x.0 『魔王と少女』
そして魔王が扉を開けると、あのニオイが漂ってきた。
あの家で嫌と言うほど嗅がされた、あのニオイが漂ってきてしまった。
扉の先には、汚物にまみれて蹲る少女が見えた。
物が散乱し、糞尿が飛び散るシーツの上で、恐怖に震えて蹲っている。
その光景を捉えて頭に血が上っていくのがわかった。
あの時の父親と魔王が重なる。
周囲には頼られ、家では殴る、あの父親と重なってしまった。
あの少女はあの時の俺だ。
閉じ込められて、殴られて、弄ばれた俺なんだ。
この男は信じられると思った。
——裏切られた……! また裏切られた……! 『親』にも『仲間』にも裏切られて……ようやく信じられると思えたお前にまで裏切られた……!! こんな少女にまでそれをするのか……!! もういい……!! お前は【魔王】で、俺は【勇者】なんだからもういい!! だったらこの場で倒してしまえばいい!! どうせお前は【魔王】なんだから!!
この怒りは決して、蹲る少女を想っての怒りではなかった。
父親に対する自分の為の怒りだ。
身体中の血液が煮えたぎる、腰の刀に手をかけ、憎しみを込めて魔王を睨みつけた。
「キサマッッッ!!!!」と、そう叫んでやろうと、湧き上がる怒り全てをぶつけてやろうと。
息を吸い込み、喉から大声で叫んでやろうと、口を大きく開けた瞬間。
そこにヌルリと何かが入り込んだ。
喉の奥の更に奥、それは気道を優しく押さえつけてくる。
——息……息息息息息ッ……!
酸素を探すように焦点を合わせると、目の前には女の悪魔がいた。
悪魔の手が俺の顎をこじ開けてくる。
異物を排除するように、悪魔はこちらを凝視してくる。
必死に抵抗を試みても力が入らない。
「………………ッッッ!!!」
声が出ない、息が吐けない、吸い込んだ酸素が行き場をなくして咽せ返る。
胃液が逆流する、嗚咽が漏れて涙が出る、涎が垂れる。
顎が外れそうになりながら、手が震え、刀が擦れて音を立てる。
扉が閉まった。
中には『魔王』と『少女』を置いて。
外には『悪魔』と『勇者』を置いて。
乾いた声で女の悪魔は言う。
「お前は本当に学ばない。お前は『最強』でもなければ『無敵』でもないんですよ。この気道を少し塞ぐだけでお前は死ぬ。この手を地面までゆっくり下ろすだけでお前は死ぬ。わかるか? わかったらゆっくり跪け。その汚れた刀を床に置け。少しでも声を出したら殺す。少しでも刀を抜いたら殺す。二度とここで間違いを犯すな」
————【勇者】は跪き刀を置いた————