秤と蠍
レイネが紙とペンを取り出し、レスドアが座っていた場所に座りなおす。
机に紙を置くと慣れた様子で四十程の図形を描きだした。
「これが今使われている文字よ。ひとまずこれを使って説明していきましょう。言葉がわかってるから、そこまで理解するのに時間はかからないかな?…いや…逆にそっちの方がこんがらがるのかな?とりあえずこれを書き写すところから始めましょう」
「…各文字と基本的な単語についてはこんなところね。午前中はここまでにして、午後はその本をゆっくり読んでいきましょうか。お弁当が用意されてるから取りに行ってくるわね。フェリド君は机の上を片付けておいて」
レイネは立ち上がるとこちらにウインクしながら話す。
僕が「わかりました」と言うと振り返り、レスドアが移動していった方向に歩いて行った。
一人になった僕は机の片づけをしながら考える。
文字を教わっていた時に違和感を感じていた。
レイネの教え方がおかしい訳では無い。
むしろ確実に理解が進んでいると実感できる。
引っかかっているのは文字そのものだ。
目覚めたときに自然と読めた棺の文字と違い、この文字で言葉を表すのは、少し遠回りをしているような印象がある。
試しに棺に書いてあった文字を余白に書いてみる。
大まかな形は覚えていたが、なぜか一文字も正しく書けている気がしない。
細部が違っていただろう。
釈然としないまま両方の文字を見比べる。
そこで車両の扉が開き、レイネが片手に二つの箱を重ねて戻ってきた。
「お待たせー。聞いてなかったけどこのくらいのサイズでよかったよね?もし足りなかったらまだあるから…それは?」
レイネが二つの箱を机の中間に重ねたまま置き、紙をのぞき込む。
「すみません…起きたときに見た文字を書いて比べていたんです」
「簡単に謝っちゃだめよ。そっかー。ふむふむ…フェリド君にはそう見えていたのね」
レイネが座り、頬杖を突きながら僕の書いた文字を見る。
「?すみま…。そう見えていたってどういうことですか」
「…あの文字?はね、毎回見るたびに少しづつ形が違って見えるのよ。しかも見る人ごとに全く違う形に見えてるらしいの。だから長いこと調べてるらしいけど全く解読できてないのよね」
「形が変わるんですか…だからなのか今この文字を見ても、とてもフェリドと書いてあるように見えないんです」
「うーん…よくわかんないなぁ…。キラウ様もフェリドって聞いたときに納得してたし…。まあ今は考えてても仕方がないわ!早く食べちゃいましょう」
僕は紙とペンを横によける。
そしてレイネから箱を受け取り蓋を開いた。
箱の中の食べ物は整然と並べられており、料理自体の意匠にもこだわりを感じる。
僕たちは「いただきます」と言って弁当を食べた。
「ごちそうさまでした」
食べ終わると、レイネが座ったまま腕を上げ背伸びをする。
「うーー。…さて、いったんお昼寝でもしますかぁ~」
レイネがあくびをしながら空になった弁当箱を向かいの机に無造作に置く。
「え!?寝るんですか?」
「うん。私あんまり人に教えたことがないから、慣れないことして疲れちゃったのよね。フェリド君も少し疲れたでしょう。…ビガートに到着したら忙しくなるかもしれないしね。あっ、その箱はそっちに置いておいて大丈夫よ」
「わかりました…けど…」
僕は既に置いてあった箱を軽く整え、自分の箱を重ねながらレイネに話す。
「レスドアさんは許してくれますかね?」
その言葉を聞いてレイネがにやりとする。
「まあ普段だったらお説教されるけど、今日は大丈夫よ。先生もさっきお弁当を取りに行ったとき珍しく寝てたから」
からかうような調子で言っている。
そこで僕は気になったことを聞いてみた。
「レイネさんはレスドアさんといつも一緒に動いているんですか?」
「うん、そうよ。私たちだけじゃなく黄導機関はね、基本的に決められた導師が二人一組で行動するの。ディルスさんはリーダーとして色々やることがあるから一人で動くことが多いけど、相方はいるわ。バルダさんっていう導師なんだけど、その人も大体は王都にいて二人があんまり離れることはないわね」
その説明を聞いて昨日練兵場でレイネに聞けなかったことを思い出す。
「レイネさんにとってレスドアさんは相方とか先生という関係だけなんですか?二人を見ているとなんだか…親子みたいにも感じるんですが」
レイネの表情が一瞬だがわずかに曇る。
しかし、すぐに元の表情を作り僕の疑問に答えた。
「確かに先生ってだけじゃないわね。…昔ね、私が黄道機関に入る前の話なんだけど私の家で…トラブルがあってね。その時先生に助けてもらったの。前にあの汽車に住んでたのもその影響ね。それから黄道機関に入って魔法の使い方とか導師の仕事とかだけじゃなくて色々なことを教えてくれたのよ」
「そうだったんですね。すみません…」
レイネが隠していた感情に触れてしまった。
頭を下げる。
それを見たレイネが一瞬キョトンとした後「ふふっ」と小さく笑う。
「謝っちゃだめよ。それに昔の話だし今は不自由してないから気にしないでいいわ。さて寝台だと寝すぎちゃいそうだからここで少し寝ましょ。横になってもいいわよ」
レイネがそう言うと机の上に両腕を重ね腕枕で昼寝の態勢に入る。
僕も、座面に体を倒し仰向けになる。
先ほどの話が頭をよぎり、日差しの影となっている少し暗い天井を見つめた。
家か…。僕にも家族がいたのかな。思い出せない…。キラウさんたちはなんだか違う感じだし…。
僕は体勢を変え、体と頭を横向きにして座面と頭の間に腕を挟み目を閉じた。
……。…少し寝てしまったか…。これは…。
少し傾いた座席に背中を預けて眠っていた私は目を覚ます。
目の前の机を見ると書類が広げられた机の上に弁当箱が置いてあった。
私は内ポケットをまさぐる。
あるべきものを確認し机の上を見たときから止まっていた息を吐き切った。
座席を立ちあがり辺りをゆっくりと見回る。
誰もいないことを確認し「狼よ」とつぶやくと、どこからともなく黒い人影が現れた。
私は先ほど確認したポケットから封筒を取り出し黒い人影に差しだす。
「これを預けます。私に何かあったときはディルスに渡してください。それも困難な場合には…アリンに」
「承知いたしました」
黒い人影が封筒を受け取ると空間に溶けるように消えていった。
私は机の書類を軽くまとめると大杖を持ち、二人がいる車両へ歩いていく。
「さて、勉強は進んでいるでしょうか」
レイネとフェリドがいるはずの車両の扉を開ける。
通路を見ると座席からフェリドの足が飛び出ていた。
私は速足で駆け寄る。
座席をのぞき込むと二人が寝息を立ててぐったりしていた。
私も少々寝てしまっていたが、心を鬼にして起こそう。
理不尽さを味わうことも時には必要だ。
そう思い、レイネに向かって口を開く。
「おき…」
「かみさま…たすけて…」
レイネの寝言が聞こえた。
私は口を閉じ、レイネの傍で立ちすくみ考え直す。
私は…この子にとって、まだ理不尽が必要だと?…思いあがるな!
レイネが突っ伏している机。
その隅のフェリドが書いたであろう文字表が目に入る。
レイネに任せたのは私だ。
人のやり方に文句を言えるほど私は…。
入ってきた方へ向き直る。
そこで視界の端に空になった弁当箱が見えた。
躊躇なくそれを抱え、その車両を後にした。