第2話 星の欠片はキラキラ光る - 2
「どうだ。この次第を聞けば、それがしに隕石を譲ってよかったと思うであろう?」
コジロウは湯呑みを口から離し、卑屈な笑みを浮かべて言う。分からないことだらけだが、それはその通りでもあった。コジロウの身の上はかなり寂しい。その生業を差し引いても、同情せずにはいられなかった。空っぽの湯呑みを座卓に下ろすと、カツンと安い音がする。
「そう、ですね。なんか、すみませんでした」
それにそもそも、隕石なんか欲しくはないのだ。白湯を飲んだおかげで、鶴屋は冷静になっていた。なぜあんなにも隕石に執着していたのか、もう自分でも分からない。
「その……でも、ありがとう、ございました。こうやって泊めていただいて」
そして感謝をモゴモゴと口にし、頭を下げる。侍が侍である理由とか、身の上話が事実なのかとか、気になることはいくらでもある。が、今は何よりも礼を言わねばならなかった。お辞儀をすると、謎だらけの侍は頭を掻く。
「あ、いや、うむ、気にするでない。この欠片の恩もあるゆえな」
その語尾が消えた途端、部屋にはすっと沈黙が流れた。六畳のワンルームには物が少なく、殺風景が気まずさを引き立てる。プラスチックの座卓は少し欠けており、板張りの床には濃い染みがいくつも残っていて、どこを向いてもみすぼらしかった。壁掛け時計がカチカチと、沈黙の長さを示している。
追いかけっこをしたとはいえ、ふたりは今日が初対面だ。そんな彼らが面と向かって過ごすのは、さすがに少し無理があった。鶴屋が袖で眼鏡を拭き、コジロウが白湯をズズズと啜り、ふたりで無意味に部屋を見回す。見回しながらそれぞれパクパクと言葉を探して、やがて「そうだ」と声を出したのは、侍・コジロウのほうだった。
「食わぬか、夕餉」
「あっ、あぁ」鶴屋はモゾモゾと座り直す。「えっと、いいんですか、そんな」
「無論、構わぬ。大したものは振る舞えぬがな」
「いえ、それは全然。あの、大丈夫、なので」
実のところ、鶴屋の腹はペコペコだった。朝食も食べずに家を出て、昼はスーパーの菓子パンで済ませ、そのエネルギーも面接で使いきってしまったのだ。不審な侍の食事だろうと、食べられるなら何でも食べたい。
お願いします、と頭を下げると、「う、うむ!」とコジロウはやけに嬉しそうに立ち上がる。「テレビでも見て待つが良かろう」そう言ってぎこちなくテレビをつけ、玄関側の台所へと走っていった。侍もテレビを見るのかと、鶴屋はポカンとする。
ポカンとしつつ液晶に目を向ける。と、そこには見たくない光景が映っていた。歩道に広がる人だかり、瓦礫に刺さった大きな隕石。ヘリコプターからの映像は、SF映画の一幕のようだ。プロペラの音に負けないように、記者が大声で状況を伝える。周囲には大きな人だかりが……消防隊による住人の捜索が……近隣住民のパニックが……。
鶴屋の脳には、どの情報もあまり入ってこなかった。やはり夢でも見ているようだ。それも、信じられないほどの悪夢を。うぅ、と呻き声が漏れる。シワの寄った眉間がズキズキと痛んだ。
たまらずテレビから目を逸らす。すると、スーツのポケットが目についた。四角く膨らんだポケットには、スマートフォンが入っている。そういえば、と思い立ち、四角い機械を取り出した。
こうして報道されているのなら、親から連絡が来ているかもしれない。切っていた電源を入れてみると、案の定母からメッセージが来ていた。『大丈夫!?』という文字列には、緊張感があるようにもないようにも見える。鶴屋は少し迷ってから、『大丈夫』とだけ返信した。
だが本当のところを言えば、大丈夫なのは今だけだ。今日はたまたま宿を見つけて、夕食にさえありつけそうだが、この先はどうか分からない。コジロウは正直信頼できないし、できたとしても、いつまでもここにはいられない。なるべく早く次の家を見つけ、家財道具も新たに買って、日用品や服だって一から揃えなくては。しかしそのために就活を休めば、求人はみるみる減っていくだろう。
悪夢のような混乱から覚め、鶴屋は現実に戻ってきていた。金銭、就活、衣食住。隕石や侍なんかよりよほど、こちらのほうが絶望的だ。
こんなとき、少しでも友達を持っていたなら。面と向かって弱音を吐いて、助けを求められたなら。そう思わずにはいられなかったが、思ったところでどうにもならない。
「君って、明るくないんだねぇ」
数時間前、面接官に言われた台詞だ。社会に必要とされているのは、明るく爽やかな若者らしい。しかし鶴屋は昔からずっと、暗くジメジメと生きてきた。小学校の出席確認でも大きな声で返事はできず、クラスメイトに話しかけられてもなかなか笑顔を見せられず、気づけば完璧に孤立していて、誰からも遠巻きに見られていた。
中学、高校の六年間でも同じ流れを繰り返し、繰り返すたびに暗さは増して、暗さが増すほど孤立は深まった。同級生みんなを下の名前で呼ぶ男子にも「鶴屋くん」と呼ばれたし、マラソン大会中に存在を忘れられ、最後尾でゴールしたときには学年主任が「閉会の挨拶」を行っていた。数学の宿題の範囲を聞き逃し、泣く泣く教師に尋ねたところ「そのくらい友達に訊きなさい」と門前払いされた記憶には今もときどき苦しめられる。
もしも自分が明るかったら、こんな思い出に涙を流さずに済んだのか。もしも自分が明るかったら、頼れる友人ができていたのか。もしも自分が明るかったら、早くに内定をもらえていたのか。隕石が落ちても困らなかったのか。さっきの気まずい沈黙も、上手く切り抜けられたのか。
今こんなにも疲れているのは、社会が求めているものに、自分が応えられないからか?
プツ、と、テレビの音が消えた。
突然の静けさに、思考の底から引き上げられる。顔を上げると、リモコンを手にしたコジロウが鶴屋を不安げに見下ろしていた。
「いや、面目ない。かようなもの、おぬしには苦しいばかりであったろう」
「あ……」
鶴屋は面食らう。この侍に気遣われるとは、まるで思っていなかったのだ。気づけば、部屋にはもやしの匂いが漂っている。
「す、すみません。今のは普通にその、俺がチャンネル変えれば良かった、ので」
「否! おぬしのせいではない!」
コジロウは細い手のひらを突き出す。思わず仰け反る鶴屋をよそに、侍は両手で頭を抱えた。
「それがしはいつもこうなのだ。何につけても事を急いては空回り、平謝りに次ぐ平謝り。まっこと、情けなきことよ……」
その声はみるみる小さくなり、消えていった。見せつけられたネガティブ思考にどんな反応をするべきか、鶴屋にはやはり分からない。
どうしたものかと考えていると、苦いにおいに鼻腔を突かれた。嗅ぎ覚えのある、良い思い出のないにおいだ。ハッとしてコジロウの背後を覗くと、フライパンの載ったコンロの火が、消されないままで揺れていた。
「あ、あの、フライパン!」
「む!?」侍もキッチンを振り返る。「あっ、あぁ、消したつもりでおったのに!」
コジロウは慌ててコンロに駆け寄り、ワタワタと火を止める。「焦げておる……」と嘆く横顔に、鶴屋は苦笑した。
自分の暗さのことよりも、これからの生活のことよりも、あのフライパンの中身のほうが、今ははるかに気になっていた。
読んでくださってありがとうございます!フライパンを焦がすと私は普通に落ち込みます。