第4話 かぐや姫がはじまる - 2
総長の慈悲深い振る舞いが、今度は心底恨めしくなる。あんな課題は冗談だよと一蹴し、コジロウもろとも自分を追い出してくれればよかった。そうすれば、こんな任務をこなす必要もなくなったのに。
欠片を持つ手がじっとりと汗ばむ。ここで欠片が光らなかったら、光らせることができなかったら、殺されたっておかしくはない。過剰な妄想だとしても、鶴屋はそれを手放せなかった。
遠近、コジロウ、銀庄総長。三つの視線を一身に浴びて、空気の吸い方が分からなくなる。指先が固まって動かなくなり、プレッシャー、という単純な言葉を思い出した。今、自分に求められていること。応えなくてはならないこと。それを全うできる自信が、どこからも湧いてこなかった。
面接官の半笑いが、声が、指が、隕石の上に浮かんで消える。動かなくなった指先が、自らの冷たさに痛み始める。それでもやらなくてはならない。この指で、欠片を光らせなくてはならない。
どうにか呼吸を思い出し、ひゅ、とか細く息を吸う。すると空気を送られた指が、痙攣するように動き出した。ざらり。隕石の感触が分かり、背筋に緊張が走る。ざらり、ざらり。光れ、光れ。願えば願うほど恐怖は増して、全身から熱が引いていく。
それでも、欠片の載った手のひらだけは、徐々に熱を持っていっていた。
「……ふぅん」
総長の声が、静けさの中に浮かび上がる。
銀色の光が、鶴屋の視界を明るく照らした。
「ほっ、ほら!」コジロウが弾かれたように立ち上がる。「これが、これこそが星の欠片のきらめき! まっこと見事にござりましょう!? 一見するとつまらぬ石にも思えましょうが、この者の手でひと撫ですれば、かような光を放つのでござりまする!」
侍は鼻息荒くまくしたてる。その隣で、鶴屋は深い安堵に浸っていた。冷えた血が温度を取り戻し、皮膚がぼうっとあたたかくなる。
応えられた。他者に求められていたことに、不足なく応えることができた。鶴屋はコジロウを応援しないし、総長の前で目立ちたくなどなかったが、今は確かな喜びを感じていた。
自分の能力を認められて、誰かに必要とされて、自らの手で期待に応える。これまでの就活では一度も達成し得なかったことを、この場で初めて成し遂げたのだ。
「ようやった、ようやったぞぉ!」
隣から伸びたコジロウの手が、鶴屋の頭をわしゃわしゃと撫でる。その感触にどんな表情を返せばいいのか、鶴屋は知らなかった。
「総長、いかがにござりましょう! これでそれがしも、総長の一門に迎え入れてはいただけませぬか!?」
ボサボサの頭から手を離し、コジロウは総長に隕石を捧げた。それを受け取る美しい指を見てから、鶴屋も深く頭を下げる。期待に応えられた安堵が、恐怖を薄れさせていた。総長の気配はあまりに静かで、彼女のわずかな動きすら感じ取れない。一秒、二秒、いくらかの時が過ぎていき、やがて一言、声が降る。
「面白いね、お前たちは」
その言葉を聞き、鶴屋とコジロウはパッと同時に顔を上げた。面白いと言う割に総長はにこりともしていないが、さきほどまでよりほんの少し、前のめりになっているように見える。そのポジティブな変化に、鶴屋はつい口角を緩めた。コジロウも今にも泣き出しそうに、拳を強く握っている。
総長、と神経質に呼ぶ遠近を、裏路地の王者は右手で制した。彼女は隕石を撫でながら、あまりにも静かに、氷柱をそっと突き立てるように、続ける。
「面白い。でも、私の仲間に加えるにはまだ、足りない」
コジロウの顔からふっと、表情が失われる。
「お前たちにはあといくつか、同じような課題をこなしてもらおう。それらをすべて達成できたら、今度こそ仲間にしてあげる。いいね」
鶴屋の胸に、鉛の重石がのしかかった。
同じような課題。街にたまたま隕石が落ちて、それをたまたま光らせる。こんなことと「同じような」手順を繰り返せと言うのか? だとすれば自分の頑張りは、さっきの奇跡的な喜びは、何だったというのか。
激しい虚脱感と憤りが、鶴屋の安堵を穴だらけにする。自分にとってさえこれほど絶望的なのだ、コジロウにはどれだけ酷な指示だろうか。焦燥に駆られ、そっと隣を窺ってみる。しかしそこには、鶴屋が予想した表情はなかった。
侍の目は怯えながらも、じっと総長を見上げていた。
「いかような御諚にあろうとも、このコジロウ、必ずや全うしてみせましょうぞ」
あ、と、鶴屋の喉は鳴った。
コジロウはおそらく、自分以上に絶望しているはずだ。未来を恐れ、不安に潰されかけているはずだ。しかしそれでもきっともう、躊躇すらしていられないのだろう。目の前の王者に示される、細く頼りない希望にしかすがれないのだ。それほど彼は追い詰められていて、持っているものが何もないのだ。
侍の誓いに、総長は泰然とした頷きを返した。コジロウと真っ直ぐに見つめあい、その柔らかな唇でもって、次なる指令をごとりと下す。
「次は、青いバラが欲しい。夜明け前の晴れ空のような、真っ青で、だけれど作り物ではない、生きたバラが、欲しい」
幻想的な形容に反して、重く、硬い口調だった。コジロウはぐっと唇を噛むと、厳かな動作で頭を下げる。「ははぁっ」芯の通った返事は痛ましく、鶴屋の胸を押す。
そこにどれだけの苦しみがあろうと、強さを夢見ずにいられない。集団の盾に守られることを、追い求めずにいられない。
「行くぞ」
コジロウは音もなく立ち上がり、言った。記憶の波がすっと引き、鶴屋は頷く。ふたりは順に一礼して、書斎机に背を向けた。硬い床を一歩、二歩と踏みしめて進みながら、鶴屋の目は隣を見上げる。コジロウの横顔は、白く血の気を失っていた。
彼はこれからどうするのか。自分は、これからどうするのか。未来には靄がかかっていて、ほんの十分後のことでさえも見通せなかった。
「鶴屋くん」
俯きがちに歩いていると、ふいに声が飛んでくる。振り返った先の総長は、やはり静かに鶴屋を見ていた。視界の外で、ぱたりと草履の音も止まる。
この期に及んで一体何を告げられるのか。鶴屋の背筋は強張った。忘れかけていたが、自分は命を握られているも同然なのだ。この場で脅しや、呪詛のひとつでも吐かれようものなら二度と深くは眠れない。
新鮮な緊張が蘇り、耳鳴りがする。しかしそのキィンとした高音を、ただひとつ、静謐な声だけが超えてきた。
「お前も、コジロウを手伝ってあげなさい。課題をふたりで達成してくれたら、知り合いの企業にお前を紹介してあげよう。私の頼みであれば、必ず内定を出してくれるよ」
そのとき、総長はかすかに両目を細めた。その瞼の曲線と、ほのかに上がった口角が真正面から鶴屋を貫く。絵画の夜空を背にした彼女は、無音の星々を従える冷たい恒星のように見えた。
その美しさと「内定」の響きに、鶴屋の脳は重く痺れる。柔らかく強烈な慈悲の気配に包まれて、殺風景な部屋の景色も、澄んだ空気の冷たさも、においも、総長の声の余韻も感じ取れなくなり、体の芯が麻痺していく。
内定。内定へ自分を近づけてくれると、総長はそう言ったのだ。集団の強さを借りるための、弱い自分から脱するための「内定」へ、近づけてくれると。そんな都合のいい話があるか、と思うが、それでも総長に嘘はないのだとどういうわけか確信できて、昨日の面接を、つつき回された履歴書を思い出すと喉の奥が勝手に開き、は、と、声が出ていた。
「はい」
そうして立ち尽くす鶴屋に、総長はゆっくりと歩み寄る。コツリ、コツリとハイヒールの音が続き、やがて目の前に立たれたときには、あの隕石が差し出されていた。
「これはまだ、お前たちふたりで持っていなさい」
「はい」
またしても勝手に声が出て、気づけば隕石を受け取っていた。四十五度の礼をして、再び歩き出すコジロウを追う。手の中で握りしめた欠片は、まだほんのりとあたたかかった。
読んでくださってありがとうございます!いよいよ物語の本番だ!