットが譲ったのであれば、これらの道具や知識の所有権は、今この男が握っているんだろう。
でも俺たちは使い道を共に探りたかった。
そして悪用だけは……
「悪用させたくないからか?」
「そうだ」
「そうです!」
男の質問には同時に答えた。
ナーコも真っ直ぐに、男を見据えながら答えた。
俺たちはこの気だるい男を信用しかけていた。
タロットが信頼しているからではない。
声、しぐさ、表情。
信用したくなる、そして信用してもらいたくなる。
褒められたいと思わせる雰囲気。
だがその直後、信じられない言葉が俺たちに飛んできた。
受け入れたくない、信用を裏切る言葉が突きつけられたのだ。
「それなら残念だったな、俺はこれを悪用するんだよ」




