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侍の星は光らない  作者: 山郷ろしこ
幕開け
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第3話 地獄の門、ノックノック - 3

「まぁいい。とりあえずそこで待ってろ」


 結局何も見通せない鶴屋から、遠近はあっさりと視線を逸らした。その場でくるりと踵を返し、エントランスの奥に消えていく。おい、こいつら見張っとけよ! 遅れて飛ばされた指示に、ソファーの四人が立ち上がった。「遠近さんって、なんか意外と甘いんだよなぁ」「だよな、俺ならぶん殴ってるわ」彼らは口々にぼやきながらも、鶴屋とコジロウを包囲する。


 恐怖はまだまだ続きそうだった。男たちはひどく巨大に見えて、気を抜けばひとのみにされそうだ。


「なに、案ずることはない」


 そんな怯えを察知したのか、コジロウは小声で慰めてくる。もはや藁をも掴む思いで、鶴屋は侍の顔を見上げた。しかし端正な両の瞳はひたすらに暗く濁っていて、恐怖をさらに掻き立ててくる。


「総長はまこと慈悲深き方よ。必定ひつじょう、我らを受け入れてくださる」

 

 恐ろしいうえ、何も慰めになっていない。裏路地を束ねる総長になど、鶴屋は受け入れられたくなかった。ただ人並みに内定を得て、ただ人並みにキャリアを積んで、ただ人並みに強くなりたいだけなのだ。「総長」なんかに受け入れられても、それをどう履歴書に書けというのか? 苛立ちが蘇りそうになるが、コジロウが微笑みを向けてくるのでもう怒るのも億劫になる。


 そうして溜め息をついているうちに、硬い靴音が近づいてきた。音のするほうを振り向いてみる。眉間にシワを寄せた遠近が、鶴屋とコジロウに大股で迫っていた。包囲がするりとほどけると、総長の右腕はコジロウの正面で立ち止まる。そして鶴屋とコジロウの顔をサングラス越しに一瞥してから、苦々しい顔で、結果を一言だけ告げた。


「……通してくださるそうだ」


「おぉっ!」


 コジロウは大きく歓声をあげ、ガッツポーズをとった。生白い頬を赤くして、子供のように体を揺らす。


「まことにござるか? まことにござるか?」


「あぁ、まことだよ。総長の寛大なお心に感謝しろ」


「あ、ありがたき幸せにござる!」


 侍は笑う。その陰にまた隠れながら、鶴屋は泣きそうになっていた。


 こんなことになるくらいなら、感じの悪い面接官に笑われていたほうがよっぽどマシだ。いくら慈悲深く優しいといえど、相手は犯罪者の頭領。そんな人物に直接会って、無事で帰れる気はしなかった。「顔を見られてしまったからには、帰すわけにはいかないねぇ」巨漢の総長にみるみるうちに簀巻きにされて、太平洋に放り出される自分の姿が目に浮かぶ。


 あぁ、どうして昨日の俺は、疲労に負けてしまったのだろう。大人しくネカフェを探していれば、今頃は清潔な不動産屋で物件探しをしていただろうに。


 だがそれももう後の祭りだ。もはや退路はどこにもなかった。来い、と遠近に促されるまま、コジロウと並んでエントランスの奥へ進む。そこにはエレベーターがあり、狭い機内で身を寄せ合って最上階までのぼっていくと、やはり無骨な廊下に出た。


 白いリノリウムの床に、コンクリート打ちっぱなしの壁。どういうわけか空気が冷たく、鶴屋はスーツの腕をさすった。寒さと不安に耐えながら、静かな廊下を進んでいく。


 すると、角を曲がったところから突然、壁に額縁が並び始めた。揃いの額の中にはすべて、抽象的な絵画が収められている。


 三角形が幾何学的に組み合わさった絵、絵の具がぐちゃぐちゃに混ざったような絵、鱗にも似た細かい模様が、ただびっしりと並んでいる絵。それらはどれも淡い色合いで、どこかメルヘンな印象だった。これが上品な美術館や、森の中に建つ小屋の中なら可愛く楽しげに見えたのだろう。だがこのビルにはどう考えても不似合いで、鶴屋の恐怖は増すばかりだった。


 額縁の通路はしばらく続き、やがて突き当たりに行き着いた。遠近の足がコツリと止まり、コジロウと鶴屋も立ち止まる。黒く重厚な扉が、彼らの前に立ちはだかっていた。


「おい」


 遠近が振り返り、ふたりを鋭く睨みつける。コジロウはかすかに衣擦れの音をさせ、背筋を伸ばした。鶴屋は両の拳を握る。扉の放つ緊張感が、スーツを貫通して肌を刺す。


「絶対に、粗相のないようにしろよ。絶対にな」


 斧のような声だった。ふいに呼吸ができなくなり、鶴屋は焦って深呼吸する。しかし肺が満ちるのを待てず、半端な量の空気を吐いた。直接的な脅し文句はなかったものの、「粗相があればその場で殺す」と、遠近は確実にそう言っていた。


 鶴屋の脳がギリギリと軋み、知りうる限りの対人マナーを絞り出す。ノックは三回、お辞儀の角度は四十五度、指示があるまで座らないこと、受け答えはまず結論から……。思い浮かぶのは就活用のマナーばかりだ。キャリアセンターは一体どうして、裏社会用のマナーを教えてくれなかったのか。


 コンコン、と二度、遠近が扉をノックする。就活の掟が早くも破られ、鶴屋の額はくらくらと揺れた。


「総長、お連れしました」


 遠近が硬く声を張る。扉の向こうで、裏路地の王者が待っているのだ。緊張と恐怖が爆発的に膨らんで、鶴屋の体は動かなくなる。そうして固まった両耳に、聞き覚えのない声音が小さく、届く。


「あぁ」


 扉に遮られた声は、反響がなく籠っている。だがそれは想定していたよりも、はるかに穏やかな響きだった。緊張と恐怖に驚きが加わり、いよいよ体が動かなくなる。しかしそれでも、遠近の手がドアノブを掴む様子は見えた。待ってくれ、と叫びたくなって、それでも絶対に叫べない。


 どくん。心臓が高鳴る。世界のすべてが色を失って遠のくような、虚ろな錯覚に陥る。

 ガチャ、とドアノブが回る音がして、扉がゆっくりと、開いていく。

読んでくださってありがとうございます!重たいドアってドキドキします。

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