00話 私の物語のプロローグ
今回は綾香視点のお話です。
佐藤健太
一年生のときは同じクラスにいてもほとんど目立たない存在だったし、ほとんど喋ったこともなく業務連絡での会話もしたかどうか怪しい、と言ったレベルだった。
しかし、少し前から彼との奇妙な関係が始まった。
私は、自分で言うのもあれだが、周りの人からの評判もよく何一つ人間関係に困ってはいない。しかし、困っていないからこその悩み事が生まれる。
それは、実際のところは彼らと心の底から通じ合っているわけじゃない、というところだ。
しかしそんな時佐藤の書いた物語の冒頭を少し読んだ時、私の中の何かが少しだけ変わるような気がした。
彼がその作品をどれだけ大切にしているかも、すぐに分かった。だからこそ、彼の世界に土足で踏み込んでしまったことに、私は少しだけ罪悪感を感じていた。
でも、それ以上に、彼が書く物語をもっと知りたいという思いがその気持ちを上回った。
今日も彼に会いに教室に向かう。
教室のドアを開けると、彼はいつものようにノートに向かっていた。集中している彼の姿は、普段の感じとは違い、どこか少しだけカッコよく見える。
「こんにちは! 佐藤くん」
そう声をかけると、彼は少し驚いたように顔を上げた。彼の反応が面白くて、思わず微笑んでしまう。
「お、おう。こんにちは」
ぎこちない返事が返ってくるけど、それもまた彼らしい。
「続きが気になります! 佐藤先生!」
「どーも」
そうお願いすると、彼は少し照れくさそうにしながらも、ノートを閉じて、続きを渡してくれた。
彼の作品を読むことができるというだけで、私は心が躍った。
佐藤の書いた物語を読んでいると、まるで別の世界に飛び込んだような感覚になる。
彼が創り出すキャラクターや設定は、現実の私たちのどこか心に響くものがあるのだ。
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「瀬戸はどこが面白いと思った?」と彼に聞かれたとき、私は一瞬言葉に詰まってしまった。
だって、私自身もまだよくはわかっていない。
ただ、彼の物語に強く引き込まれていることは確かだった。それをどう表現すればいいのか、うまく言葉にできなかった。
「う、うーん……」と俯いてしまった私に、彼はすぐに謝ってくれたけれど、その申し訳なさそうな顔を見て、逆に私が申し訳なくなってしまった。
どうしても自分の気持ちを伝えたい、でもそれができないもどかしさが胸に残る。
それは、自分が何者であるかを見失っている彼の物語の中のヒロイン、ルルと重なる部分があるのかもしれない。
「なんかだって、ここがどう、とか語ったりするの少しキモイ、って思ったりしない?」
「そんなことは無い。全然キモくないぞ」
そして彼はオタクを肯定した。
自分の好きなことに真剣になれる人を尊重してくれる。それが私にとってはとても大きな救いだった。そしてそんな考えをすることが出来る彼をかっこいいとも思った。
世間一般で「オタク」と呼ばれる人たちが、どれだけ情熱を注いでいるか、私は少しだけ理解していた。でも、彼のように真正面からそれを認め、誇りに思っている人を見たのは初めてだった。
「佐藤、ありがとう」
「?どうしてだ?」
「とにかくありがとうなの!それじゃあ家でまた読んでくるから」
恥ずかしくて、佐藤の考え方がかっこよかったよ、なんて言うことは出来なかったが、
「次は感想も言うから」
それだけは言えた。
そう言いながら私はささっと教室を後にした。
私もまた、自分の「影」に押しつぶされそうになりながら、何かを探している。佐藤と接することで、自分も少しずつ変わっていけるかもしれない、そんな希望が芽生えていた。
佐藤が作り上げる世界が、私をどこか遠くへ連れて行ってくれるような気がして、私はそれをもっと知りたくなった。だからこそ、また彼の物語を読みたいと思った。
その日の帰り道、私はふと考えた。私は今まで、自分の本当の姿を見せるのが怖くて、周りの期待に応えることばかり考えていた。
でも、佐藤の書く物語を読むことで、自分がどう生きたいのかというのを、前に比べて少しだけ考えるようになった。
そして、私は気づいたのだ。佐藤との時間が、私にとっての新たな「物語」の始まりであることを。